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[書評]『言葉の品格』

イ・ギジュ 著 米津篤八 訳

今野哲男 編集者・ライター

品格ある批判とは

 本書は「言葉」に関する多岐にわたるエッセイ本。著者のイ・ギジュ(李起周)は、韓国の作家である。ソウル経済新聞などで記者として8年間を過ごした後、大統領府のスピーチ・ライターを経て、2010年に作家デビューを果たしたという。本書の姉妹編『言葉の温度』は、130万部を売ったというから、彼の国では相当な人気者だ。日本で昨年話題になったベストセラー『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎 原作、羽賀翔一 画、マガジンハウス)が推定150万部強(オリコン調べ)だから、単純に両国の人口比概算(韓国5000万強:日本1億2000万強≒1:2.4)を考えただけでも、その人気ぶりが想定できる。乱暴に言えば、日本に置き換えた場合、130万の2.4倍、都合312万部を売りつくす計算だ。

『言葉の品格』(イ・ギジュ 著 米津篤八 訳 光文社)定価:本体1600円+税『言葉の品格』(イ・ギジュ 著 米津篤八 訳 光文社)定価:本体1600円+税
 インターネット熱とその社会・政治的な影響が、良くも悪くも日本よりも顕著だと言われる韓国で、日本の出版不況を尻目に、1冊でこれだけ売った作家ということだけでも、十分に読む興味が湧く。しかし、関心をそそられる点が、他にもあった。

1. 『言葉の温度』に引き続く本書を、日本の若者にも人気のある韓国の『東方神起』のメンバーであるチャンミン(最強昌珉)が、自身のInstagramで書影入りで紹介していること(『東方神起』は、韓日にまたがるトップ・クラスのK-POP男性ダンス・ボーカル・グループで、2008年には日本レコード大賞にノミネートされて優秀作品賞を受賞し、同年のNHK紅白歌合戦にも出場した)。

2. 日本ではその情報が、ファン・クラブのSNSなどを経由して、読書好きとは一風異なるサブカル層とでも言うべき人たちに(できればこの2つの層に、重なる部分が少なからずあることを望みたいが)、「チャンミンが薦めた本」として広まっていて、若い人たちの間に「あたしも読みたい」人とか、甚だしい場合は「この際、韓国語(ハングル)を勉強しちゃおうか」という人まで、つくりつつあるらしいこと。――筆者がネットで出くわした例では、翻訳前の自分では読めないハングルの原書を入手して、まるで宝物のように愛しんでいるファン、翻訳が出たら「2年かけても読む」と宣言するファンなどがいた。

3. そんな動きはつゆ知らず、日本の巷ではいい年をした、決して少なくはない数の大人たちが、罰則のないことをいいことに「反ヘイトスピーチ法」などは平気で無視し、他者を慮ることができない若者たちの、自家中毒めいて陰惨きわまるヘイトスピーチや、ある程度の商業的な計算が立つことから変わらずに続いている「反・在日本」や「嫌韓本」の発行を、裏側から後押しするごとき発言を続け、最近では、他を謗るばかりで自省のかけらも見えない、この狭く貧しい旧宗主国的な精神の流れが、日韓(=韓日)関係の政治的場面の現下の危うさに、油を注いでいるかのように見えること(彼らは、日本が実際には宗主国以上の支配≒併合をしたことなど、忘れ去ったかのごとき態度を頑として崩さない。最近、宗旨変えをしたと思しい現・外務大臣をはじめ、日本の政治家たちが、精神的な「親日清算」を進める韓国を諫めるかのように使う「未来志向」といういかにももっともらしい言葉などは、本来、過去のいきさつを尊重しこそすれ、都合よく無視するものでは全くないはずだ)。

 そして、おまけの4. 以上1と2の事実や印象と擦れ違う、あるいはこれと必要以上に対立する3.の事態への憂慮に加えて、わたしにはこの本を読むきっかけになった、やや個人的なもう一つの事情があったこと。

 以下4.について簡単に触れておく。本書のタイトルでも使われている「品格」という言葉に対する、微妙な違和感にまつわる話である。

 話はやや飛躍するが、坂東眞理子氏の『女性の品格――装いから生き方まで』(PHP新書)が一大ベストセラーになったのは2006年、今から13年前のことだった。版元の担当編集者と親しくしていたこともあって読まなければと思いながらも、「品格」といういささか大時代的な言葉に、既成道徳を押し付けられそうな気配を感じ、わたしは続編の『親の品格』(2007年)ともども、得意の「読まず嫌い」を決め込んでいた。ところが……。

 それから約5年がたった2011年。3・11の東日本大震災と重なって、福島第一原子力発電所(1F:いちえふ)で史上最悪の「人災」が起きる。その報道がもたらすストレスが嵩じたかのように、直後に梗塞で倒れたわたしは、以後約半年に及ぶ入院生活を強いられ、軽い鬱気味の状態でリハビリを始めた。その時だった。坂東眞理子と上野千鶴子との対談『女は後半からがおもしろい』(2011年5月、潮出版)が出たのは……。

 その中身は置くとして、意外だったのはその組み合わせだった。互いに背を向けた「水と油」の論者だとばかり思い込んでいた二人が、おのおのの方向性こそ違えど、男社会に異をとなえる同世代の尖兵としては、実は似通った意気地と精神的バックボーンに貫かれていて、そのことが、両人に「女は後半からがおもしろい」と等しく言わせていることに驚いたのだ。わたしはそのことに思いもしなかった元気をもらい、「男は病気をしてからがおもしろい」などと、冗談ではなく鬱気味だった自分を励まし、「品格」という言葉をきっかけに、坂東氏にいらぬ偏見と予断を持っていた5年前の自分を深く羞じたのだった。

 さて「品格」という言葉を転倒したフックにして、1.から3.の事情を背後に感じつつ読んでみた本書『言葉の品格』が、果たしてどういうことを感じさせてくれたか。

 総じて言うと、政治的には「リベラル」で「緩く」、「(1.と2.の若い人たちのことを思えば、ときに必要以上なくらいに)固くて真摯な」印象はあったものの、少なくとも日本の嫌韓論者が口にするような「謀(たくら)み」や「曲解」とは遠く離れた印象だったし、このような書物が、仮にチャンミンの後押しと言われるようなことがあったとしても、両国で等しく読まれることについては何の違和感もなかった。これが、一連の「嫌韓本」とは大違いであることを、まず確認しておきたい。

 その上で多少細かいことを言っておけば、本書はもともとが文学色の濃いエッセイであり、その読ませどころには、文体の繊細なニュアンスや、多用されている中国由来の漢字熟語に拠っていることが多いこと。つまり、同じ漢字が違った意味を持つという漢字圏国同士の困難な事情があったことが想像されること。さらには、日本に比べると、韓国では比喩的に使われる風景描写が過剰だといった文化差があること。

 以上のことから、翻訳でそれを違和感も過不足もなく伝えるのは、なかなか難しいだろうと感じる箇所があり、それ自体は否応のないことだとしても、それらと同様のことが、政治の局面でまかり通ることだけはないようにしなければと、あらためて思った(因みに本書は一講から四講までの四部構成で、その章題は全て漢字の四字熟語から成り、各章は6つの節に分かれていて、節の見出しが同じく漢字2字の熟語でできているという、韓国が漢字圏の国であったことを思い知らせてくれるつくりになっている――余談になるが、本文には「中国と韓国の東アジア云々~」といった表現まであって、わかっているとは言いながら、わが「日本国」が入っていないことにドキッとしてしまった。「大東亜共栄圏」という病的な幻想をなくして、そこからの快復がままならないままにここまで来た日本には、もう「アジアの一員」に戻る道は許されないのだろうか!)。

 そんな中で、心に響いた好ましい多くの言葉のうち、最後に一つだけ紹介しておきたい。わたしはこの言葉を、自分たち日本人に向けられた言葉として読みたいと思って読んだのである。

 物事の是非を判断し、誤りを批判することは、それほど簡単なことではない。批判という字は、手へんに比べるという字が合わさった漢字だ。物を手のひらの上に載せて、多様な角度から見つめながら総合的に判断するのが、正しい批判なのだ。
 誰かを指差した瞬間、相手を差したその指は人差し指だけだ。親指を除く残り三本の指は「自分」に向っている。三本指の重さに耐えられるとき、初めて人を指差すべきだ。他人を指差す前に、自分にやましいところがないか、少なくとも三回は問いただしてみよう。
 私たちはつねに他人のことを批判して生きているが、本当の批判は、むやみに相手を批判しない態度を会得した人だけに可能なのかもしれない([四講]大言炎炎(たいげんたんたん) 大きな言葉には力がある 「人の心をつかむことは、宇宙をつかむようなものだ」 2 批判 温かさから生まれる冷たい言葉)

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。