首相自身が南北会談実現を主導すべきだ
2019年02月26日
報道によれば、安倍首相が米政府関係者の非公式の依頼を受けて、トランプ米大統領をノーベル平和賞選考委員に推薦したという(朝日新聞2019年2月17日、2月20日付)。
これが本当なら、日本国民として恥ずかしいとしか言いようがないが、一面では、「権威」あるノーベル(平和)賞にさえひそみうる政治性をかいま見させた点で、よかったと評価すべきか。
すでに、キッシンジャー元米国務長官(1973年)や佐藤栄作元首相(1974年)が受賞して、ノーベル平和賞は相当に価値を落とした事実がある。
キッシンジャー元米国務長官はベトナム戦争終結へ向けた流れを作ったとはいえ、そもそもアメリカ政府が「自作自演」したトンキン湾事件(1964年)以来、一方的な「北爆」がベトナム戦争を本格化させたのである。佐藤栄作元首相の場合は、「非核3原則」を無にする方向で動いていたのに、選考委員会は「非核3原則」の推進ゆえに同氏に賞を与えた。
こんな不名誉な授賞があるというのに、今度はトランプ・安倍コンビによってその二の舞いが演ぜられるのだろうか。
総じて「絶対的権威」の価値が相対化されること自体は、一般論としてむしろ望ましい。今回もノーベル賞全般に対してそうした目が育つなら幸いである。だが近年、ノーベル平和賞は、非常に重要な活動を行っている個人・団体に与えられてきただけに、やはりこんな形でその権威が下がるのは残念だと言わなければならない。
近々マララ・ユスフザイさんが初来日して講演を行うが、彼女が見せたパキスタンに残る因習に対する徒手空拳のたたかいや、性犯罪被害者への日の当たらない地道な支援を行う運動家・被害者等に賞を与えた選考委員会の姿勢は大いに評価できる。一昨年(2017年)のICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に対する授賞も、すでに10年近く前となるが、中国の民主化運動の活動家・劉暁波(リュウ・シャオポウ)に対する授賞もそうである。権力をもたない者(時に被害者)が、生身の体をさらして、現状と素手でたたかおうとする行動は、非常にとうとい。
だが、権力者が強大な権力を用いて行った外交を評価するにあたっては、その暗部をふくめて慎重に判断されるべきだ。トランプ氏が、移民排斥にまい進し、INF(中距離核ミサイル)全廃条約の廃棄を公言し、非常事態宣言まで出して米民主主義の伝統にくさびを打つようなことを平気でするとき、安倍首相の推薦は単にバカげているばかりか、世界の平和にとって危険でさえある。
ノーベル平和賞は、受賞が決まると(トランプ氏の受賞はありえないと思うが)、受賞者の見えざる素顔・背景が明らかになっても授賞を取り消すという伝統が選考委員会にないだけに、ひとたびトランプ氏への授賞を決めたら、とりかえしのつかないことになる。こんなことで、ノーベル平和賞を汚してはならない。
もっとも、そもそも、「ノーベル平和賞」自体が大きな矛盾をかかえた賞ではないのかという疑念が私にはあるが、これを論ずる前に、今回の推薦者が安倍首相であった点について、ふれなければならない。
安倍首相がトランプ氏を候補にと推薦した最大の理由は、氏が北朝鮮との対話に乗り出して、そのミサイル発射を止めることに寄与しつつある点のようである(朝日新聞2月17日付)。
だが、日本政府のトップが、つまり常に日韓関係における「未来志向」の重要性を語り、実際日韓関係改善に向けた最高の外交的責任を有する者が、自らはそれに資する政策はろくに行わず、それどころかますます日韓関係に悪影響をおよぼすような態度を堅持しつつある――つまり安倍首相・日本政府は韓国に対する「過去の清算」の必要を頭から無視している――姿勢は、根本的に間違っている。
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