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靖国神社に参拝し、第2次世界大戦の遺族に、手を挙げて会釈する昭和天皇1945年11月20日拡大靖国神社に参拝し、第2次世界大戦の遺族に、手を挙げて応える昭和天皇=1945年11月20日

「二重発言」を容認する仕組み

 もう一度、9月27日へ話を戻そう。内大臣の木戸幸一はこの日、日記に天皇から聞いた第1回会見の模様を書き留めている。その一は、天皇こそ国民や政界を一番知る方なのだからぜひ助言をいただきたいという要請が先方からあったこと、二は天皇が終始平和を求めていたことは十分承知しているというマッカーサーの発言があったことだ。天皇から直接に会見の内容を聞き書きした唯一の記録であり、二つの要点が奥村「会見記」に重なることから信憑性も高い。

 ただし、なぜこのような願ってもない協力要請や承認発言が飛び出したのか、その理由や過程は木戸の日記では述べられていないのである。

 一方同じ日、侍従の入江相政は

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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