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新しい「父」への期待

1945年9月27日、昭和天皇とマッカーサーが米国大使館で初めて会談した際の2人の写真拡大1945年9月27日、昭和天皇とマッカーサーが初めて会談した際の2人の写真
 多くの日本人は、敗戦の夏を乗り越えて疲弊し、飢渇に苛まれながらも、茂吉と同じように新しい権力のかたちをただちに理解した。理解したばかりでなく、その新しいかたちを積極的に受け止めようとする心情もあった。

 児島芳子は戦時中、出征する夫を駅に見送る妻として「汽車の窓 間近に夫(つま)と向ひ居て すがらむばかりの吾が心なり」と歌ったが、その数年後には、「むつまじく マッカーサーと並み立たす 一天万乗の君をおろがむ」と詠じることに躊躇しなかった。この女性の中では、夫が連れ去られた無念よりも、天皇を護る者の出現に安堵する気持ちの方が大きくなったに違いない。

 鶴見俊輔は「敗戦は、日本人全体にとって普遍的な転向体験をもたらした」(久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想――その五つの渦』、1956)と書いたが、このやや紋切型の断定は、人々の心情的事実とずれていたのではないか。むしろ人々は、天皇がマッカーサーと「並み立たす」ことで、慣れ親しんだ信憑を保持しうると感じた。実際の支配者は交代しても、畏れ敬う対象は変わらないと知ったのである。

 ジョン・ダワーは、二人の写真を悪質な不敬行為と見なした内務官僚が見落としたことがあるとしてこう書いた。

 この写真は、大半の日本人が日本の敗北とアメリカの支配を心から実感した瞬間となったと言われてきた。しかし、検閲官や鼻息荒い愛国者たちが見過ごしていたのは、この写真は同時に、最高司令官は天皇を歓待しており、天皇のそばに立っている[stand by him(the emperor)この英語は「いつでも天皇の力になる」という意味を含む]ことを明確にしたものでもあったということである。(ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて――第二次大戦後の日本人』、2001)

 齋藤茂吉は、ひょっとするとこのメッセージに気づかなかったかもしれないが、児島芳子は正確にことの意味を見てとっていた。さらにいえば、もちろんそこには、この新しい「父」が天皇のみならず、彼女を含む無辜の民を飢餓から救い出してくれることへの期待があったことも間違いない。


筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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