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築地市場の「のれん」で小池都知事と闘う人々

永尾俊彦 ルポライター

 都議会第1回定例会は2月20日に開会したが、小池百合子東京都知事のついた「嘘」が追及されることになるだろう。2017年6月、知事は「築地は守る、豊洲を活かす」と述べ、築地市場を残すことに意欲を示していたのに、都が今年1月23日に示した「築地まちづくり方針」の素案では国際会議場などがコア施設とされ、「市場」という言葉がなくなっているからだ。しかし、築地市場を守るため、築地伝統の「のれん」を武器に、「お買い物ツアー」というユニークな方法で闘っている市場関係者や都民がいる(2回に分けて掲載)。

小池知事に尽くした仲卸

 「口に入る物を売る市場を、東京ガスの跡地でベンゼンやシアンなどでひどく汚染された豊洲市場に移転させるのもおかしいけど、オレら仲卸の意見を聞かないで移転を強行したのもおかしい」

 白いねじりタオルを頭に巻き、黒い長靴をはいた築地市場鮮魚仲卸の村木智義さんはこう言った。

村木智義さん/2018年12月8日拡大村木智義さん=2018年12月8日 撮影・筆者

 青森県の高校時代に始めた空手を極めたいと卒業後上京、空手の修行をした後、キックボクシングやボクシングに転じ、数年間プロのリングに上がってチャンピオンを目指した。が、次第に何の恨みもない人を殴ることに疑問をいだき、情熱がさめた。

 その頃、生活のために近所の魚屋でアルバイトをしたことがきっかけで「どうせやるなら魚屋のチャンピオンになりたい」と1989年に築地市場の仲卸店に移り、10年弱の下働きの後、独立した。

 築地市場に7社ある卸会社が全国から集荷した魚などをセリや相対取引(直接交渉)で買い付け、小分けにし、町の魚屋、居酒屋、スーパーなどの買い出し人に売るのが仲卸の仕事だ。

 当時は、現在の豊洲市場の2倍になる1000軒以上の仲卸の店があり、しのぎをけずっていた。

 その中で、村木さんは商才がないことに気づく。

 「オレは商売は全然ダメだね。愛想悪いし、人相悪いし、言葉も悪い」

 しかし、ぼったくられたり、質の悪い魚をつかまされた時も相手のせいにしなかった。空手やボクシングで負けるのは自分が弱いからだ。

 「人のせいにしているようじゃプロじゃない」

 教訓にして魚を見分ける目利きの眼を磨いた。

 「いいモンを安く売る」という商売の基本を徹底した。客が困っている時は赤字になっても助けた。客の親族の葬式にも駆けつけ、手伝った。このような実直さで固定客をつかみ、「生き馬の目を抜く」と言われる築地で、自分の店を4店舗まで増やした。

 2014年12月9日、舛添要一知事(当時)は豊洲新市場の土壌汚染対策工事が完了したことを受け、「安全宣言」をした。翌15年7月には豊洲市場を16年11月7日に開場することが決まった。

 しかし、2016年、舛添知事が家族旅行などの費用を政治資金として処理していた公私混同問題が発覚、同年6月、結局辞任に追い込まれた。

 翌7月の都知事選では、小池百合子元防衛相が「豊洲移転は立ちどまって考える」と公約して立候補した。

 突如「救世主」のように現れた小池候補の当選に夢中になって尽くした仲卸は少なくない。村木さんも小池候補が市場周辺を練り歩く際、長靴にねじりタオル姿で付き添い、声をからして支持を訴えた。同氏が主宰する政治塾にも5万円を払って参加、小池氏らの5回の講義を聴いた。

 「スカイツリーの建設費が684億円。豊洲は土壌汚染対策費だけで864億円。こんなバカな話がありますか!」

 小池氏は豊洲に市場を移す愚策をべらぼうな土壌汚染対策費から小気味よく突いた。「おお」と村木さんは感じ入った。豊洲市場の総事業費に土壌汚染対策費のほか、用地費や建物建設費など約6000億円も湯水のように注ぎ込んだことも小池氏は批判した。

 当選後の2016年8月31日、小池知事は移転延期を発表した。

 「約束通りやってくれた」

 村木さんら市場関係者の大半は快哉を叫んだ。


筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『ルポ どうなる? どうする? 築地市場――みんなの市場をつくる』(岩波ブックレット)、『国家と石綿――ルポ・アスベスト被害者「息ほしき人々」の闘い』(現代書館)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです