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均一化した日本のTVがコンマリを米国に奪われた

コンテンツの出演者にも進むTV離れ

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

AbemaTVAbemaTVは地上波の番組に不満をもつ視聴者をどれだけ獲得していけるだろうか

 「TVが面白くなくなった」という話は昨今よく耳にしますが、それについて前回の記事「『お笑い芸人』がTVをつまらなくした真犯人だ」では、視聴者の価値観が多様化し、「何を面白いと感じるか」も多様化したことが原因の一つであると指摘しました。

 その一方で、TVの側でコンテンツの「単一化・均一化」が進んだため、様々なニーズに応えることが出来ず、面白いと感じる人が減っている側面もあると思います。視聴者が多様化しているのに提供されるコンテンツが似たようなものでは、「面白くない」と感じる人は当然増えるわけです。

「お笑い味」しかしなくなった日本の番組

 平成後期になって日本のテレビで進んだ単一化・均一化の例はいくつかありますが、その中の一つに、お笑い芸人がバラエティーに限らず、ありとあらゆる番組に出演するようになったことがあげられます。

 確かに「お笑い的面白さ」も重要な一つですが、「面白さ」は決してそれだけではありません。「知的好奇心をそそられる面白さ」「真剣なスポーツに感じる面白さ」「ドキュメンタリー映像にある人間ドラマの面白さ」等、本当は面白さには多様性があるはずです。声を出して笑うエンターテインメントにも、シュール、アイロニー、ユーモア等、様々な要素があります。

 ところが、日本のテレビ界ではお笑い芸人があまりに増え過ぎたために、従来のバラエティー番組だけではなく、報道番組にも、スポーツ番組にも、ドキュメンタリー番組にもお笑い芸人が進出し、「お笑い的面白さ」や「お笑いノリ」があらゆる場面で取り込まれるようになりました。

 そのため、純粋にスポーツを楽しみたいのに、お笑い芸人のお笑い的要素が入って来るケースや、ニュースにお笑い芸人のお笑い的要素が入って来るケースが増えたわけです。シュール、アイロニー、ユーモア等の要素がメインに据えられたエンターテインメント番組もほとんどないでしょう。

 どんな食材にもマヨネーズを大量に投下する人を「マヨラー」と言いますが、ラーメンでも牛丼でもお寿司でもあらゆる料理にマヨネーズをかけるような店にはマヨラーしか来店しないはずです。それと同様に、TV番組が「お笑い的面白さ」ばかりになったために、お笑い要素抜きに純粋にコンテンツそのものを楽しみたいというファンを顧客として獲得出来ていないのだと思います。

出演する側のTV離れも進んでいる

 なお、お笑い芸人以外の出演者のラインナップに関しても、単一化・均一化が進み、多様性が欠落していると思います。本来は本業で実力があるはずなのに、番組の核に据えられているお笑い芸人と「上手く絡めない人」や「相性の悪い真面目な人」が番組に起用されなくなってしまい、ますます番組の専門性が低下しています。

 結果としてそのジャンルに見識がないどころか、興味すらもないお笑い芸人やコメンテーターがフィーチャーされて、スタジオトークの「ネタ」として消費する番組ばかりになるのなら、知的面白さが低下するのは当然です。

 そして、「テレビに出ることは成功の象徴だ」と憧れを抱く人も、次第に少なくなっていると感じます。たとえば、作家のアルテイシア氏は、自身のTwitterで「TVの仕事はほぼ断ってる私ですが(クソみたいな企画が多いので)」と語っていました。

 確かに、私の周りにも活動やビジネスがTVに取り上げられた人は多々いますが、「勝手に悪意ある編集をされた」「事前に聞いていたことと取り上げ方が違う」「スタジオトークで馬鹿にされた」等、怒っている話をたくさん耳にします。これでは「TV出演は控えよう」というスタンスの人が増えるのも当然です。

 かつて露出を制限してミステリアスなイメージを作る場合や、アウトロー気質のためにTV出演を拒否する人はいましたが、「テレビ出演はマイナスの影響のほうが大きいから、出ないほうが合理的」と考える人が増えているのは、昨今の特徴ではないでしょうか。コンテンツを提供する側や専門性の高い人材がそっぽを向き始めているという意味でのTV離れもかなり深刻だと思うのです。

金太郎飴化を進める芸人とアイドルの大繁殖

 単一化・均一化しているのは、バラエティー番組のスタイルや演出方法でも同様です。VTRがメインの番組でも、ひな壇芸人やコメンテーターたちが座る「スタジオ」が用意され、ガヤを飛ばしたり、専門的でもないコメントを繰り広げています。VTRだけでよいのに、わざわざスタジオトークのコーナーが設けられているのです。このような構図はほとんどの局が採用しており、まるで金太郎飴のようです。

 お笑い芸人だけではなく、アイドルも単一化・均一化が顕著に進んでいます。AKB48から地下アイドルに至るまで、似たような構成のアイドルグループが金太郎飴のように無数に存在しています。

 また、以前の記事、「漫画の実写化が原作イメージを破壊する本当の理由」で指摘したように、日本の漫画では高校生が主人公という設定が非常に多く、その実写化映画に出演する俳優が偏っています。このように、邦画でも単一化・均一化が進んでいると思います。

 もちろん、彼等やそのコンテンツの存在自体を否定しているわけではありません。ですが、日本のTVコンテンツにおいて、様々な面での単一化・均一化が進んでいるために、「面白さの種類が少なくなった」のは事実ではないでしょうか?

なぜ、日本は「KonMari」を輸出出来なかったのか?

 そして、2019年1月、単一化・均一化が進んだ日本のコンテンツ産業の凋落ぶりを象徴するような出来事が起こりました。それは、片づけコンサルタント・近藤麻理恵氏の冠番組「KonMari 〜人生がときめく片づけの魔法〜」がNetflix(ネットフリックス)で放送され、アメリカを中心に海外諸国で空前の大ヒットを記録していることです。

Netflixで配信中の「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」=ネットフリックス提供Denise Crew/NetfNetflixで配信中の「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」=ネットフリックス提供(Denise Crew/Netf)

 近藤氏のコンテンツを私なりに解釈するならば、「片づけ版ライザップ」とでも言うべき短期集中型で生活環境に劇的な変化をもたらすことを主眼に据えており、これまでの片づけ術を全て否定するかのような大変な破壊力があります。また、理論的な要素だけではなく、自己啓発的な要素やスピリチュアルな要素を混ぜたことも、アメリカの人々を魅了した要因でしょう。

 日本人の近藤氏がアメリカで大活躍していること自体は大変喜ばしいのですが、それはこの国のコンテンツ産業が、近藤麻理恵氏という類稀な人材を生み出していながらも、それを「日本のコンテンツとして輸出する」という方法で大ヒットを出すことが出来なかったことを意味します。

 確かに日本でも2013年に近藤氏の著書をもとにした特別ドラマが放送されていますが、それが限界で、彼女の持つコンテンツ力を最大限に活かして世界中に広めることが出来ませんでした。昨今、日本のコンテンツで世界に広まったものは、ゲーム「ポケットモンスター」のように、“非人間”のものばかりが思い浮かびます。

 その後の2016年に近藤氏は「興味を持っていただいている場所に行くのが一番いい」として、顧客が増えているアメリカに家族と共に移住し、自ら市場を開拓する中、インターネットTVのネットフリックスが目をつけたわけです。

 それはつまり、日本のコンテンツ産業が、コンテンツ力をしっかりと見極めることが出来たアメリカの配信事業社に、近藤氏という人材をまんまと引き抜かれたことと同義と言えるでしょう。

日本のコンテンツ産業には「KonMari」は作れない

 一方で、日本のコンテンツ産業が「KonMari」(コンマリ)を作れたのかと言えば疑問です。仮に制作が決まっても、きっといつものようにお笑い芸人やアイドルがたくさん起用され、「お笑い的面白さ」や「お笑いノリ」が満載のスタジオトークでVTRにツッコミを入れて表面的な盛り上げがなされ、近藤氏自身が持つコンテンツの本来の面白さは強調されず、全くウケなかったに違いありません。

 そして、日本のテレビ視聴者の多数派も、「KonMari」を好むのか大変疑問に感じます。日本のテレビでは出演者が過剰に周りに同調する反応を示し、観客の笑い声や驚きの声に見立てた音声等もふんだんに入れ込まれます。あれらはおそらく、自分の中の評価軸が未熟な人々のために、「周りの人もあなたと同じ気分だよ」という、他者評価による“お墨付き”を与えているものだと私は考えています。

 コンテンツそのものの面白さやすごさを楽しむには、本来それらの声やテロップは単なる「ノイズ」にしかならないのですが、そのような演出があらゆる地上波テレビに広がっている現状を考えると、ノイズがなく、コンテンツ自体の面白さを伝える番組を楽しめるテレビ視聴者は、日本ではもはや少数派かもしれません。

 そのことを考えると、お笑い芸人やアイドル等により単一化・均一化が進む日本では、多様なコンテンツを輩出することが出来ず、自分たちで世界的なコンテンツを生み出すのはもう難しいのではないかと感じるのです。そして、近藤氏のように、もう日本のコンテンツ産業には頼らず世界に挑戦し、現地で直接訴えてヒットを獲得する事例が、他にも出て来るのではないでしょうか。

ネットTVもまだまだ地上波TVの焼き増し

 最後に、日本のインターネットのTVは、「TVが面白くない」と感じている人々のニーズを捉えることが出来ているかについて考えたいと思います。

 もちろん、答えはNOでしょう。ネットフリックスもHuluもAbemaTVもAmazonプライムビデオも、多くの日本国民はさほど知らないでしょう。知っていても名前だけで、どんな番組を配信しているか等、詳しいことはあまり知られていません。アメリカのネットフリックスのように莫大な予算をかけて独自の良質なコンテンツを用意することはまだ出来ておらず、まだまだ地上波TVに知名度で遠く及んでいないのが現状です。

 確かにAbemaTVは運営するサイバーエージェント社長の肝煎りで毎年200億円の営業赤字を流しながらも頑張っているようですが、現状では既に地上波で露出しているお笑い芸人やアイドルを起用したバラエティー番組が非常に多いこともあり、面白さに多様性が少ないという、既存のTVが抱える課題点を克服出来ていないように思います。そのため、「お笑い要素とは別の面白さを求める層」にはまだあまり刺さっていない印象を受けます。

 また、Amazonプライムビデオのオリジナル番組も同様で、松本人志氏等の既存のお笑い芸人を積極的に登用しています。そして、前稿で紹介したような松本人志氏が指摘した「スピード違反を犯す面白さ」を描いた作品も多く、エロネタ・ハラスメントネタ満載の番組を放送したことで、ネットで批判に晒されることもありました。これでは、ますます「お笑い要素とは別の面白さを求める層」は遠ざかることでしょう。

番組が攻めるべきは規制ギリギリではなく新規市場

 では、インターネットTVは、「TV局の放送自主規制やポリティカルコレクトネスが嫌いな層」と、「お笑い要素とは別の面白さを求める層」のどちらをメインターゲットにするべきでしょうか。私は後者だと思います。

 というのも、前者は「つまらなくても既存のTVも見ている人」が多い気がするのです。実際、「放送自主規制やポリティカルコレクトネスが厳しいからTVは面白くなくなった」という人は多々いますが、「放送自主規制やポリティカルコレクトネスが厳しいからTVを見なくなった」という人はほとんど聞かないはずです。なので、前者をターゲットに据えても、既存のTVから顧客を奪うだけのレッドオーシャン(血で血を洗う競争の激しい領域)なのです。

 それに対して、「お笑い要素とは別の面白さを求める層」のほうがTV離れを起こしているのは顕著であり、ブルーオーシャン(競合相手のいない領域)なのは圧倒的にこちらです。そして、前述のように、多様な価値観を持つ世界各国でも戦えるコンテンツになり得る、つまり「ガラパゴス」に留まらない潜在性を持っているのも、こちらの層をターゲットに据えた番組でしょう。

 ネットTVで「攻める番組」というと、エロやハラスメント満載の番組を指すことが少なくありませんが、180度間違っています。既存の国内顧客向けの「守り」の番組を作っている地上波TVに対して、ネットTVはそこに縛られない強みがあるはずです。是非、日本でネットTVを展開する各社は的確な市場分析を行い、TV離れをした人でも見たいと思えるような良質な番組や、世界でも通用するような良質な番組を提供して欲しいと思います。