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「アイヌ新法」は先住民運動から学んでいない

アイヌの先住権としての所有権・管理権、そして食料の優先的入手権

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

院本会議場の傍聴席で、アイヌ新法の成立を喜ぶアイヌの人たち=2019年4月19日参院本会議場の傍聴席で、「アイヌ新法」の成立を喜ぶアイヌ=2019年4月19日

土地に対する所有権

 「アイヌ新法」によって、アイヌを先住民族とみとめた以上、(1)アイヌが北海道の土地に対する伝統的な所有権(論座「「アイヌ新法」はアイヌの先住権を葬る欠陥法」)を有することを認め、実際にその保障へ向けて努力すべきである。

 中でも、アイヌコタン(集落)の存続にとって不可欠な周囲の森林を返還すべきであろう。アイヌにとって森林は、薪や材木の切り出し場として重要な意味をもった。だからアイヌは、例えば二風谷(にぶたに、沙流郡平取町)にある三井物産の社有林――最初、アイヌからとり上げられて国有林とされたが、それがいつの間にか三井物産のものになっていた――を返還するよう、くり返し求めてきた(貝澤正『アイヌ わが人生』岩波書店、1993年、186頁以下)。

 いまだにこの切実な要望は実現していないが、これが、社会的・歴史的責任を自覚しない巨大企業の現実のようである。だが、国有林・道有林なら、その返還はまだしも容易なはずである。明治政府・開拓使・道庁がアイヌモシリを「北海道」と命名して「開拓」にまい進して以来、長年にわたってアイヌに加えてきた非道――ここには日本政府が、ダム建設のためと称して「土地収用法」を使って二風谷コタンの土地を奪った事実も含まれる――を認め、アイヌが切実に求める、一定地域の国有林・道有林の返還を真剣に模索すべきである。

 あるいは万一それが不可能なら(もちろん簡単にそう言わせてはならないが)、実質的な返還という実を上げるべく、当該の土地・森林をアイヌに対して長期にわたって無償で貸与するという方式がとられてもよい。実際無償貸与は、土地の返還と同時に、オーストラリアで先住民に対して行われてきた実績がある(後述)。

領域の自然環境に対する管理権

 以上と別に重要なのは、(2)森林・水域等を含む領域の自然環境に対する管理権(論座「「アイヌ新法」はアイヌの先住権を葬る欠陥法」)を、アイヌに対して保障することである。

 例えばイナウ(木幣)のためのヤナギ、あるいはアットゥシ(アイヌの伝統衣装)ためのオヒョウニレは、単に採集できればよいのではなく、イナウやアットゥシの製作に適した種をアイヌが自ら植え育てることが可能でなければならない。

 同種のことはサケの捕獲についても言える。上流の森林が伐採されれば栄養分は川に流れず、あるいは土砂が流出し、そうなればサケは溯上しない。また孵化場が川下に作られ、溯上するサケがそこで捕獲されれば、あるいは下流に簗(やな、ウライ)が設置されて稚魚が捕獲されれば、アイヌはサケを入手できなくなる。つまり、自然環境(ここでは森林・水域)の管理権をアイヌが持つのでなければ、アイヌの伝統的な物質的・精神的な生活を守ることはできない。

 各種草本・木本の採集権・サケの漁労権が認められるのみならず、一定領域(森林・水域)の自然管理権を認めることではじめて、アイヌにとって先住権のより確かな行使が可能となる。

オーストラリア南東部リベリナ地方を流れるマレー川オーストラリア南東部リベリナ地方を流れるマレー川

食料の優先的な捕獲権――カナダ・アラスカ等

 食料の優先的な捕獲(漁労・狩猟)は、1980年代にはすでに各地――カナダ、アラスカ、スウェーデン等――で認められていたという事実が、アイヌ民族で元参議院議員の萱野茂氏によって報告されていた(本多勝一『貧困なる精神――悪口雑言罵詈讒謗集 B集』朝日新聞社、1989年、105頁、123-4頁)。

 それから30年以上が経過した今、日本政府ももうそろそろ各地で積み重ねられた経験に学んでもよいはずである。

土地の所有権――オーストラリア

 (1)土地の所有権、(2)領域の自然環境に対する管理権については、オーストラリアの経験から学ぶことが多い。

 オーストラリアの先住民は、長年にわたって権利獲得の努力を重ねてきた。そして政府(州政府を含め)は、長い目で見ればそれに対し比較的まともな対応をとってきたと判断される(もちろん政府の行政も人間のすることであるため、多かれ少なかれ「政治」が入りこんだ事実は否定できないが、ここでは論じない)。

 オーストラリアの場合、当初は、「申請者が特定の土地について伝統的な所有権を証明できた場合に限り、その土地……を、売買できない譲渡不可能な自由保有地としてアボリジナル〔先住民――杉田注〕の申請者集団に返還し得る」という対応をとった(友永雄吾『オーストラリア先住民の土地権と環境管理』明石書店、2013年、109頁)。ここで対象とされる土地は、かつての「指定地」(reserve, reservation)等に限定されていた。

 ちなみに「指定地」とは入植者側が先住民をおしこめた(たいてい)不毛の土地である。アイヌの場合も和人政府は同じ対応をとった。「北海道『開拓』でアイヌを迫害した北海道庁の罪」でとり上げた「近文」(チカプニ、ちかぶみ)などが、その典型である。ここは現旭川市の中心地に近いところに広がる、アイヌに対する「給与地」だが、道庁関係者の怠慢・詐欺等により3分の1に削られ、しかも実に40年にわたる紆余曲折を経た後にようやくアイヌに与えられた。だがこの地は伝統的な狩猟・漁労・採集生活には向かず、けっきょくアイヌはほとんどすべてを失った。

 さてオーストラリアの場合、上記のように「指定地」に限定されていたとしても、その所有権が保障された事実は画期的である。だがオーストラリアでは、その後は「指定地」等に限定されない土地についてさえ、より広く、先住民を「伝統的な土地所有者」であると見なすようになる(同前、141-149頁:ヴィクトリア州の例)。それにあわせて、かつての指定地以外の土地に対する所有権――もちろん個々のケースにおいて住人・土地所有者との間の調停が成功しなかった場合もあったが――を認める動きが強まったのである。

 今日、オーストラリアでは、州によって多寡に違いはあるとはいえ、かなりの広さの土地が先住民に返還されている(同前、33頁)。

領域の自然環境に対する管理権――オーストラリア

 土地の返還に行きつかない場合でも、オーストラリアでは、例えば「マレー河流域」(ヴィクトリア州)に見るように、周辺の森林・土地に関する「共同管理協定」(同前、116頁)が先住民と州政府との間で締結された事実が知られている。そして共同管理は、協定締結主体である先住民団体からの5人と、州政府からの3人の計8人によって構成される合同法人が行う(同上)。

 先住民団体は、協定が定めた土地と河川流域の資源管理への「合同管理」を実現しようとしたが、合同管理は最終的に土地の返還あるいは貸与を求めることにつながるため(同前、150頁)――先住民に対する99年間貸与の例が知られているが(同前、98頁)、それは実質的に所有権の返還である――、結局、同流域について実現したのは、州政府との「共同管理」にとどまったようである(同前、116頁)。

 とはいえ、その効果は大きい。他州で同じ99年の、および50年の貸与が実現したのみならず(本多前掲書『D集』朝日新聞社、1989年、103頁)、その後の「ヴィクトリア州環境評価委員会」の勧告を見ると、領域の違いあるいは先住民団体の違いによって、共同管理以外にも、合同管理の可能性が常に考慮されているようである(友永同前、141~149頁)。後続国日本は、先行国オーストラリアの経験を活かすべきであろう。

 人口密度の稠密な日本とオーストラリアを単純に比べることはできない、と言われるかもしれない。だが、ヴィクトリア州と北海道の人口密度の比は1:2.6程度であるが、アイヌが比較的多く住む町村に限定すれば比は1:0.71となり、かえって北海道の人口密度の方が低いのである。ただしヴィクトリア州の人口の多くがメルボルン市区に集中するため、ここをのぞけば比は約1:2となるが、要するに人口的に見た場合、ヴィクトリア州でできることは北海道でもできるはずである。

新しいサケを迎え入れる儀式、アシリチェップノミ新しいサケを迎え入れる儀式「アシリチェップノミ」=1987年、札幌市豊平川河川敷

国立公園ではなくコタンの周辺の森こそ重要である

 ところで上記マレー河流域では、自然環境保護のために、国立公園化および先住民による公園管理がめざされたようである(同前、134頁)。その点では、小野有五氏が、大雪山・日高山脈など国立公園・国定公園に指定されている場所の自然の管理をアイヌに委ねようと提案した事実は、確かに興味深い(小野有五編『先住民族のガバナンス――自治権と自然環境の管理をめぐって』、北海道大学大学院法科研究科附属高等法政教育研究センター、2003年、8頁)。

 だがアイヌ政策として重要なのは、土地が国立公園・国定公園かどうかではなく、

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