メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

[書評]『新・旧銀座八丁 東と西』

坪内祐三 著

中嶋 廣 編集者

惜別と郷愁

 坪内祐三さんは、かつてあった東京というテーマでは、余人の追随を許さない、というより、今ではこの人だけが、こういうテーマで書くことができるんじゃないか。

『新・旧銀座八丁 東と西』(坪内祐三 著 講談社)定価:本体1600円+税拡大『新・旧銀座八丁 東と西』(坪内祐三 著 講談社) 定価:本体1600円+税
 記述の正確さなんかじゃないんだ。もちろんそれもあるけれど、そこにある圧倒的な郷愁、そして惜別、それが南伸坊の30余点の挿絵を添えて、胸に沁みわたってくる。

 この本は東京でも銀座、それも1丁目から8丁目までを、東と西に分けて記述していく。なぜ今、銀座を書かなくてはいけないかというと、2020年に東京オリンピックがある。それで東京という街は激変するに違いない、銀座も急激に変わっていくに違いないから。

 かつて銀座には古いものも残っていた。

 「三信ビルや交詢ビルといった戦前からの建物も残っていた。/二十一世紀に入ってそれらのビルが取り壊された。それだけでなく『松坂屋』デパートや『ライオン』銀座五丁目店や、そばの『よし田』の旧店舗も消えた。/だから書き始めなければ」(/は改行)

 そういうわけで、新旧の銀座八丁を隈なく書き記そうというのである。

 坪内さんは若い頃、雑誌『東京人』の編集者だった。そのころ編集者として、銀座に人が住めなくなった理由を取材したことがある。

 「取材を進めて行く内に、住めなくなった最大の理由が消防法の改正であることがわかった。つまり、店舗として営業する場合、防火用のスペースを一定以上とることが義務づけられ、住居スペースがなくなってしまったのだ」

 これは全然知らなかった。私一人ではなく、たぶん知っている人はほとんどいないのではないか。消防法を変えることが、街の景観をがらりと変えてしまうことになるとは。

 坪内さんは本書のプロローグの最後を、こんなふうに締めくくっている。

 「その資料と私の経験した昼の銀座と夜の銀座、さらには現在の銀座のフィールドワーク、銀座人たちへのインタビューなどによって、二〇二〇年の東京オリンピック前の銀座を総合的に書き記して行きたい。総合的、つまり銀座一丁目から八丁目までの東と西、計十六回連載する予定だ。乞うご期待」

 で、まず最初は「銀座三丁目 西」。「……『プランタン』のところまで歩いて行ったら、『プランタン』は閉店セールをやっていた。年内終了だという。/八〇年代に建てられたものまで取り壊されて行くのか」

 そう、こういうことなんだ。それにしてもプランタンが消えていくとはね。

 そして新しい銀座が見えてくる。

 「……マロニエ通りを中央通り方向に進み、三丁目の角に立つ。/『シャネル』のビルだ。しかも驚いたことに中央通りの向こうは『ルイ・ヴィトン』、マロニエ通りの向こうは『カルティエ』、そしてもう一つの角に『ブルガリ』。/なんてこった。/今の若い女性にとっては、たぶん、銀座の中心は四丁目交差点ではなく、二丁目交差点なのだ。/私は、時代に取り残された浦島太郎だ」

 本当になんてこった、だ。そしてそういうブランド・ビルに囲まれて、はっきり「浦島太郎だ」と言い切るところがおかしい。

 坪内さんの銀座話はディテールが面白い。細部にこそ神は宿りたもうのだ。だから本当は、こまごましたところを挙げていくのが面白いのだが、それでは結局、全文を引くことになってしまう。だから私が恣意的に引くもので、全文を推測していただきたい。

 次は「銀座五丁目 西」、ここにはかつて有名な書店が複数あった。

 「『近藤書店』の平積み、そして棚が私は大好きだった。/私の初めての著書『ストリートワイズ』(晶文社、一九九七年)を『近藤書店』はとても良い位置に平積みしてくれた。それは、東芝ビルの一階にあった『旭屋書店』も同様だった。出版不況がささやかれつつも、私はそれなりのベターセラー作家だったのだ。それからちょうど二十年。今の私は初版作家だ」

 旭屋も近藤書店も懐かしいけれど、それよりも、「今の私は初版作家だ」という坪内さんの、苦笑いを含んだ言葉がちょっとおかしい。

 話変わって「銀座六丁目 東」は、GINZA SIXというファツション・ビルが、鳴り物入りで作られたばかりだ。坪内さんはこれが気に食わない。

 「私は土地に霊があることを信じる者だ。GINZA SIXがオープンした翌日、四月二十一日、銀座通りを渡った西側で白昼強盗が起き何千万円かが奪われた。銀座の真ん真ん中でこんなことが起きるとは信じられない。それはきっと、この土地の霊が怒ったのだろう」

 これはどうも無茶苦茶な話だが、気持ちはよくわかる。

 銀座はどんどん変わっていく。ちなみに渋谷もそれに劣らず変わっていく。その変わっていくところが、渋谷でも銀座でも同じ方向に沿っている。どちらも先端のファッション性を誇って威張り顔である。渋谷も開発が成った暁には早晩、何億円かが奪われる白昼強盗が起きる、かもしれない。これはすくなくとも住んでいる人には関係がない。というか住んでいる人はもういない。人間が住むことのできない街だ。

 坪内さんは「銀座六丁目 東」の章を、こんな言葉で終えている。

 「この弁当を買ってコリドー街、『ロックフィッシュ』の入っているビルの最上階の『きらら』の窓際の席で終点東京駅に向かってゆっくり走って行く新幹線を見ながらバーボンソーダを飲んだらとてもおいしいだろう。/しかし『きらら』も店を閉じて十年近くなる。/すべては遠い昔の出来事だ」

 本当にそうなんだなあ。

 「銀座二丁目 東」では文具の伊東屋に重要な目的があって行った。次の引用は、坪内さんが『文藝春秋』に持っている「人声天語」というコラムから。

 「……私はメールもやらないし携帯も持っていないし、いまだに手書き原稿だ。つまり、原稿用紙に、万年筆で、原稿を書く」

 これが2006年1月号で、さすがに10年以上たっているから、携帯を持ちメールをやるようになっている。でも相変わらず原稿は手書きである。つまり原稿用紙が必要なのである。

 手に合った原稿用紙を求めて伊東屋の本館や別館を歩く。結局その日はなくて、代金だけ払い、後日連絡を待つことにする。待ったけれども、その原稿用紙は製造中止になっていた。嗚呼、原稿用紙がない!

 ここでもやはり、結びの言葉を引いておく。

 「……私はもう二度と『伊東屋』に足を踏み入れないだろう。/銀座二丁目東の歩道に『銀座発祥の地』という碑が建っている。つまり銀座でもっとも由緒ある場所なのだ。/しかし『オリンピック』も『キッチンラーメン』も消え、『伊東屋』にも用がなくなった今、私にとって銀座二丁目東は、ただ通過するだけの場所になってしまった」

 これは「銀座一丁目 東」でも同じ嘆きが繰り返されている。やはり結びの言葉だが、もっと露骨になっている。これはホテル西洋銀座の跡地がどうなっていくか、という話なのだが、調べてみるとコナミの巨大なビルが建つ予定なのだ。

 「コナミという会社を、私はスポーツジムあるいはゲーム会社として認識しているが、いずれにせよ私とは無縁だ。『テアトル東京』や『セゾン劇場』にあった文化の香りがまったくない(明治の頃には、その場所に『金沢亭』という寄席があったという)」

 そして最後の一文。

 「銀座はどんどんつまらない街になって行く」

 坪内さんが、銀座らしいところが消える前に何とか書き残そうとするわけは、「囲いによって形が消えると、人間の記憶も消えてしまうのだ(だから風景を書き残す必要があるのだ)」ということ。だからもう、これはタッチの差なのだ。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

中嶋 廣

中嶋 廣(なかじま・ひろし) 編集者

1953年生まれ。新卒で入社した筑摩書房はすぐに倒産。9年後、法蔵館へ移籍し、『季刊仏教』を編集しつつ、『上山春平』著作集や養老孟司『カミとヒトの解剖学』などを編集。2001年、トランスビューを設立し、池田晶子『14歳からの哲学』、森岡正博『無痛文明論』、島田裕巳『オウム』、小島毅『父が子に語る日本史』、チョムスキー『マニュファクチャリング・コンセント』などを手がける。