2019年02月05日
豊下楢彦は、天皇がマッカーサーとの第1回会見で、外国人記者に語ったのと同様の東条英機批判を口にした可能性が高いと述べている。第8回以後の通訳を務めた松井明が書き残したように、奥村勝蔵通訳の「会見録」には削除された部分があったようだが、豊下は英国国王への親書などの傍証から、(戦争責任への言及ではなく)東条批判こそ“隠された発言”だったと推測している。もっとも削除部分があると語った松井自身は、削除内容は戦争責任への言及だったとしており、この点については明確な結論は出ていないように感じる。
むしろ私は、この時期の天皇が、東条批判と自らの戦争責任を相反するものとは考えず、この2方向の発言を比較的ぞんざいに重ねていたのではないかと考えている。昭和天皇とは、そのような人だったのだ。矛盾を来す二つの言動は、この人の中ではそれぞれの居場所を得て動じることがない。さらにいえば、“天皇的思考”には、こうした「二重性」を許容する特別な回路が埋め込まれていた可能性がある。
GHQ政治顧問ジョージ・アチソンがマッカーサーからの聞き書きをまとめたとされる「覚書」が、この二つの内容を一連の文章に織り込んでいるのはその証ではないのか。すなわち、アチソンによれば天皇はこう語った。「私は合衆国政府が日本の宣戦布告を受取るまえに、真珠湾を攻撃するつもりはなかったが、東条が私をだましたのだ(tricked)。しかし私は責任を免れるためにこんなことをいうのではない。私は日本国民の指導者であり、国民の行動に責任がある」(松尾前掲書より引用)
私は東条にだまされた。しかし私には責任がある――この逆接になった文言こそ、天皇のメッセージの核心だったのではないか。もちろん豊下もこれに気づいている。ただ彼は、以下の引用にあるように、マッカーサーの「表舞台」と「裏舞台」の使い分けとして、二つのメッセージに位置を与えている。
マッカーサーは東京裁判の開廷に前後して、全く相反する「天皇発言」を文字通り「裁判対策」として実に巧みに駆使した、ということであろう。要するに、極東諮問委員会の代表団や『ライフ』誌、NHKなど“表舞台”においては、自分は戦争に反対であったが軍閥や国民の意思に抗することはできなかったとの「天皇発言」が活用され、だからこそ天皇に戦争責任はなく免訴されるのが至当である、とのアピールが展開された。他方“裏舞台”においては、戦争が自らの命令によって行われた以上は全責任を負うとの「天皇発言」がキーナンや田中隆吉に“内々”に伝えられることによって、天皇を絶対に出廷させてはならないという両者の決意と覚悟が固められ、“法廷闘争”において見事な成果がもたらされたのである。(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』、2008)
マッカーサーとその側近たちは、日本の降伏前から、天皇の“有効利用”について論じ合っていた。軍事秘書官で心理戦の責任者でもあったボナー・F・フェラーズは、1944(昭和19)年の報告書『日本への回答』の中で「天皇は日本軍の完全な降伏を実現するうえで不可欠であるだけでなく、平和的傾向をもった戦後の日本政府の精神的中核としても必要である」と書いた。彼らがその予測に基づいて立てた作戦は「くさび戦術」と呼ばれた。すなわち、天皇と軍部(「軍国主義者のギャングたち」)の間にくさびを打ち込んで分断し、天皇を戦争責任から救い出そうと考えたのである。
そのスケープゴートとしてうってつけだったのが、拳銃自殺に失敗し(9月11日)、進駐軍による迅速な救命措置で死を免れた東条英機であったことはよく知られている。また日本側にも、マッカーサー側のプランに近似(または同調)する構想を持つ人々がいた。その一人、近衛文麿は9月14日、重光葵外相に対し、天皇が外国人記者に向かって、真珠湾攻撃が東条の独断であった旨の発言を行うべきとの案を持ち出している(その結果は先に書いたように『ニューヨークタイムズ』の東条批判発言になった)。
アメリカ本土では、天皇の戦争責任を問うべしとの声が大勢を占めていた。マッカーサーは太平洋の向こうのその囂々(ごうごう)たる世論を感じながら、天皇がどのように使えるかを確かめてみないわけにはいかなかった。第1回会見はそのような値踏みの機会でもあったのだ。
もう一度、9月27日へ話を戻そう。内大臣の木戸幸一はこの日、日記に天皇から聞いた第1回会見の模様を書き留めている。その一は、天皇こそ国民や政界を一番知る方なのだからぜひ助言をいただきたいという要請が先方からあったこと、二は天皇が終始平和を求めていたことは十分承知しているというマッカーサーの発言があったことだ。天皇から直接に会見の内容を聞き書きした唯一の記録であり、二つの要点が奥村「会見記」に重なることから信憑性も高い。
ただし、なぜこのような願ってもない協力要請や承認発言が飛び出したのか、その理由や過程は木戸の日記では述べられていないのである。
一方同じ日、侍従の入江相政は
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