
ソウルの西大門刑務所跡で開かれた3・1独立運動100年の記念集会
請求権を否定した請求権協定
近年、日韓関係のきしみが激しい。竹島問題、「慰安婦」問題、被徴用工による提訴・韓国最高裁の判決等、日韓関係にかかわる記事を目にしない日はないと言ってよいほどである。日本がかつて朝鮮半島を植民地化した事実があるにもかかわらず、これについて本質的な謝罪は一度たりともなされなかった。加えて今年が韓国の独立運動100年にあたる年だけに、今後も日韓関係の冷えこみを解消するのは容易ではない。
なぜこんなことになったのか。多様な事情が関係しようが、まずは1965年の請求権協定おける日本政府のかたくななまでの態度が問われうる。
請求権協定には、請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」と記されている(第2条)。だが、賃金等の未払い企業に対する個人の請求権自体は放棄されたとは言えない。それは、日本の最高裁によってさえ認定された事実がある(杉田「日本は『和解・癒やし財団』解散を非難できない」)。
請求権協定を含む日韓条約それ自体の見直しが求められる。そもそも同条約は東西の冷戦構造の下に成立した。そしてその代理戦争の場となったかのように、朝鮮半島の分断が維持され、韓国内では独裁政権による民主主義の抑圧が長く続いた。だが、冷戦構造が壊れ、同時に自由な歴史研究や被害当事者の自己表明(例えば「慰安婦」の)が可能となることで、植民地時代の様々な事実が明らかとなってきた今、同条約はそれをふまえて見直されるべきである。
そもそも日本側の条約締結交渉時の姿勢は、それ自体非難に値する。後述するように、日本政府は、結局のところ冷戦下において、かつアメリカの経済援助が縮小され始めた時期に、韓国に対して「経済協力」を約しただけであって、それを代償にして、韓国政府が求めていた被害者の請求権を否定した(そしてこれを経済的に劣位の韓国側にも認めさせた)のであるから。
しかも日本は、植民地化を通じて蓄積した資本と、朝鮮戦争で生じた特需のおかげで経済成長をなしとげたが、一方朝鮮半島では1945年、日本が敗戦をいたずらに遅らせたことでソ連の参戦、ひいては南北の分断が招来され(朝日新聞社編『日本とドイツ 深き淵より――戦後50年②』朝日新聞社、1995年、160頁)、またその後の朝鮮戦争によって空前絶後の打撃をこうむった。そうした事実さえ一切無視した日本政府の破廉恥さに、私は唖然とせざるをえない。
元「慰安婦」や被徴用工からの賠償請求訴訟が絶えないのは、当然である。