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ノートルダム大聖堂火災、市民の対照的な光景

林瑞絵 フリーライター、映画ジャーナリスト

4時間以上たっても燃え続けるノートルダム大聖堂火災発生から4時間以上たっても燃え続けるノートルダム大聖堂

 ユネスコの世界文化遺産に登録されるパリのノートルダム大聖堂。2019年に、856歳の誕生日を迎えたこの歴史的建造物が、4月15日の夜、真っ赤な炎に包まれた。その様子は日本を含む世界にも、大きな驚きをもって広く報道された。当のフランス国民はというと、当たり前にパリの景観に溶け込み、長きにわたって優美な姿を誇ってきた大聖堂が、今まさに消滅するかもしれないという現実味のなさに呆然とし、驚き悲しみ、動揺していた。

 筆者はパリ在住であるが、初めに家族から電話で「ノートルダムが燃えている」と聞かされた時、まずはフェイクニュースを疑ってしまった。昨年(2018年)末、パリのコンコルド広場前にある美術館ジュ・ド・ポームが焼けたというニュース(実際は建物近くの車が焼けただけだが、写真のせいで建物が燃えているように見えた)に、まんまと引っかかったせいである。しかし、まもなく報道はノートルダムの火災の話題一色となり、事実のあまりの重さに愕然とした。

 鎮火までにはかなりの時間を要した。報道によると18時50分頃に出火し、ほぼ鎮火にこぎつけたのが明け方近く。多くの国民が固唾を呑み、成り行きをライブで見守るという特異な体験をしたことだろう。とりわけ尖塔が崩れ落ちる光景には、大きな衝撃が走った。

 さて、火災発生中から、ネット民に広くシェアされた動画が2種ほどあった。

 ひとつは燃え盛る大聖堂に向かい、信者たちが賛美歌を捧げるシーンである。彼らは肩を寄せ合い歌っているのだが、中にはひざまずいたり、涙声の人まで見られた。場所は現場から至近距離にあるオルレアン河岸やサン・ルイ橋、サン・ミッシェル広場、教会のあるサン・ジュリアン・ル・ポーヴル通りなど。彼らの自然発生的な振る舞いは、信者でなくとも強く胸を打つものがあった。たとえ火災現場に一緒にいなくとも、人々は動画をシェアすることで、彼らの気持ちに寄り添い、ともに祈る気持ちになったのではないか。祈りは宗教観の違いを超え、人間の原始的な感情でもあるのだろう。

パリ市民たちが拍手を送り、激励するなか通過する消防車=「ル・モンド」のサイトよりパリ市民たちが拍手を送るなか、消火活動から戻る消防車=「ル・モンド」のサイトより

消防隊員への拍手、ねぎらい、握手まで

 もうひとつの印象的な動画は、仕事を終えて戻る消防車を、市民が大きな拍手で迎えるシーンだ。消防士の証言によると、今回は特に厳しい消火活動になったという。すぐ隣を流れるセーヌ川の水を使えるという利点はあったが、そもそも大聖堂の背が高く、崩れ落ちた尖塔は96メートルもあり、出火の位置も屋根付近。屋根の柱や梁に多くの木材が使われていたことも、延焼を早めた原因のようだ。

 ノートルダムは単なる教会ではない。建物そのものがゴシック建築の傑作と言えるものである。「薔薇窓」と呼ばれるステンドグラスや、フランス最大級のパイプオルガンなども芸術的な価値が高い。内部には宗教関連の美術品や文化財を数多く抱え、ミュゼ(美術館・博物館)の役割を併せ持つ。単に水を大量にかけて消火をすればすむ話ではなく、建物の崩壊を避けるように注意しながら放水し、同時に聖遺物ら宝の数々も救い出さなければならなかった(トランプ大統領はそれを知らずに、ツイッターで上空からの放水を訴え、一部から嘲笑されていた)。

 そのような難儀な作業を、市民は日が落ちた後も遠巻きから不安そうに見守っていた。そして消火活動を終えた消防車が橋を渡って戻る際には、消防隊員に向けてねぎらいの拍手を送った。なかには隊員にコーヒーやパン、チョコレートを差し入れたり、花を渡したり、握手を求める人までいたという。

消防車を拍手で迎える人々と、賛美歌を捧げる人々の両方が見られる動画(ル・モンド)

 この2種の動画は、パリの直後の

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