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[書評]『地面師』

森功 著

堀 由紀子 編集者・KADOKAWA

ハードボイルドな闇世界を旅しよう

 1年ほど前、新宿の大通りを歩いていると広い駐車場の前にこんな看板があった。

 「告 この土地は売り物ではございません。地面師にご注意下さい 所有者」

 そして近くにもう1枚。

 「警告 最近、不動産ブローカーらによって本件駐車場が、あたかも売却予定であるかのごとき虚偽の風説が流布されております。本駐車場の所有者は、本駐車場を売却処分する意思は全くありません。(以下略)」

 そのときは、いったい何が起こっているのだろう?と、面白半分に写真を撮り、そのまま通り過ぎた。

 2018年10月、不謹慎だが、久しぶりにニュースを見てドキドキし、この駐車場の看板を思い出した。

 積水ハウスが土地の取引で詐欺に遭い、55億5000万円をだまし取られた。警視庁は犯人を次々に逮捕し、逮捕者は13人に上った。

 犯行グループは組織化されており、地主のなりすまし役は保険の外交をしていた主婦だという。一般の人たちが徒党を組んで大企業相手に大金を手に入れる……なぜ積水ハウスという超有名なディベロッパーが? ミステリーやハードボイルド小説を愛好する私は、こんなことが現実に起こるのか!と強い興味をひかれた。

 グループを取り仕切っていた主犯格が海外に逃亡して逮捕されなかったこともあり、その後もニュースは断続的に続いた。そんな折に刊行されたのが本書だ。これ以上ない刊行タイミングに、心の中で著者と編集者と出版社に称賛を送りながら迷わず手に取った。

『地面師――他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』(森功 著 講談社)定価:本体1600円+税『地面師――他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団』(森功 著 講談社) 定価:本体1600円+税
 恥ずかしながら私は、今回のニュースで「地面師」という言葉の意味を初めて知ったが、著者の森功さんは地面師について数年にわたって取材してきた。積水ハウスの事件のほか、アパホテルがだまされた六本木の土地取引詐欺事件、世田谷、中野など、7つの地面師による詐欺事件が紹介されている。

 取材を重ねてきた著者ならでは、タイミング優先で作られた本とは大きく異なり、これまでの取材成果が盛り込まれ、知られざる地面師の驚きの世界を惜しげもなく明かしてくれる。

 たとえば、土地取引にかかわる詐欺事件はかなりの頻度で起きていること。犯行グループは組織化されており、「新宿グループ」「池袋グループ」「総武線グループ」などがあること。グループはそれぞれ10人前後で構成され、主犯格のボス、なりすましの演技指導をする教育係、なりすましを見つけてくる「手配師」、偽造書類を作成する「印刷屋」「工場」「道具屋」、振込口座を用意する「銀行屋」「口座屋」、さらには法的手続きを担う「法律屋」と、細かく役割分担されていること。こんなに手が込んでいるのか!

 なかでも「手配師」というのがすごい。地主役や地主の配偶者役、弁護士役、家族役など、なりすます人を手配する役割を負う。

 本書では、「池袋の女芸能プロダクション社長」(!)という異名を持つ女性が紹介されている(書内では実名)。ふだんは清掃員として働いていて、その仕事を通し、高齢者のはまり役をスカウトしているという。こんな小説のようなことが現実にあるのだろうかと思ってしまうほどだが、そのやり口もきちんと記されている。

 なりすまし役になるためにはグループのボスの面接を受け、合格すると、事前に練習も行う。出生地や干支、兄弟の有無などを矢継ぎ早に尋ねる。

 本番では、一般の素人がプロの不動産業者と相対してやりとりする。ひと言の間違いで逮捕されるかもしれない。なりすまし役の緊張感はどれほどのものだろうか。

 それにしてもこれほどの犯罪を起こしても、ほとんど刑を受けることがないという事実におどろく。警察がなんとか逮捕にこぎつけても、犯人たちの大半は証拠不十分で不起訴になることが多く、あっという間に世間に舞い戻る。逮捕されるころにはお金はすでに「溶けて」おり、被害者に戻ることはほとんどない。億単位のお金をだまし取られた当事者は、どれほどの絶望だろう。

 本書の冒頭には「本書に登場する地面師たち」という、「主な登場人物」のようなページが1ページ設けられている。繰り返し犯行が行われていることの証左だろう。

 さて、冒頭の積水ハウスの事件に戻れば、犯行グループは何社かのディベロッパーに話を持ちかけていた。積水ハウスはだまされてしまったが、だまされなかった会社がどうしたのかといえば、問題の土地の近所の人になりすまし地主のパスポート写真を見せて、「この人はあの土地の地主の○○さんですか」と聞き込みを行ったのだという。地元同士、付き合いのあった人たちは「ぜんぜん違うよ」と一蹴したそうだ。この面倒な調査を行った会社は助かったのだ。

 書類はどんなに精巧に偽造できても、人の記憶には手を付けられない。このアナログなひと手間が億単位の詐欺にあわずに済む唯一の方法だったとは。何年も会っていない人でも、私たちは面影からその人を思い出せる。人間の記憶や顔を判断する能力の精巧さを、地面師事件から謎解きのように再認識してしまった。

 本サイトの「2018年 わがベスト3」で幻冬舎の小木田順子さんが『サカナとヤクザ』を挙げ、「悪いヤツらの話はなんでこんなに面白いんだろう!」と記されていたが、まさにその言葉の通り! 著者の取材姿勢と相まって、ハードボイルドな闇世界を旅させてもらった。

[書評]2018年 わがベスト3 (2)――『サカナとヤクザ』、『宿命』、『夕焼け売り』、『方丈記』……

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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