丹野未雪(たんの・みゆき) 編集者、ライター
1975年、宮城県生まれ。ほとんど非正規雇用で出版業界を転々と渡り歩く。おもに文芸、音楽、社会の分野で、雑誌や書籍の編集、執筆、構成にたずさわる。著書に『あたらしい無職』(タバブックス)、編集した主な書籍に、小林カツ代著『小林カツ代の日常茶飯 食の思想』(河出書房新社)、高橋純子著『仕方ない帝国』(河出書房新社)など。趣味は音楽家のツアーについていくこと。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
映画は朴烈の詩「犬ころ」を読んだ文子が朴に同棲をもちかけるという、いかにも大恋愛の予感を漂わせてはじまる。文子の自伝では「あまり背の高くない、痩せぎすな、真っ黒な房々した髪」「濃い眉毛の下から黒いセルロイド縁の眼鏡」と描写されている朴だが、映画ではカネを払わない日本人に食ってかかる翳りのない男として現われる。イ・ジェフンの日に焼けた健康的な「犬ころ」ぶりがまぶしい。
実際、「朴と共に死ぬるなら、私は満足しよう」と大審院公判で発言したほどの大恋愛だ。しかし、本作品はそうした二人の恋愛プロセスには重きを置かない。本の山によってほとんど居場所が占有された部屋で、文子が共同生活の約束を提案し、笑顔で朴に血判(!)を迫るシーンが象徴的だ。
その一、同志として同棲すること。
その二、私が女性であるという観念を取り除くこと。
その三、一方が思想的に堕落して権力者と手を結んだ場合には、直ちに共同生活を解消すること。
まずここで観客であるわたしたちは、彼女がロマンチック・ラブ・イデオロギーの夢などカケラももっていないこと、二人の関係性の根幹はきわめて対等を意識したものだということを知らされる。朴は文子に少々戸惑いつつ血判を押すが、その表情は明るさを放っている。
感情的だともいわれている文子を、チェ・ヒソは伸びやかな表情で演じる。パンフレットに収録されたインタビューで、「表向きの強さの裏で、密かに傷ついている女性だとも思いました」と文子について語るチェ・ヒソだが、朴が文子を守るために隠しごとをしたと知ったときの表情といったら!
対等であることを求め、ようやく実現できたと思ったのに、理解されていなかったというショックと困惑と悲しみが顔からこんこんとわき出してくるようだ。しかし、涙で崩れた顔は一転、あきらめてなるものか、といわんばかりに、強いまなざし、ゆるがない頬、固いくちびるへとみるみる変わっていく。
ところで本作は韓国映画だが日本語の割合が高く、日本語字幕もだいぶ少ない。多用される