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手塚雄二展――100年後に明治天皇の気配を描く

明治神宮内陣御屏風の「シュールレアリスム宣言」

菊地史彦 ケイズワーク代表取締役、東京経済大学大学院(コミュニケーション研究科)講師

光を聴き、風を視る

 「手塚雄二展 光を聴き、風を視る」が、3月5日から新装リニューアル成った日本橋高島屋S.C.のこけら落としとして開催されている。会場には、1980年代から昨年までの代表作約70点が展示されている。2010年の「手塚雄二 一瞬と永遠のはざまで」以来の大規模な回顧展である。

 2010年の回顧展は、「寂」「雅」「塊」「謐」「燦」という漢字1文字と「ささやき」という和語をキーワードに構成され、手塚の「核」にある美意識を多面的に切り出した印象があった。今回はそれとうって変わって、手塚自身の画業史を辿るような構成が行われている。画家と同時代を生きてきた私にとって、彼のこの“自分史”はたいへん興味深い。

 まず<1.「シュール」への憧れから自然へ>では、東京藝術大学の卒業制作である「夢模様」(1980)に始まる1980年代の作品が展示されている。改めて驚かされるのは、シュールレアリスム風の初期作品から数年も経たない80年代半ばに、手塚一流の自然画――自然の光景を細密にしかも夢幻的に捉えた画風――が早々と出現していることである。

 彼はその背景を、1984年の長女誕生と妻の長期入院に始まる最初の苦難であったことを明かしている。疲弊した画家はいったん空想や幻想から離れ、「心の拠り所としての自然」(展示解説)に辿り着いたという。

 次の<2.大胆、かつ繊細な視点>と括られた作品群は、1990年代の実験とでもいうべきダイナミックな視点移動の成果である。コペルニクス的転換、すなわち地動説への移行とでも言ったらいいのだろうか。画家は80年代の静謐な世界を飛び出し、描くべき対象との空間的関係を自分の方からつくり直していく。「目の冒険」の時代である。

 そしてこの後が、<3.自分探しの旅――軽井沢シリーズほか>とタイトルされた2010年代の作品群である。正直に言えば、私は「自分探し」という言葉にも驚いた。手塚の雅趣溢れる世界で、こんな若々しい言葉に出会うとは思っていなかったからだ。

 展示解説は、手塚が「二〇〇六年に二度目の回顧展を開催すると、それまでストックしていたイメージが枯渇していくのを感じた」と記している。軽井沢に別荘を建てたのも、「日常から少し離れた場所で、ひとりイメージを育む場所を必要としたから」(同前)であったという。このコーナーに配された作品は、奥入瀬や天橋立や立山などの大きな自然に向き合い、決然とした自立の意志のようなものを見る者に感じさせる。この気迫の正体はいったい何だったのか?

彼方へのロマンチック

こもれびの坂「こもれびの坂」(1996)
 私が最初に好きになったのは、「こもれびの坂」(1996)というさほど大きくない、むしろ愛らしいと言った方が良さそうな作品である。何回も見てきた絵だが、そのたびに身体の内に名づけようのない幸福感が生まれる。現代の作家の絵を見てこんな感情を抱くことはまず他にない。晩秋と思われる山林の中を抜けて、前方へせり上がっていく細い坂道。その両脇の木々から金色に輝く落ち葉が木漏れ日を乱反射して舞い降りてくる。山道が刳(く)り込んだ空間全体が恩寵のような煌(きらめ)きに満ちている。

 実は手塚本人に教えてもらったのだが、この絵は少し腰を落とし、目の位置を下げて見ると金やプラチナの輝きがさらに際立ち、まるで魔法にかかったように変容する。

 光の素晴らしさばかりではない。この絵の「坂」の構図にも強く惹かれるものがある。ゆるやかな傾斜はわずかに左へ屈曲して、木漏れ日を浴びた坂の向こう側への視線を遮っているが、そこにあるもうひとつの世界を強く暗示している。それはこちら側ではない、あちら側のリアリティだ。おそらく画家は夢の中で、その光景を見ているのだろうが、実際の絵の中に決して描き込むことのない、アナザーワールドである。

 こうした此岸と彼岸の二重構造に気づいてから、私にとって手塚の作品の多くはあちら側の予兆に見えるようになった。そのような臆見に従えば、真っ赤な秋野の向こうに大きな太陽を宙吊りにした「夕雅」(1998)も、遥かな海原から寄せる波浪の襞を官能的に描いた「海霧」(2003)も、巨大な鉄橋をやや低い視線から仰いで橋脚塔を遠望した「ブルックリンの雨」(2010)もみな彼岸への怖れと憧れを伝える絵に見えてきてしまう。もっともこんなことを言うと、手塚はにやりと笑って黙っているだけだろうが。

ブルックリンの雨「ブルックリンの雨」(2010)

日月四季花鳥の世界

 2006年の回顧展の後、手塚が感じたという「イメージの枯渇」はいったい何に由来していたのだろうか。個人的な事情は知る由もないが、私はこの時期に手塚の世界に対する観じ方に大きな変化があったのではないかと思っている。

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