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広島市民奉迎式場で市民の歓迎に帽子を振って応える昭和天皇。右奥は元広島産業奨励館(原爆ドーム) 拡大広島市民奉迎式場で市民の歓迎に帽子を振って応える昭和天皇。右奥に「原爆ドーム」が見える=1947年12月7日

 前稿(「「昭和天皇の力になる」マッカーサーへの眼差し」)で参照した袖井林二郎の著作によれば、マッカーサーへの手紙は「危機と激動のなかでしぼり出された日本民族の生の声」(袖井前掲書『拝啓 マッカーサー元帥様――占領下の日本人の手紙』)だった。ただし「生の声」だけに、その言葉つきには野卑や魂胆が透けて見えた。数カ月前までの敵国の将に対する美辞や麗句は紛れもない「媚態」であったし、自身の豹変を忘れたふりをするのは明らかな偽装だった。その意味に限っていえば、確かに敗戦は「普遍的な転向体験」(久野収・鶴見俊輔前掲書『現代日本の思想――その五つの渦』)を人々にもたらしたのである。袖井は著作の中でそれら「生の声」の無節操に向かって叱りつけるようなコメントを書きつけた。

 しかしここで見るべきは、強者や勝者が現れたとき、その“勝ち馬”に乗ろうとするプラグマティスムがみごとに復活したことの方である。総数50万通という量もさることながら、それらの投書が採り上げたテーマの多様性にも驚かされる。長らく「国体」が強いてきた従順と禁欲の規約が解けたとき、人々は(過去の自分と現在の自分の一貫性など歯牙にかけず!)マッカーサーという機会(チャンス)に向かっていっせいに走りだしたのだ。

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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