2019年04月16日
街で新宿タイガーを見かけたことが2回ある。1980年代半ばとゼロ年代の初頭だったと思う。最初のときは目の前の事態がよく分からず、連れの友人に尋ねた。すると彼はたしかこんなことを言った。
「あの人はタイガーマスクになる修行をしているお坊さんらしいよ」
2回目は、タイガーが新宿の名物であることをすでに知っていた。自転車に乗って靖国通りをさーっと横切っていった。「ああ、まだやってるんだな」と口の中でつぶやいた。
80年代の半ばに私は出版社のサラリーマンで、ゼロ年代には2回の転職を経てもう“後のない”自営業者に転じていた。「ああ、まだやってるんだな」というつぶやきは、そんな自分と彼を比べた感慨でもあったのだろうか。
新宿タイガーとして生きると決めた1970年代から、その人はずっとスタイルを変えていない。毎日6時間かけて新宿の街で朝日新聞を配達し、仕事が終わると映画館をはしごし、ときにはゴールデン街に出没する。
本人が言うように、金にもモノにも名声にも、いわんや権力にも執着はない。木枯らしの日も炎熱の日も、タイガーマスクのお面をつけ、ぬいぐるみやら造花やらが絡まり合った大きなデコレーションをかついで、新宿の街を駆け抜けていく。
それは何のためなのかと問えば、スローガンのように「愛と平和」と答える。そいつは一種の韜晦(とうかい)ではないのかと疑うのは野暮。もうすぐ半世紀になる「修行」は、彼の言動を、街を吹き抜ける風のようにさりげないものに変えつつある……。
『新宿タイガー』はそんな風変わりな人物(本名:原田吉郎さん)を主人公にしたドキュメンタリー映画である。監督は撮影も編集も兼ねる佐藤慶紀。寺島しのぶがナレーションを務める。出演者はすべてタイガーの友人や知人、そして街の人々。知り合いの中には、彼が想いを寄せる女優が何人もいる。宮下今日子、睡蓮みどり、里見瑤子、しのはら実加、速水今日子……。
飲んで、彼女たちを褒めて褒めて、褒めちぎるタイガーの熱はただものではない。しかもどうやら、彼の褒め殺しはどこまでいっても見返りを求める湿気を含まない。御年71歳。彼のもうひとつのスローガンである「シネマと美女と夢とロマン」は、美女をシネマのように、夢のように、そしてロマンのように愛でるというメッセージと見た。
それぞれの人が、タイガーの人となりやエピソードを語る。中には田代葉子のような、ゴールデン街や震災後の東北でさまざまな人生を見続けてきた“人の目利き”もいる。でもそれらの多くの人の証言を足しても掛けても、タイガーの正体は分からない。
彼を取り巻く人々も、観客も、ひょっとすると本人さえ自分の正体をつかみかねている。初日舞台挨拶で「見れば見るほど、タイガーさんのことがわからなくなっていくのがこの映画の魅力」と語った睡蓮みどり。これこそ言いえて妙で、彼のあの饒舌はその「分からなさ」を隠す煙幕のようなものなのかもしれない。それでも映画はとめどもなく語り続ける主人公を映し続けるから、観客はいつしか「タイガー探し」を無意味と感じる自分に気づく。
いうまでもないが、「タイガー探し」とは「自分探し」の代替行為である。その虚しさに人々は気づき、鼻白み、苦笑する。これはある種の「タイガー効果」である。
映画の中でも紹介されていることだが、かつて「朝日新聞」(東京版)には「タイガーが走る街」という記事が連載されたことがある。最初は2000年の2月22日から4月29日までの15回、2度目は2015年の3月15日から12月4日までの17回。
私見だが、出色なのは2000年の記事の方だ。タイガーと新宿の街になにがしか縁のある人々が毎回登場する。終戦直後にラーメン屋「幸来軒」を開いた老夫婦、学者の道を捨てて職安通りでコリアンスーパーを始めた韓国人、廃校になったかつての超モダン校、旧四谷五小の卒業生たち、路上や出先で「肩もみ屋」を営む中年男性……。この街で生きるさまざまな住民たちが、新宿という“混住都市”の成り立ちを伝えていた。
この連載記事を読んで合点したのは、ここに登場する人々はつまり、タイガーという人間の背景であると共に、彼自身の中に取り込まれた「さまざま」でもあることだ。
連載に目を通しているうちに、懐かしい名前に
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