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地元漫画家夫妻に訊いたカープとの「付き合い方」

井上威朗 編集者

 半年ぶりです。時々このWEBRONZAに現れてはカープ暴論を書いている編集者兼「カープおじさん」の井上と申します。

 編集部の「あなたどうせ(この年度末で忙しいときに仕事もしないで)プロ野球開幕戦を観に行っているんでしょ、だったら何か書いて」という鋭い依頼に応じて参上した次第です。

 ということで3月29日のマツダスタジアム。巨人に移籍した丸佳浩選手、ブーイングされるのかしらと思っていたら温かい拍手で迎えられていました。ですがその後に彼が三振を重ねるたびに上がる歓声は、その拍手の比ではない大音量でありました。

 試合結果もカープの鮮やかな快勝。めでたしです。……と素人丸出しの戦評で終わっても意味がありません。

 ならば編集者らしく、この球場にいる著者を取材して、生の声を読者にお届けすればいいのではないか。ちょうど地元・広島県の三次(みよし)市在住の漫画家、榎本俊二さんと耕野(こうの)裕子さんご夫婦がレフトスタンドにいらっしゃるではないか……。

 『えの素』(講談社)『火事場のバカIQ』(小学館)など多彩な作品で、映像化不能なはずの思考の軌跡を漫画に落とし込むという力業を続けてきた榎本俊二さん。思春期男子目線で少女漫画の大長編『CLEAR』(集英社)を描き切り、私を含む男性少女漫画読者の人生をひん曲げてしまった耕野裕子さん。

 かつては野球など関係なく東京でバリバリと漫画を描いていたはずのこの二人、どうして広島県に移住して熱狂的カープファンになってしまったのか? 突然で恐縮ですが、インタビュー形式にて地元ならではのカープファン事情をご報告いたします!

カープは、義理の両親との潤滑油だった

2019年3月29日の榎本俊二さん(写真右端)ご一家。諸般の事情により、耕野裕子さん(左端)をはじめとする一同は榎本さんの漫画『思ってたよりフツーですね』より素材を拝借してコラージュしました=撮影・筆者カープ開幕戦の榎本俊二さん(写真右端)ご一家。諸般の事情により、耕野裕子さん(左端)をはじめとする一同は榎本さんの漫画『思ってたよりフツーですね』より素材を拝借してコラージュしました=2019年3月29日、撮影・筆者

――ということで開幕戦大勝利、おめでとうございます!

榎本・耕野 ありがとうございます!

――しかしお二人とも東京にいらした10年前を思い出すと、野球の話なんてした記憶はなかったのですが、どうしてまたこんなことに?

榎本 もともと耕野が三次市出身なんですよ。結婚を決める頃から、ゆくゆくは両親のもとに移り住むのだな、と。

耕野 結婚前は両親も元気だったので、あまり帰る機会もなくて。だけど子どもが大きくなるほど戻りにくくなるでしょう。

榎本 だから上の娘が小学校を卒業するタイミングで移住しよう、って話がまとまっていたはずなんですが、まさにそのタイミングになったら、当の耕野が……

耕野 「まだ早い!」って(笑)

榎本 東京が大好きだったんですよ。だから当時、移住を反対したのは耕野のほう。

――耕野さんの『CLEAR』には、上京した登場人物が「セブンイレブンがある!」と感激する名シーンがありますが、それも正直な実感だったのですね。

榎本 それでもいろいろ勘案した結果、わりと軽い気持ちで三次市に移住しました。漫画家って、理論上では「紙とペンがあればどこでもできる仕事でしょ」と思って。

『CLEAR』のメイン登場人物、サイ子の魂の叫び。時代は1990年代初頭です『CLEAR』のメイン登場人物、サイ子の魂の叫び。時代は1990年代初頭です

――あれからもう9年ですか。

榎本 移住に関するエピソードを一番多く描いたのが、『思ってたよりフツーですね』(角川書店)というエッセイ漫画です。この作品には、移住前から移住後までのほぼすべてを描きました。

 あとは年1冊ペースで刊行される雑誌、「ちゃぶ台」(ミシマ社)連載の『ギャグマンガ家山陰移住ストーリー』ですね。この雑誌のおもしろいところは、ローカリズムに照準を合わせて、革新的な地方の先駆者たちをトピックに据えたところ。「地方でのんびりしようぜ」的な都会出身者たちを迎え撃つ、地方在住者たちの先鋭感が押し出されているのではと。スローライフに夢を持つ人びとに、ケンカを売っているところがあります(笑)。この連載ではずばり広島移住生活について、めちゃめちゃビビッドに描いています。

――たしかに、都会っ子たちが移住先で揉まれまくって、タフに生きる様子が活写されていますね。

榎本 気候や文化や、カルチャーショック的なこと。さらには、「カルチャーショックが『ない』こと」に面食らう様子を描いているつもりです。

――榎本さんのエッセイ漫画は基本的にモノローグを使わないので、その様子がダイレクトに読者に伝わるんですよね。

榎本 そうです。ヤバい!という感覚は、読んでくれた人が受け取ってくれればいいと思っています。

――そしてこの連載には、榎本さんがカープにハマっていく様子が描かれているのですが……。

耕野 カープどころか野球全般を知らない人だったのにね。

――スポーツに関心を払わない榎本さんに、何が起こったんですか?

耕野 「義理の親子のコミュニケーションのため」だったんですよ。三次在住のわたしの親は、もう根っからのカープファン。わたしが子どもの頃から、夕方はラジオ中継で家じゅうガンガン。ゴールデンタイムのテレビはもちろん、野球中継に完全に独占される生活、というぐらいですから。そんなカープだらけの世界に突如移住したからでしょうね。

榎本 耕野の両親とツーカーの仲になりたかったのに、最初はうまく噛み合わなかったんですよ。でも唯一、話題の接ぎ穂として「カープ」というものが有効だった。

――いい話じゃないですか! そこで壁を崩し、親子関係を構築する。

耕野 親とのカープの話題はわたしも苦手で入れなかったところを、榎本が。実娘のわたしがいない場所でも、カープの話題さえあれば場がもつと分かったんです。

榎本 「お義母さん、今夜の試合は8回に投げた永川(勝浩投手)のせいで……」とかね(笑)

――おお、永川投手といえば三次市出身ですが、やっぱりみなさん応援を。

耕野 ははは、ありえない。「永川? 消せ消せ~~~!!!! 早くテレビ消せ~~~!!!!」ですよ。

――えええ(絶句)。地元なのに。

耕野 地元だからこそ、ですね。「ダメじゃ! 足を引っ張る!」って叱りあげる。カープが劣勢になるだけでも「消せ! テレビ消せ!」という勢いなのが地元の現実です。

榎本 こんな具合ですから、潤滑油としてはカープが一番有効だろうと。結果、自分なりにカープの動向を気にして、ラジオを聴いたりネットで試合経過をチェックしたうえで喋るようになり、気付けば自分のほうがハマっていたんですよね。

こちらは筆者が座った「カープパフォーマンスB」なる席。うるさく
応援する連中は隔離しておこうという明確な設計思想がよくわかります
こちらは筆者が座った「カープパフォーマンスB」なる席。うるさく応援する連中は隔離しておこうという明確な設計思想がよくわかります=撮影・筆者

カープが負けて仕事の手が止まった頃

――描きながら実況を聴いている、という作中描写などありましたが、実際は?

榎本 はい。ラジオで中継を聴いています。それでカープが負けると落ち込むようになって。

耕野 ため息つきながら仕事部屋から出てきて、「負けた……」とか呟いてるんですよ。当時は榎本だけが追いかけていたので、「やめてよ、わたしたち興味ないんだから、カープのことで家のなか暗くしないで!」と、わたしや子どもらは非難してましたね。非常に肩身の狭い移住スタートだったと思いますよ。

榎本 しかし本当にのめり込んでしまいまして。ひどい負け方をしたりすると、落ち込み過ぎて仕事の手が止まったりする。ああ、まずいなと。

――編集者が聞いてはいけない話になってきました(笑)

榎本 特に3連覇の前はひどい負けっぷりでしたからね。

――2015年などは、黒田(博樹投手)復帰で非常に盛り上がったにもかかわらず、ひどい試合が目につきました。

榎本 でしょ? でもそこで、目の前の敗戦に引きずられてしまうスタンスを改めたんです。なにしろ仕事ができなくなる。「落ち込むな」「落ち込まないためにも、期待するな、期待するな」って……。

耕野 こうしたのめり込みにもかかわらず、家のなかにはカープに関する理解者が誰もいない状況。ですから榎本は、独りでネットのヤフトピや実況スレッドを眺めていて。

榎本 自分では書き込まないんですけどね。流れていくコメント欄をじっと眺める日々でした。当初は同じ広島県内とはいえマツダスタジアムまで行くつもりもなかったんですが、「そういえば三次でも年に一度、試合があるじゃん」とふと気付いて。ここ5年間は三次きんさいスタジアムの試合に通ってます。

シブさが失われ、派手派手しい球団に

――実は榎本さんには、2011年に「梵英心 足跡展」(三次市歴史民俗資料館)へ連れて行ってもらいました。フロアに三次出身の梵英心選手が盗塁王を獲った記念の寄せ書きフラッグが設置されていて、その片隅に榎本キャラの顔と一筆、「ガソバレ」(ママ)ってテキトーな言葉をお書きになったの……榎本さん、覚えてます?

榎本 うわー。覚えてないですね。ダメだなあ、そりゃ。

――今となってはかなり貴重な品だと思います。同時に梵家のお寺(注:浄土真宗本願寺派専法寺)にも、お車で運転してもらって。まだその時の榎本さんは、「フーン」みたいな感じだった。そこからカープ愛が激しく堰を切っていったんですね。

榎本 カープも黒田、新井(貴浩)が戻ってきてから突然ドラマティックな球団になってきたでしょう。それまで「廣瀬純の15打席連続出塁記録」みたいなシブいところを愛でていたファンたちに、確実に変化した層が加わっていますよね。今回の丸佳浩FA騒動が象徴するように、ずいぶん派手派手しい球団になったなあと。昔のカープを知る人たちは嬉しい半面、シブさが失われていくことにも気付いているだろうし、「弱くとも俺たちは応援している」みたいなゾクゾク感は、もう得られないんでしょうね。

――優勝してしまいましたからなあ。

榎本 カープとの付き合い方を考え直さなきゃいけないですね。もう「期待するな」とか受け身な態度ではいられないですね。

耕野 かつての前田智徳のような、地味だけれどカッコいい選手は、いまのカープにはいないですし。

榎本 ちなみに『えの素』に出てくる前田郷介というキャラクターの名字は、カープの前田智徳からいただいたんですよ。執筆当時の僕はカープファンではなかったんですけども、「男のなかの男といえば、前田だ」と率直に思えていましたから。

耕野 男……。そういえばさっき、マツダスタジアムにずらっと張られた金色のプレートを眺めたんですよ。名手たちの、輝かしい功績を讃えたプレート。ほとんどは前田健太投手のノーヒットノーランのように数値化できる名誉が刻まれてるんですが、前田智徳のプレートだけ、「一途な野球人生を忘れない」ってポエムが刻まれている(笑)。カッコよすぎます。

――しょうがないんですよ、タイトル獲ってないんですから。しかしそんなカッコいい前田さんから名前を借りたキャラが、漫画のなかでは局部を大公開しているという……。

耕野 ご本人も知らないでしょうね(しみじみ)。

『えの素』より。1997年から2003年まで「モーニング」に連載した同作で活躍した前田郷介は、当時の一部好事家からは島耕作と並び称される「男の中の男」でありました

『えの素』より。1997年から2003年まで「モーニング」に連載した同作で活躍した前田郷介は、当時の一部好事家からは島耕作と並び称される「男の中の男」でありました

新井特番に、意識のない母を揺さぶる

――そんな耕野さんは、どうして夫・榎本さんのカープ愛を許してあげる流れになったんですか?

耕野 カープさえあれば親との会話が保たれる、って分かったからです。コミュニケーションが円滑になるなら、どうぞどうぞ、と。でも、やがてそれでは寂しかったのか、榎本が勧誘するようになってきました。「この投手たちはカピバラ3兄弟って呼ばれていてね……ね、似てるでしょ?」とか、興味を持てそうなところから話題をすすめてくれて。

――ははは。榎本さん、ご家族向けにカープのプレゼンをしたんですね。

耕野 次第にわたしも「似てるわね~。……あれ、この横にいる選手は誰? 忍者みたい!」とか質問して。「それは菊池涼介っていう二塁手で、超絶プレー集がネットにあるんだけど、一緒に見る?」とYouTubeを見せてもらって。すごいすごい漫画みたい、って盛り上がるうちに、どっぷり。

――なるほど! きわめて漫画的な進め方ですね。まずキャラを印象づけ、次にそのキャラの見せ場を描く、と。

耕野 そんなこんなでカピバラ3兄弟のマウンドが楽しみになって。いつのまにか今村(猛投手)の出場機会が減ったのは残念だったんですが、ほかのカピバラ、一岡(竜司投手)が実は巨人からの人的補償というドラマを背負っていたと知ったりね。グッときて、また盛り上がって。

榎本 そうこうするうち突然、耕野の母が倒れたんです。

耕野 入院先の付き添いにはわたしがついたんですが、当時は母にまだ意識が戻っていなかった。病室のテレビをつけたらカープ新井の特集だったんです。やがてタイガースへのFA移籍を報告する涙の会見シーンが始まって。

――「辛いです、カープが好きだから」で有名な会見ですね。

耕野 まだ意識の戻らない母の病室にちょこんと座って、独りテレビで新井を観る。ぼーっとしながら、そういえばFA当時、母は「あんなのウソ泣きじゃ! あんなきちゃなげな涙は信用せん!」とか激怒していたなあ、とか思い出して。そうなのかなって。でもね、その特集番組で過去を振り返った新井は述懐したんです。「いろいろ言われたけれど、あの涙は本心だったんですよ」というように。わたし……だーっと熱い涙を流してしまって。「お母さん! ちょっと、これ見て! お母さん起きて!」って、意識のない母を揺さぶっちゃって。

――意識不明になってる場合じゃないよ、と。

耕野 その時からかもしれないですね、「親の代わりにカープを観よう」と思ったのは。そしたらカープ、強くなった。観てて楽しい。キャラも覚えていけましたし。

榎本 キャラが立ってきたんですよね。

耕野 特に扇風機みたいで、ヘルメット叩きつけたり、眼鏡屋のCMで親しまれたエルドレッドとか。「覇気」って言葉を流行らそうとしてたはずの安部(友裕)が、大事なシーンでそれを言わないっていう惜しいキャラ性とか。

――それこそ往年のキャッチコピー、「おしい! 広島県」ですね。

榎本 カープには関東出身選手も多いので、僕には個人的な投影もあるのかも。神奈川県出身で現在は広島県北に移住した僕としては、東海大相模からカープ入りした田中広輔とか、同じく相模原から出て、戻ってを繰り返した菊地原毅が印象的。カープといえばコテコテの広島イメージですけれど、移住して、染まって、関わっている人びとがどれだけたくさん存在しているか、と考えるんですよね。そこが僕にとっての、投影のモトかもしれないですね。

球と棒とグローブだけの興行にグッとくる

榎本さん、耕野さんが座ったマツダスタジアムのレフトスタンドより。赤く染まった客席は大盛り上がりでした。まさかこの翌日から、連敗で悲しみのどん底にたたき落とされるとは……=撮影・筆者

榎本さん、耕野さんが座ったマツダスタジアムのレフトスタンドより。赤く染まった客席は大盛り上がりでした。まさかこの翌日から、連敗で悲しみのどん底にたたき落とされるとは……=撮影・筆者

――では最後に。2019年の開幕戦、いかがでしたか?

耕野 地鳴りのような人の声がそこにはある。これは音楽フェスだ!と思いましたね。照明から、見せる角度から、食べ物から、物販から、ショウとしての完成度が素晴らしい。

榎本 漫画も「ペンと紙さえあれば」って言いますけれど、野球もつまるところ「球と棒とグローブさえあれば」ってことですよね。それだけのもの、それだけで編み出される興行が、何万人もの生の観客を魅了する、ということにグッとくるんです。「そんなの球打ちと球投げだけじゃん」っていうスカした斜に構えた気持ちを乗り越えてそれからやってくる、醍醐味なんだと思います。言ってしまえば、人びとの代理戦争でもあるでしょう。それが何万人をも熱狂させる。すげえな、って思います。

開幕戦の2日後、3連続エラーでの敗戦を見届けてマツダスタジアムを
あとにするカープファンの皆様。新幹線からはどう見えるんでしょうね
開幕戦の2日後、3連続エラーでの敗戦を見届けてマツダスタジアムをあとにするカープファンの皆様。新幹線からはどう見えるんでしょうね=撮影・筆者

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。