
皇后・雅子さまに自らの人生を語っていただけないだろうか
「論座」トークイベント「皇室から考える女性の生き方」(5月18日)
均等法第1世代、皇室への「転職」
5月1日午前、新天皇即位の儀式を伝えるNHKニュースに、新皇后雅子さまと田園調布雙葉学園で小学校から高校まで一緒だったという友人2人が出演していた。
そのうちの1人、土川純代さんはかつて大手銀行の総合職として働いていたという。雅子さまの外務省勤務と合わせ、司会の武田真一アナウンサーがそう紹介した。
「女性がバリバリ働く時代の幕開けでしたよね。働くことについて、どんなふうに語り合いましたか?」という武田アナの問いかけに、土川さんはこう答えた。
「お互いに均等法施行後の1期生として一緒にキャリアを積んで、社会貢献できるようにとよく語り合っていました」
雅子さまを考える上で、絶対に欠かせないのが男女雇用機会均等法(均等法)だ。5月18日の論座トークイベント「皇室から考える女性の生き方」でも語る予定だが、雅子さまの入省は1987年、均等法施行の翌年で「均等法第1世代」(86―90年入社の総合職女性)、土川さんの言うところの「1期生」であることが大きいと思う。
ちなみに私は均等法施行の3年前に新聞社に入ったが、「社会貢献しよう」などと友人と語り合ったことは一度もない。自分のダメさを棚に上げて続けるなら、均等法という仕組みが社会貢献をしようという発想を作ったという面も多々あったと思う。そう、第1世代の女性たちは、使命に燃えていた。
バリキャリなどという言葉は、もう死語だろうか。バリバリのキャリアウーマンの略。ハーバード大→東大→外務省と絵に描いたようなバリキャリの雅子さまが93年、皇太子さま(当時)と結婚された。だから婚約が決まった皇室会議後の記者会見で、外交官の職を捨てることに後悔はないかと質問が出たのは当然のことだった。
「いろいろと考えた結果、今私の果たすべき役割というのは殿下のお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないか、と考え」決心したのだから悔いはない。それが雅子さまの答えだった。
自分を役立てる。すなわち「社会貢献」。土川さんと語り合った、その旗は降ろさない。ただ、歩く道を変える。嫁ぐというより転職。雅子さまは変わらず、使命に燃えていた。

外務省を退職する際、北米二課で記念品を受け取る雅子さま=1993年2月、代表撮影