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「アイヌ新法」はアイヌの先住権を葬る欠陥法

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

記者会見でアイヌ新法案に異議を唱えた「コタンの会」代表の清水裕二さん(左から2人目)ら=2019年3月1日記者会見でアイヌ新法案に異議を唱えるアイヌのNGO「コタンの会」代表の清水裕二さん(左)たち=2019年3月1日

 本年4月11日、衆議院は政府提出の「アイヌ新法」案を議決し、参議院に送った。一部のアイヌ関係者・支援者から反対意見が出されていたのに(朝日新聞「北海道版」2019年4月10日付)、はたして十分な議論がつくされたのかどうか、はなはだ疑問である。

 だいいちこの法案には、始めから問題が多すぎた。衆議院通過後になってしまったが、法案の問題点を論じておきたい。

 なお本州以西・以南に住む人にとって、「アイヌ問題」はあまり関心を引かないかもしれないが、例えば首都圏だけでも、少なく見つもって数千人のアイヌが居住する。また総じて先住民族・少数民族問題は、近年、多様性尊重につながる非常に重要な国際的問題とも理解されている。それゆえ、この問題にいくらかでも関心を持ってもらいたいと念願する。

「先住民族」という言葉はあるが

 新法案が「基本理念」を掲げ、そこでアイヌ――本稿では「人間」しかも「誇りある人間」というその語義をふまえ、新法案のように「アイヌの人々」ではなく単に「アイヌ」と記す――に対する差別を禁じたのは重要である(第4条)。だが、アイヌを「先住民族」と認めながら(第1条)、その先住権を保障する条文を一切持っていない点は、大いなる欠陥である。

 確かに、先行する「アイヌ文化振興法」(1997年制定施行、以下「振興法」)と比べたとき、先住民族という用語がともあれ使われた事実は、一歩前進であると評価できる。だが新法案では、先住民族との認知はただの言葉にとどまっている。本来なら、先住民族と明記されれば、それがおのずと権原(法的権利の根拠)となって、先住民としての固有の法的権利すなわち先住権の認知と保障がなされるべきである。だが新法案では、その過程がすっぽり抜け落ちている。

 振興法の施行以降、国連において「先住民族の権利宣言」が採択され(2007年)、先住権に関する認識ならびに保障が進んだはずだが、その事実が踏まえられているとは思われない。翌年には衆参両議院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ、内閣官房長官が、この趣旨を活かした総合的な施策の確立に取り組むという談話を発表した(2008年)のに、新法案はそれを反映していない。

 新法案には、「近年における先住民族をめぐる国際情勢に鑑み」という文言が見られるが(第1条)、日本政府が十分に「国際情勢」(後述)を鑑みた形跡はない。

衆議院国土交通委員会で、アイヌ新法案が可決された=2019年4月10日アイヌ新法案を可決した衆議院国土交通委員会。傍聴席にはアイヌの民族衣装姿も=2019年4月10日

アイヌの歴史について記されず

 そもそも法案には前文がなく、したがって立法趣旨が、ひいては歴史認識が示されていない。だから自ずと、アイヌに対し日本政府がとってきた「同化政策」について、反省も謝罪もない。

 これは少々異常ではないか。それは、例えば本年3月に成立した「強制不妊救済法」の場合と比較してみると際立つ。後者も責任の主体を曖昧にした点で欠陥が大きいが(朝日新聞2019年3月15日付)、アイヌ新法案の欠陥はそれとは比較にならない。同化政策とは、一種の民族絶滅政策だったのであるから。

 なるほど第1条は、新法の目的にふれつつ、「アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化(……)が置かれている状況……に鑑み」と記している。だがこれでは、「アイヌの伝統及びアイヌ文化」の置かれた状況、つまり激しい衰退状況は、まるで自然現象であるかのようではないか。新法案には、伝統・文化の「振興」が依然として求められる状況を、誰が、どのような方針の下に、どのようにして作り上げてきたのかについての反省は、何ら見られない。つまりこの状況を、明治期以降の和人政府が、「同化政策」という明確な方針の下に、アイヌの土地と生業を奪うことで作り上げた、という事実についての反省が見られないのである。

 こんなことだから、たとえ新法案が「アイヌ文化」のなかに、アイヌ語およびアイヌの音楽・舞踊・工芸等のみならず「生活様式」を含ませたとしても(第2条第1項)、新法案は、その本質において振興法と変わらないのである。

先住権とは何か

 振興法を超えた真の新法とするために求められるのは、先住民族アイヌに対する先住権の保障である。

 先住権とは少々不分明な用語だが、もちろん先住する権利ではなく、先住民族の有する権利を意味する。国連「先住民族の権利宣言」に見るように今日それは多様な仕方で定式化されうるが、世界の先住民運動の歴史から最大公約数を取り出せば、それは一般に、

(1)先住民が居住していた土地に対する所有権、
(2)領域(土地のみならず水域・海域等を含め)の自然に対する管理権、
(3)領域における各種自然資源の入手権
 をさす。時にはこれに、
(4)政治的な自治権(ただしこれは先住民の置かれた歴史的条件下で多様な形をとりうる)が加えられることもある。

 アイヌに即して、また他民族の例にも言及しつつ、以下まず個別的権利である(3)について、その後に、(3)を可能にする包括的な権利である(1)(2)について論ずる。そして最後に、(1)~(3)の権利保障を得るもしくは強固なものにするための権利でもある(4)について論ずる。

絵巻物に描かれた、右からカムイノミ、酔って踊る、泥酔した男性を連れ帰る女性=北海道立文学館所蔵の舟山広治コレクションカムイノミ(カムイ=神に祈りを捧げる儀式)や泥酔した男性を連れ帰る女性などを描いた絵巻物=北海道立文学館所蔵の舟山広治コレクション

アイヌの先住権としての自然資源の入手権

 まず、(3)自然資源の入手権にふれれば、アイヌが先住民としてもつのは、各種の自然資源、すなわちサケなどの水産資源、熊・鹿などの動物資源、ヤナギその他の植物資源それぞれの入手権(漁労権・狩猟権・採集権)である。

 だが「新法」案では、これを先住権として部分的にせよ保障する姿勢は見られない。それは新法の体裁をとった旧法にすぎない。

「国有林野」の限られた利用のみ

 アイヌはその社会生活において各種の植物資源を用いる。

 アイヌ社会にはいたるところに神(カムイ)がおり、アイヌはそのカムイとの交流を通じて、物質的および精神的な生活を組織してきた(元々「アイヌ」=人間も、カムイに対する名称である)。カムイを祀り祈る儀式には、イナウとよばれる木幣が重視される。ちょうど和人社会の神棚等に見られる垂(しで)や幣(ぬさ)と同様に、イナウはたいていの家に置かれるという(萱野茂『おれの二風谷』すずさわ書店、1975年、33頁)。これはふつうヤナギから作られる。

 あるいは、アイヌはアットゥシと呼ばれる伝統的な衣装をしばしば身に着けるが、これはオヒョウニレなどを素材とする、等。

 けれども、これら植物資源の採集は、私有林の場合でなければ法律で禁じられている。新法案もけっきょく、申請があった場合に「国有林野」の一定の「使用」を認めるだけである(第16第1項)。そこには、植物資源の「採取」をアイヌ民族固有の権利と見なす姿勢は見られない(そこに「権利」という言葉はあっても、それは契約によって生じる権利の意味を出ず、先住民族の集団的権利とは見なされていない<杉田「先住権への配慮を欠いたアイヌ政策」>)。

 だからもちろん新法案は、アイヌへの、(1)「国有林野」の返還も、その長期間の「貸与」(後述)も、全く視野に入れていない。(2)コタン周辺に位置する領域(森林等)に対する管理権も同様である。

 かつてアイヌは、北海道で自由に生きた。北海道は

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