丹野未雪(たんの・みゆき) 編集者、ライター
1975年、宮城県生まれ。ほとんど非正規雇用で出版業界を転々と渡り歩く。おもに文芸、音楽、社会の分野で、雑誌や書籍の編集、執筆、構成にたずさわる。著書に『あたらしい無職』(タバブックス)、編集した主な書籍に、小林カツ代著『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』(河出書房新社)、高橋純子著『仕方ない帝国』(河出書房新社)など。趣味は音楽家のツアーについていくこと。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
「恋せよ」といわれると、「またかよ」とうんざりしてしまう。人間の生の充実を指し示す一方、秋元康を持ち出すまでもなく女性蔑視の発露になりがちなこのメッセージに対し、うっすらとした嫌悪感が生じてしまうのだ。それは、女性をとりまく差別や構造的な問題が「恋愛」のもとにうやむやにされるような、例えば、相手となんらかの問題が生じたとき、それらの背景や根ざしている社会構造は問われず、性格の不一致や感情によるものに回収されたり、蓋をされたり、美化されるのに似た感覚を覚えることにある。
自立した女性や自由に生きる女性を語るときに、「恋」は大きなキーワードだ。女性解放を体現した伊藤野枝をはじめ、「新しい女」は恋に走った。自分が好きになった男と好きなように生きることは破格の自由の象徴であり、主体的に生きる人間だという表現でもあっただろう。つまり恋することじたいが、闘いの一形態だったといえる。だがそれは女にとってだけなのだろうか。
映画『金子文子と朴烈(パクヨル)』(原題:박열、英題:Anarchist from the colony)。チェ・ヒソ演じる金子文子と、イ・ジェフン演じる朴烈の関係に、その答えを見つけるとは思ってもみなかった。
大日本帝国に生きる日本人だが無籍者である文子と、統治下の朝鮮から「内地」へとやってきた「不逞鮮人」とみずから称する朴烈。関東大震災後、朝鮮人大虐殺から目をそらす目的で検束され、大逆罪で死刑宣告された二人の鮮烈な生きざまを、事実にもとづきながらも演劇的な演出で描いたこの作品は、国家によって序列づけられた二人の闘いをつうじ、人間が対等であるとはなにかを問う。
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