メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

小林カツ代を「料理思想家」と呼びたくなる

丹野未雪 編集者、ライター

年に旗揚げした「神楽坂女声合唱団」の団長小林カツ代さん=2003年拡大小林カツ代さんは、2000年に旗揚げした合唱団の団長もつとめていた=2003年

 今年1月23日に、亡くなって5年を迎えながら、現役なみのハイペースで著書の刊行が続く、料理研究家・小林カツ代。現在、著書は200冊を超え、家庭料理の代名詞、料理研究家のレジェンドの一人としてさまざまなメディアで紹介されつづけている。

 70年代後半から、求められるように料理の世界へと入っていったカツ代さんは、年子の子どもをもつ忙しい母親という状況から生まれた実践的な方法論をともなったレシピで支持を得た。そうしたレシピは、読者である同世代あるいは自分よりも若い母親たちへの応援の言葉とともにあった。だが、彼女たちに寄り添うようなメッセージのやさしさは、次第に違った鮮烈さを放つようになる。

 なぜ小林カツ代は過去の人になることなく、いまなお求め続けられているのか。

「家庭料理」という言葉にある「どろっとしたもの」

 料理研究家デビュー作からおよそ10年後に出されたエッセイ『さて、コーヒーにしませんか?――キッチンをとおして見えること』(大和書房、1991年)。多忙きわまる仕事量をなんとかこなし、受験をひかえた子どもを残し、米国での2カ月のアダルト・エデュケーション(成人のための教育)へと旅立ったカツ代さんに生じた変化を自由闊達に綴ったエッセイだ。

 英語もろくに話せないただの外国人でしかない自分に人はどう対するのか、そして自分はどう行動するのか。知的好奇心に満ちたカツ代さんの関心は、彼の地の料理のありようだけでなく、徹底した人間観察に向かった。

 1カ月は一人暮らし、もう1カ月はホストファミリー宅で過ごした米国留学は、カツ代さんがつねづね日本で感じていた、女性を一人の人間として見てみぬふりする社会への違和感を浮き彫りにしていく。

 女性であること、家庭料理のプロであることは、二重の思索をカツ代さんに促しただろう。というか、そもそもエッセイストとしてデビューしていた出自がそうさせないわけがない。漫画学校倒産の顛末を描き、NHKでドラマ化もされた青春記『ミセス漫画学校へ行く』(講談社、1970年)でみせた観察眼は健在だったのである。

 もちろんその目は自分自身にも向けられた。この本の最後、カツ代さんは読者に告げる――「それにしても、人間は変わる。私が良い見本です」。

 ある日、原稿の束をカツ代さんの内弟子である本田明子さんから預かった。エッセイスト・小林カツ代のあらたな一歩とすべく準備していたという未発表原稿だった。

 「師匠は、料理研究家の仕事をやめて、エッセイに絞っていこうと考えていたんです」

 それは当時55歳、1992年から93年にかけて書かれた。いま、『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』(河出書房新社、2017年)に収録され、読むことができる。

 だいたい「家庭料理」という言葉は、せまい感じがしはじめていたの。一人でも「家庭料理」と思いたいけれど、一人暮らしを家庭と呼ぶかどうか。家族とでもいいし、一人が自分のためだけの、個人が楽しむために作る料理でもいいし。うちで作って食べるそのことをなんて呼べばいいかなァ。

 和・洋・中、その他世界中の料理を日本の家庭料理として捉えていると明言するカツ代さんの関心が、ジャンルの線引きにないことは明らかだ。カツ代さんは続けてこう語る。

 私は「家庭料理」って言葉の裏に、ねちっ、どろっとしたものを感じてしまうの。そこには、家庭=主婦=食事を作る人、という図式がもう見え見え。一昔前に「私作る人、ぼく食べる人」っていうCMが問題になった。あれから、世の中はそんなに大きく変わったんでしょうかね。相変わらず、「家庭料理」って言葉の裏には、料理を作れない女性に対して、男性が権威をふるっているように感じてしまう。

 主婦、家庭料理という言葉の裏に粘着する、男尊女卑、性差別。それはプロの料理研究家として第一線で活躍するカツ代さんにも強力に粘着してくる。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

丹野未雪

丹野未雪(たんの・みゆき) 編集者、ライター

1975年、宮城県生まれ。ほとんど非正規雇用で出版業界を転々と渡り歩く。おもに文芸、音楽、社会の分野で、雑誌や書籍の編集、執筆、構成にたずさわる。著書に『あたらしい無職』(タバブックス)、編集した主な書籍に、小林カツ代著『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』(河出書房新社)、高橋純子著『仕方ない帝国』(河出書房新社)など。趣味は音楽家のツアーについていくこと。