
一般参賀に集まった人たちに手を振る天皇、皇后両陛下=2019年5月4日
26年後の黄色のワンピースと帽子
それから10年経った2003年12月、雅子さまは公務を停止した。「適応障害」という病名が発表されたのが翌年7月で、今も療養は続いている。雅子さまに何があったのか。皇太子さま(当時)から「雅子のキャリアや人格を否定する動きがあったのも事実です」という発言があり、「あまり外国訪問ができなかったことに悩んだ」という追加の説明もあった。だが、それだけではないだろうと思った人は多かった。
中でも敏感に反応したのが、均等法第1世代の女性たちだった。彼女たちも悩んでいたから、雅子さまに自分を重ねたのだ。均等だったのは雇用機会だけ、会社は相変わらず男性ファースト。その現実を前に彼女らは、直感的に雅子さまの現状を把握した。皇室という組織が雅子さまの活躍を阻んでいる、と。
令和が始まる3カ月前に『美智子さまという奇跡』を上梓した。民間から皇室に入り、ミッチーブームを起こした美智子さま。皇后になってからも、国民の期待以上の働きをされた。その奇跡の軌跡を描きつつ、後に続く雅子さまの苦しさも書いた。
「皇室外交できますよ」と言われたのに、皇室に入ってみれば想像と違うことがたくさんあった。まず期待されたのは「お世継ぎ」だった。そういう金澤一郎さん(元皇室医務主管)の証言なども紹介した。
「読んでいて涙が出た」と言った人がいた。均等法第1世代の女性だった。あんな素晴らしい人が苦労されたことが、改めてわかった、自分も新卒で入った会社で悩んだから、心にしみた。そう感想を言った後、最近の雅子さまが明るくてうれしい。そう言って笑っていた。
皇后さまになって、雅子さまはこれまで以上に堂々とされている。5月4日には即位を祝う一般参賀で、にこやかに手を振っていた。明るい黄色のロングドレスに同色の帽子が、よく似合っていた。26年前と同じだった。
「新しい道で自分を役立てる」という決心を語った記者会見の時も、雅子さまは明るい黄色のワンピース、同色の帽子だった。出発点に帰るような思いで、同色のドレスを選んだのかもしれない。そう勝手に想像した。

婚約決定後の記者会見で、皇太子さま(当時)について多くを語られた雅子さま=1993年1月19日