メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

[書評]『食べたくなる本』

三浦哲哉 著

大槻慎二 編集者、田畑書店社主

文体を味わう「料理本批評」

 みすずにしてこのテーマ。触感のいいナチュラルホワイトのファンシーペーパーにタイトルと著者名だけが細い明朝で箔押しされているだけのミニマルな装丁。そしてこのタイトル。もう売れる要素がすべて出揃った、降参、という感じの本だ。

『食べたくなる本』(三浦哲哉 著 みすず書房)定価:本体2700円+税拡大『食べたくなる本』(三浦哲哉 著 みすず書房) 定価:本体2700円+税
 中身はといえば、気鋭の映画評論家がPR誌「みすず」に2年にわたって連載した「料理本批評」である。もちろん連載時の原稿に大幅な加筆修正を施しているのは、単行本用に再構成されただろう秩序立った目次を見てもわかる。

 しかし考えてみれば、一冊を費やして「料理本を批評する」という本が今までなかったことの方が不思議なくらいで、そういう意味ではこの企画を思いついた編集者の手柄にちがいないが、一冊を読み切ってみると、この本の真の魅力は、連載を重ねていくうちに編集者も、おそらくは著者自身も気づかなかっただろう資質が、「料理本」を批評対象に据えることでグイグイと引き出されていくライブ感にあるのだと気づく。

 そういう偶然性は読者の方にも伝染してきて、読み進めるにしたがってまさにわが意を得たりと思われたり、過去の経験が急にフラッシュバックすることがしきりだった。それは「食」という万人に共通でありながら実に個別的なテーマを扱っているのだから、ある程度当たり前のことかもしれないが、それにしても懐かしい人に街角でばったり会った感が否めないのは、こちらのかなり個人的で特殊な事情によるのかもしれない。

 その「懐かしい人」とは丸元淑生と勝見洋一で、ふたりとも編集者をやってなければ人生において決して交わらなかっただろう人たちだが、それだけに思い出は深く印象は強い。

 丸元さんとは仕事の上ではたった一度だけ、「一冊の本」という朝日新聞の読書誌をやっていたときにご一緒した。写真家の上田義彦氏にポートレートを撮ってもらい、その撮影時の印象を短文にまとめるという連載企画だったが、取材で一度訪れれば済むはずの大磯のお宅には二度三度とお伺いすることになり、終いには丸元さんの手料理をご馳走になるという、とてつもなく贅沢な時間をいただいた。

 そして本書の著者と同じく大いに感化を受けてさっそくビタークラフト鍋を購い、丸元さんの代表作となる『からだにやさしい料理ブック 全4冊』は、しばらくの間バイブルとしてキッチンにあった。

 また、勝見さんとは短くはあったが、『ラーメン屋の行列を横目にまぼろしの味を求めて歩く』というすこぶる長いタイトルの単行本を作ったり、サントリー学芸賞をとった出世作『中国料理の迷宮』を文庫に頂戴するなかで、濃密なお付き合いをさせていただいた。いまでも思い出すのは、横浜は野毛の駐車場の片隅にあったバラックの鮨屋で大将の握る絶品の鮨を頬張ったことや、「どじょうってのはね、刻みネギを沢山食べるためにある料理なんだよ」と呟きながら、「まる」の鍋を囲み、額に玉の汗を浮かべていた勝見さんの横顔である。

 そして著者のいう丸元さんの内に秘めた過激さは、初冬の庭にはびこる枯れ草をまるで仇を打つように鎌で刈る姿に見たし、勝見さんの虚実皮膜は、唇についた羊肉の串の脂を拭いながら、とめどもなく溢れ出てくる嘘のようで本当な(あるいはその逆も有り)話のなかにうかがえた。

 このふたりは秩序正しく整えた目次を縫うように、あちこちのページに顔を出す。本書には他にもさまざまな料理家が登場するが、このふたりには著者も執着が強いのだろうと感じるのは、知己のもつひいき目のせいか。

 だいぶ脱線してしまったが、自らも好んでキッチンに立つという著者の眼目はもちろんそれぞれのレシピであるし、そのレシピを作り出す料理研究家の「思想」にあるだろう。けれども著者がもっとも五感を開いて味わっているのは、料理本の書き手の文章であり、彼ら彼女らに固有の文体である。そこが「料理批評」あるいは「料理研究家批評」ではなくて「料理本批評」たる所以なのだが、同時にそれは優れた文明批評にも読める。

 そしてその「批評」の手つきが、「表象文化論を学んでフランスで暮らしたこともある映画批評家」という肩書きから想起される“文化的エリート”と一線を画すのは、たとえば郡山で生まれ育ち、父親がコカ・コーラの社員で、自宅に設置されていた自動販売機の在庫品がすべて飲み放題だったことや、子どもの頃「サンキューセットとサンパチセットのどちらがうまいかを大真面目に議論していた」と語る生来の〈自然体〉にあり、味にせよ何にせよ、初めて出会ったものに子供のように感激するその〈自然体〉がより複雑な事情に分け入らざるを得なくなったとき、そこに立ち現れるのがまぎれもない「思想」であるはずだと納得させられるのだった。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

大槻慎二

大槻慎二(おおつき・しんじ) 編集者、田畑書店社主

1961年、長野県生まれ。名古屋大学文学部仏文科卒。福武書店(現ベネッセコーポレーション)で文芸雑誌「海燕」や文芸書の編集に携わった後、朝日新聞社に入社。出版局(のち朝日新聞出版)にて、「一冊の本」、「小説トリッパー」、朝日文庫の編集長を務める。2011年に退社し、現在、田畑書店社主。大阪芸術大学、奈良大学で、出版・編集と創作の講座を持つ。フリーで書籍の企画・編集も手がける。