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[書評]『100歳の台湾人革命家・史明 自伝』

史明 著

駒井 稔 編集者

理想を求めて戦い続ける100歳の台湾人革命家の人生

 本書は100歳になる台湾人革命家の「史明」が語った驚くべき自伝です。

『100歳の台湾人革命家・史明 自伝――理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい』(史明 著 講談社)定価:本体1500円+税拡大『100歳の台湾人革命家・史明 自伝――理想はいつだって煌めいて、敗北はどこか懐かしい』(史明 著 講談社) 定価:本体1500円+税
 史明は1918年に台湾の豊かな地主の家に生まれました。すでに日本の統治下にあった台湾で、特に差別された経験もなく過ごしたようですが、次第に植民地支配に違和感を持ち始めます。1936年、17歳の時にやむにやまれぬ情熱に駆られて日本に渡った史明は早稲田大学で学びますが、東京での生活は郷里からの仕送りで何不自由ないものでした。

 この時期に史明は、あろうことか5・15事件で犬養毅首相を襲撃した海軍中尉・三上卓に気に入られて親しく付き合い、作家の武者小路実篤にも可愛がられて戦後も長く交流します。武者小路の紹介で志賀直哉にも会わせてもらっています。不思議なくらい広い人脈は史明の人間としての魅力を伺わせるに充分です。

 やがて当時の青年らしくマルクス主義に興味を持ち、読書会に参加すると、その熱心さが中国共産党から派遣されてきたスパイの目にとまり、中国へ行って革命に加わらないかと誘われ、1942年9月、上海に渡ります。革命根拠地に行くはずだった史明ですが、日本語能力を買われて上海で情報工作に従事します。

 1945年8月、日本の敗北を知った史明は奇妙な感情に捉われます。抗日を目的に共産党に合流したのだから、喜ぶべきなのに、何とも言えない虚しさが湧きあがってくるのです。台湾で日本人として教育され、日本には知己もたくさんいるが、中国には胸襟を開いて付きあえるような人間関係はないからです。これは史明の人生を貫く台湾人としての特別な立ち位置を如実に示すエピソードだといえるでしょう。

 やがて北京への移動の命令が下ります。しかし北京で連絡員が現れず、しばらくぶらぶらしているうちに、日本大使館にも出入りするようになり、そこで日本女性と運命的な出会いをします。平賀協子という大使館に勤める19歳の女性と恋に落ちるのです。二人は共産党支配下の解放区に向かいます。

 しかし史明はマルクス主義が標榜する理想と実際の共産党の専制的なありかたに大きな矛盾を感じるようになり、協子とともに共産党からの離脱を決意します。決死の逃避行は、まるで映画のようです。1949年、なんとか二人はすでに国民党の支配下にあった台湾に戻ることに成功しました。

 国民党による支配に反発した史明は、台湾人による台湾を取り戻すべきだと考え「台湾独立革命武装隊」を結成して蒋介石の暗殺を目指しますが、事は露見し1952年、再び日本に逃亡します。密航者として逮捕された史明ですが、なんとか政治亡命が認められ、協子も帰国することができます。

 生きていくために、二人で西池袋に「珍味」という名の餃子屋を始めると大繁盛。1954年には、土地を買って「新珍味」という2階建ての店舗にします。後に5階建てになった店には、なんと武者小路実篤や佐藤春夫、石川淳、開高健も常連だったというから驚きです。

 ビルの5階は台湾独立運動の拠点となりました。この時期、史明は初めて台湾人の視点で描かれた通史「台湾人四百年史」の執筆を開始し、1962年には日本語書籍として刊行されます。多岐にわたる活動に邁進していた1964年、20年間苦楽を共にした協子は新珍味を出ていきます。協子自身の回顧談によれば、史明の女性関係が原因だったようですが、なんとも人間臭いエピソードではありませんか。

 史明は1968年と1975年に尖閣系由で台湾に密航します。1975年の訪問で現地の情勢が大きく変化したことを知った史明は武装路線からの転換を決意します。その後も情勢の変化を観察しつつ、1993年10月に台湾に帰国して独立運動を続けますが、その資金源は池袋にある新珍味でした。

 2009年8月に店の立て直しのために日本に戻った史明は激務から病に倒れます。その時に見舞ったのが、現在の総統である民進党の蔡英文です。2012年に蔡が総統選に立候補すると史明は全力で支援しますが、この選挙では敗れます。しかし、2016年には蔡が女性としては初めて総統選に勝利するのです。

 2018年の史明100歳の誕生日は台北のホテルで祝賀会が開かれました。本書を構成した田中淳がたくさんの来訪者があることを言祝ぐと、史明は「本当に俺の言いたいことを理解しているのは5人もおらんよ」と言い放ちます。艱難辛苦を乗り越えてきた老革命家・史明ならではの苦い現実認識が示されるのです。

 本書は中国、台湾、日本の激動の時代を生き抜いてきた革命家の語りを再構成することで、東アジア近現代史の知られざる真実を伝える稀有な本だと言えるでしょう。とにかく波乱万丈。一読後、史明がまだ現役の革命家であることを想うと複雑な感慨を抱かざるをえません。このような不屈の魂を私たちは持ちうるのだろうか、と。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

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年間2万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

駒井 稔

駒井 稔(こまい・みのる) 編集者

1979年、光文社入社。1981年、「週刊宝石」創刊に参加。1997年に翻訳編集部に異動になり、書籍編集に携わる。2004年に編集長。2年の準備期間を経て2006年9月に古典新訳文庫を創刊。「いま、息をしている言葉で」をキャッチフレーズに古典の新訳を刊行開始。10年にわたり編集長を務めた。筋金入りの酔っ払いだったが、只今禁酒中。1956年、横浜生まれ。