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入場料を払う本屋「文喫」で、本は売れるのか?

高橋伸児 編集者・「論座」

「共に在る」ということ――食と本をめぐって

 さて、本欄では最近目についた本も紹介するルールになっているので、1冊推薦しよう。この「文喫」で、食や料理の棚はシェフが選書しているだけあってか、柴田書店など料理人向けの専門書がかなり並んでいるのだが、その一角で見つけたのが湯澤規子『胃袋の近代――食と人びとの日常史』(名古屋大学出版会)。これも面白いが、ここでは、新刊の『7袋のポテトチップス――食べるを語る、胃袋の戦後史』(晶文社)を紹介する。

 アンパンマンや、サザエさんに登場する戦後の食、帝国ホテル総料理長だった村上信夫、ダイエーの中内功、農家や街の人、そして筆者自身の「食物語(たべものがたり)」=「食の履歴書」。これに、様々なデータを織りあわせてみえてくる戦前から現代までの、つまり飢餓から飽食までの食の風景。アカデミックな手法と「物語」がうまく案配され、僕も老親から物語を聞かねばならないという気にさせられた。書名「7袋のポテトチップス」の意味を明かすのは控えておく。これは本書の最終盤に登場する、本書の基点となった、「食べる」という個人の行為がいかに社会とつながっているかをよく象徴しているエピソードだ。

 本書から浮かび上がってくるのは、かねて「飽食」の社会と言われながらも、相矛盾したかのような、「豊かな」国の姿だ。もともと五感で味わっていた、「食べる」という行為が、栄養素やエネルギー、カロリーという数値に還元されるものを摂取する行為になりつつある。つまり「頭で食べる」ようになってきたのだ。同時に、これだけ食の情報が溢れていながら食や料理に関心がない層が増えているという。本のなかでも少し触れられているが、店で料理の写真をインスタグラムに盛んにあげて、皿にろくに手を付けない客が問題になっているのも一つの典型だ。「食べる」という行為が崩れているのだ。

 著者が強調するキーワードは「共在」。「食べる」行為は本来、何かと「共に在る」ことだった。「『何か』とは、人に限らない。……神様や精霊、先祖から継承してきた精神、地域、土や水、生き物の命」も含まれる。だから、高齢社会や家族の崩壊などで「孤食」が指摘されるが、「じつは私たちは人と食べなくてもよいのである」。

「飽食」から「崩食」へと移り変わってきた胃袋をとりまく世界を、何かと、そして誰かとめぐり逢う、「逢食」へと転換させる、ささやかではあるが、確かな試み……

 これは、食に限らない普遍的なテーマではないのか……。ここで、本の話に無理やり戻せば、この「食」という言葉を「本」に置き換え、「共在」という言葉を添えてみる。本屋で、本を選び、好きな場所で、本を読む行為。本と、書店員と、棚の担当者と、そして見知らぬ客と――。……なんて柄にもない締めくくりになってしまったが。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。

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筆者

高橋伸児

高橋伸児(たかはし・しんじ) 編集者・「論座」

1961年生まれ。「朝日ジャーナル」「週刊朝日」「アサヒグラフ」、論壇誌「論座」、PR誌「一冊の本」、単行本・新書の編集部を経て、2011年から言論・解説サイトWEBRONZA(現・「論座」、朝日新聞社)の編集者。つくった本は、『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』、藤崎康『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』、中島岳志『秋葉原事件』など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです