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[書評]『蕪村』

揖斐高 著

松澤 隆 編集者

6つの柱で読み解く〈虚構〉の真実

 おなじみの「無人島にもっていく一冊は?」という、苦楽が交錯する問いにどう答えますか。いまなら迷わず、本書と答えます。

『蕪村――故郷を喪失した「仮名書きの詩人」』(揖斐高 著 笠間書院)定価:本体1300円+税『蕪村――故郷を喪失した「仮名書きの詩人」』(揖斐高 著 笠間書院)定価:本体1300円+税
 もともと歌集や句集は、質量の点から「一冊」として優位。中でも蕪村は、五七五から、絵や物語が浮かび、つれづれの独居に最適……でも全句(発句だけで約2800)には付き合えない。そこで発句49句と、俳詩「春風馬堤曲」、計50篇を解説した本書を選ぶ。「そんな数じゃ物足りなくなるのでは?」という方に以下、本書の特色を紹介したい。

 本書は、類書のような季題別順や成立年代順ではない。蕪村句にはどんな特徴があるかを端的に理解できるよう、6つの柱に分類し、配列し、鑑賞する。すなわち、〈Ⅰ 故郷喪失者の自画像〉〈Ⅱ 重層する時空―嘱目と永遠〉〈Ⅲ 画家の眼―叙景の構図と色彩〉〈Ⅳ 文人精神―風雅と隠逸への憧れ〉〈Ⅴ 想像力の源泉―歴史・芝居・怪異〉〈Ⅵ 日常と非日常〉の6章。

 各章冒頭では、近世文学の背景を踏まえたうえで、稀有の巨星・蕪村が発する無限の輝きの諸相を存分に説明してくれる。もちろん、〈句の特徴は一つに集約されるものではなく、一句一句を見てゆけば複合的な特徴〉も、見出される。だが、〈特徴を際立たせるために、敢えてこのような配列を試みた〉。異議なし。

 例句を少し紹介すると、Ⅰの《これきりに小道つきたり芹の中》、Ⅱの《遅き日のつもりて遠きむかし哉》、Ⅲの《菜の花や月は東に日は西に》、Ⅳの《鮎くれてよらで過行く夜半の門》、Ⅴの《御手討の夫婦なりしを更衣》、Ⅵの《うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉》……。重要なのは、直ちに理解し賞玩できそうな句であっても、それが単純な「写実・写生」の成果ではないということ。

 著者は近世文学の泰斗だが、業績は俳文学よりも江戸の漢文学研究に顕著である。著者によって我々は、先行する詩文を〈表現上の種々の格式によって分類・例示〉(柏木如亭著、揖斐高校注『訳注聯珠詩格』解説、岩波文庫)した書物が、中国本国で少なからず登場し、それを追慕した翻刻や解題が近世日本で広く行われたことを学び、個々の詩句への嗜好は、それを含む「分類」、いわば「見方」とともに普及したという理解を、すでに得ていた。

 その延長線上に、本来外国文学であった中国古典は近世に至り教養としての受容の域を超え、〈自己の生活の中に古典的な文雅風流に遊ぶ場を確保しようとする〉「文人」たちを生んだ経緯を、本書で再確認する。もとより俳諧の成立と深化を考えれば、漢文学の素養は常識であろう。しかし、素朴な俳文学の専門家なら、蕪村の句を6つの特徴に分類・配列する、などという英断には踏み出せなかったはず。すなわち本書の意義は、著者が漢文学研究で培った造詣と見識を、蕪村という類まれな名山へ至る準備としただけでなく、その山頂を踏みしめ、山容の全貌に触れるための不可欠な装備としたことにある、と言っていい。

 一例を〈Ⅵ 日常と非日常〉に見よう。《我を厭ふ隣家寒夜に鍋を鳴ラす》。明治中期に(当時は芭蕉に比べ遥かに無名の)蕪村を発掘した正岡子規と一門は、これを〈蕪村の実生活を詠んだ句〉と解釈した(『蕪村句集講義』平凡社・東洋文庫)。実は「貧居」が主題の〈題詠句〉で、『史記』楚元王世家に載る、漢の高祖(劉邦)の若き日の故事に由来すると著者は説く。客を連れ訪れた劉邦に、義弟嫌いの兄嫁は鍋に羹があるのにわざと鍋底を鳴らし何も残ってないと偽った――。

 蕪村には、《狩衣の袖のうら這ふほたる哉》《鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉》のように、『源氏物語』『保元物語』など日本古典の一場面を彷彿させる秀吟も多い(いずれも〈Ⅴ 想像力の源泉〉で解説)。同様に中国古典『史記』などからも縦横に取材し作句した。「我」とは単に蕪村自身ではなく、雌伏期の劉邦という「見立て」なのだ。子規らの「俳句革新」の功を認めないわけではないが、あまりにも「写生」実作を重んじた結果、鑑賞においても「題詠」の含蓄を疎かにした罪は軽くない。

 著者はいう。蕪村は〈日常生活を素材〉にしても〈あるがままの日常をそのまま詠んだわけで〉はない。〈多くは句会での題詠句〉で、だからこそ〈趣向を構え〉〈時には虚構を用い〉〈感慨や情景に相応しい一句〉を希求した。その際、〈自意識の表現〉や〈非日常のいわゆる実存的な不安や恐怖〉まで、〈日常風景の一コマを切り取ったような句のなかに詠み込もうとした〉のだ、と。

 蕪村作品最大の虚構は、本書が冒頭に置く俳詩「春風馬堤曲」である。薮入りで道を急ぐ10代の女性の独白形式を借り、生涯その出生を語らなかった蕪村62歳の〈熾烈な望郷の念〉が詠み込まれている。女性の思郷を通じ花鳥や景観を詠む手法は、これもまた中国明代に先駆があるそうだが、ここでは文人趣味の見立てと同時に、〈望郷の念〉を〈虚構の中〉でしか表現できない、蕪村という個性に思いを致すべきだろう。50句しか選べない本書の制約(各巻の掲載が概ね50首[句]の軽便な叢書の一冊)のなか、著者がこの異形の俳詩を掲げたのは、〈何らかの理由によって故郷から切り離され〉た〈故郷喪失者〉という、蕪村の〈文学性に関わる根本的な問題〉を最もよく表しているからだ。

 門人への手紙から、この俳詩が〈芝居仕立ての道行〉の趣向であることを明かし、その虚構への動機は、〈懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情〉に発すると、手紙の核心を引いて論じる著者の手際は、見事。敬服する。この世には〈虚構の中でしか表現できない〉真実がある。無人島で、蕪村が詠む景色、物語、色恋などの〈虚構〉を誦し、真実と向き合う……そんな「終活」への憧れもまた〈虚構〉だろうか。だが現代人の多くは、孤島に紛れなくとも一種の〈故郷喪失者〉ではないのか。蕪村は古びない。その理由その魅力を確かめるのに、本書ほど最適な一冊はない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
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