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安田菜津紀さんを育んだ絵本との出会い

“遠い地”へと向かう行動力と感性はどうやって生まれたのか

前田礼 コーディネーター/アートフロントギャラリー

月に300冊の絵本の読み聞かせ

絵本との出会いをつくってくれた母に感謝すると語る安田さん拡大絵本との出会いをつくってくれた母に感謝すると語る安田さん
 読書会のために、安田さんが選んだのは2冊の絵本だった。

 安田さんが幼い頃、彼女のお母様は毎日10冊、月300冊の絵本を子どもたちに読み聞かせたそうだ。人をいじめる子、いじめられない子に育てたい、それには「絵本だ」と思ったという。ひとつの図書館で絵本を読みつくしてしまうと、次へ、また次へと図書館を巡る。

 一日10冊というのは相当な数だ。読む方も、聞く方も相当な気力がいる。若い時には"やんちゃをしていた”というお母様は、子ども達が眠りそうになると、ドスのきいた声で子どもたちの目を覚まさせた、と安田さんは声音を真似しながら、ユーモアたっぷりに語ってくれた。

 親子で一冊の本を同じ時間と場所で分かち合う、それがコミュニケーションの起点になる。月300冊の絵本の読み聞かせは、安田さんの人間としての核をつくったと言えるだろう。それはまた、子育てにおけるお母様の自負でもあった。

『100万回生きたねこ』との出会い

 そんな読み聞かせの中で出会ったのが佐野洋子の『100万回生きたねこ』だった。初版が1977年。40年以上読み継がれているベストセラーだ。

 ――自ら誰を愛することもなく、100万回も生き死を繰り返していた1匹の猫が、白いメス猫と出会い、いつまでも共に生きたいと願う。やがて白い猫の死によって、別れのときが訪れる。猫もその後を追うように死ぬ。しかし決して生き返ることはなかった。

 この絵本をお母様が初めて読み聞かせた時、安田さんは「なんでこんな悲しい絵本を借りてきたの」と珍しく泣いて怒ったそうだ。それにも関わらず、お母様は何度も繰り返し、この本を借りてきては読み聞かせたという。

 幼い安田さんは、そこに描かれた愛と死をどう受けとめていいのかわからなかった。しかしお母様は、そこから大切な哲学を子どもたちに教えようとしたのだろう。「どうして生き返らなかったの?」という安田さんの問いに、お母様はその時々にいろいろな答え方をしたという。

 安田さんがこの絵本の意味を初めて受け止めることができたのは、大切な家族を失った時だった。

 中学時代に父と兄を立て続けに亡くし、安田さんは、人を愛することと失うこととは表裏一体だと知る。誰かと会えなくなる悲しみの深さは、愛の深さである。しかし、たとえ痛みを伴うとしても、愛と一緒に受け入れる。死と向き合うからこそ、生が輝く。そのことを安田さんはこの絵本から学び、父や兄の死を少しずつ受け入れていった。

読書会では、安田さんをつくった3冊として、『太陽の子』(作:灰谷健次郎)、『ビロードのうさぎ』(作: マージェリィ・W・ビアンコ 
絵・訳: 酒井 駒子)、『悼む人』(作:天童荒太)も紹介された。
拡大読書会では、安田さんをつくった3冊として、『太陽の子』(作:灰谷健次郎)、『ビロードのうさぎ』(作: マージェリィ・W・ビアンコ  絵・訳: 酒井 駒子)、『悼む人』(作:天童荒太)も紹介された。

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筆者

前田礼

前田礼(まえだ・れい) コーディネーター/アートフロントギャラリー

東京大学大学院総合文化研究科博士課程(フランス語圏カリブ海文学専攻)在学中より「アパルトヘイト否(ノン)!国際美術展」事務局で活動。アートフロントギャラリー勤務。クラブヒルサイド・コーディネーター。市原湖畔美術館館長代理。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」「ヨーロッパ・アジア・パシフィック建築の新潮流」等の展覧会やプロジェクトに関わる。『代官山ヒルサイドテラス通信』企画編集。著書に『ヒルサイドテラス物語―朝倉家と代官山のまちづくり』(現代企画室)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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