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「準強かん」事件、福岡地裁・無罪判決の非常識

男性社会に流布した女性観の妄信

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

レイプドラッグ被害を啓発する映像が流れた。東京都と性暴力救援センター・東京(SARC東京)が企画し、相談を呼びかけている=25日、東京・新宿酒に薬物を入れられる「レイプドラッグ」被害を啓発する活動は各地で行われるようになってきたが……=東京・新宿

 福岡地裁久留米支部で異常な判決があった。テキーラの一気飲みで意識もうろうとなって拒絶不能の状態に陥った女性を強かんした被告に、無罪判決(求刑・懲役4年)が出されたのである。

 その根拠はあまりに薄弱である。被害女性は嘔吐した後も眠り込んだ状態だったというが、それにもかかわらず、女性が「目を開けたり、何度か声を出したりした」事実をもって、被告は、「女性が〔性交を〕許容している、と……誤信してしま〔った〕」と、裁判官は認定したのである(毎日新聞2019年3月12日付)。

 被告が本当にそう誤信したのなら、被告(44歳)が社会人としていかに常識を欠いているかが明らかだが、この言い分を追認した裁判官の常識欠如はそれを上まわる。被告は、あるいはこの言い分を言い訳・合理化に利用しただけかもしれないが、裁判官は本気でこの言い分が成り立つと信じたようである。

 その根底には、今日の男性社会によく見られる女性観がある。

男性社会に流布した女性観

 それは、「女性は誰とでもセックスしたがるし、相手が誰であれ男性の性的働きかけに応じる」という女性観である(杉田『AV神話――アダルトビデオをまねてはいけない』大月書店、2008年、47頁以下参照)。

 今回の事件では、女性が抵抗不能どころか、心神喪失状態にあったにもかかわらず、女性が性交を受け入れたと、裁判官も信じこんでいる。被告側はそれを言い訳にすれば無罪が勝ち取れると信じ、そして裁判官は見事にそれに応えた。

 相手が抗拒(抵抗)不能の状態にあることに乗じて、あるいはそうさせた上で、行われる強かんは、刑法上「準強かん」と言われるが(今日の改定刑法では正確には「準強制性交等」)、準強かん罪の構成要件は被害者が「心神喪失」あるいは「抗拒不能」の状態にあったことである(刑法178条第2項)。今回の事件では、女性が「抗拒不能」だったことは、当裁判官もはっきりと認定した。だが、女性が強いアルコールに酔って眠り込んだ状態にあったのだとすれば、それは、女性は同時に「心神喪失」状態にあり、まっとうな判断を行いえない状態にいたことをも意味している。

 にもかかわらず、「女性が〔性交を〕許容してい(た)」と、女性のまともな判断があったかのように認定した裁判官は異常である。被告が、そう信じましたと主張したのであろうが、それを裁判官が追認したのであれば、裁判官がしばしば言い訳に使う「経験則」が問われなければならない。

女性に対する性犯罪では、裁判官の女性観が問われている(写真はイメージ)女性に対する性犯罪では、裁判官の女性観が問われている(写真はイメージ)

被告・裁判官が妄信する女性観

 経験則は、裁判官が信じている人間・人間社会の真実(法則)のことである。本来それは、判決の根拠として使われる以上、多くの人の経験から慎重に帰納されなければならない。総じて、そうした帰納を行うのは一般に研究者であるのが普通である。そして経験則の元とされるべき経験のうちには、当然、一般の女性が性や性行為についてもつ経験が含まれなければならない。

 しかし、しばしば裁判官は、研究者の研究結果を用いることもなく、自分自身の狭い経験にもとづいて真実(法則)を詐称する。そしてその実、世間のモラルに無自覚であれば、男権制社会が流布する女性観を――「経験則」の名の下に合理化しながら――知らず知らずに受け入れてしまうのである。

 ここで問われるべきは、上記のように、女性は男性の性交の求めに気安く応じるという、男性集団において見られる女性観である。だがこの女性観は真実なのか。

 総じて、本質主義的にとらえられかねない言い方――「女とはこういうものである」、「男とはこういうものである」等――には慎重であるべきだが、性犯罪がからむ場面では、むしろあえてこう言わなければならない。

 男性はごく早いうちから女性の身体に関心をもつよう条件づけられて育つ。長じては、性的交渉の相手は、女性身体をもつかぎり誰でもよいと往々にして感じやすい。

 だが、女性はそうではない。

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