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優秀なのに自己肯定感が低い女性が多いのはなぜ?

優秀であるほど突き刺さる自己責任論の刃

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

「環境」にも問題があるのに、「成果が出ないのは努力が足りないせいだ」と、自分ばかりを責める女性は少なくないという(写真はイメージです)
「環境」にも問題があるのに、「成果が出ないのは努力が足りないせいだ」と、自分ばかりを責める女性は少なくないという(写真はイメージです)

 日本人は自己肯定感が低い人が多いと言われています。実際、「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」のような統計を見ても、他国と比べて自分自身に満足できている人の割合はかなり低くなっています。とりわけ、男性よりも女性のほうが低い傾向にあるようです。

 自己肯定感の高低は、必ずしも学力・収入とは一致しません。勉強や仕事において優秀な人や、様々な才能に恵まれている人、社会の美的基準と一致した容姿を兼ね備えている人ほど、自己肯定感も高いと思うのが自然かもしれませんが、「優秀なのになぜか自己肯定感が低い」という人がおそらくあなたの周りにもいることでしょう。

 では、優秀なのになぜ自己肯定感が低いのでしょうか? 様々な理由が考えられると思いますが、「優秀なのに自己肯定感が低い」ではなく、「優秀であるからこそ自己肯定感が低い」という視点で見ると、どこに問題があるのかとてもよく分かると思います。

自己責任論の矛先が自分自身に向いてしまう

 それを紐解く上で重要なのが、前回の記事「上野千鶴子・東大祝辞への反応で分かる貴方の味方」でも触れた上野千鶴子氏による東大入学式の祝辞です。上野氏は祝辞の中で「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだ」と述べました。

 これは、成功した者が陥りがちな「公正世界仮説(=「頑張った分だけ必ず報われる」という認知バイアス)」と、そこから導かれる「自己責任論(成果が得られないのは頑張らなかったからだという考え)」を暗に否定しています。

 上野氏があの場面でこの発言をしたのは言わずもがな、東京大学の入学者や出身者に「環境のおかげ」という要素を理解することができず、「東大合格という結果に繋がったのは100%自己の努力の成果だ」と思い込んでしまう人、つまり自分の努力を過剰に評価してしまう人が少なくないと感じているからでしょう。

 この歪んだ解釈は、成功しているうちはまだ悪影響は少ないのかもしれません。ですが、たとえ優秀な人でも人生は成功ばかりではなく、失敗もすれば壁にぶつかることもあります。むしろそのほうが多いのが通常でしょう。その時に、環境要因という概念が欠如していると、全て矛先が自分に向いてしまいます。「成果が出ないのは100%自分のせいだ」と、自分を責める論拠になってしまうわけです。

なぜ優秀な女性が婚活セミナーにカモられるのか

 それが最も如実に表れているのが、恋愛・結婚・妊娠・出産における悩みではないでしょうか。本来それらは相手があるものですし、時代背景やタイミング等の様々な要因から影響を受けるため、努力が成果に直結しないことのほうが多いはずです。ところが、優秀な女性ほど「公正世界仮説」を信じ込んでいるために、「努力不足の自分がいけないのだろう」と考えてしまいがちです。

 それゆえ、女性向け婚活指南では、「恋愛・結婚ができないのはあなたに原因がある!」「男ウケの悪い服装やしぐさをしていたらモテなくて当然だ!」という趣旨の圧力をかける婚活アドバイザーが非常に多くいます。中には、半ばマルチ商法に近いような高額なセミナーを実施している女性起業家もいて、そのカモにされている優秀な女性も少なくないのです。

 拙著『恋愛氷河期』はこれの真逆で、就職氷河期に就職がうまくいかなったように、人々の恋愛や結婚がうまくいかなくなったのは環境のせいである面が大きいと説きました。しかし、自己責任論を唱える婚活アドバイザーの教えのほうが、「公正世界仮説」を信じている彼女たちの価値観とピッタリと一致しており、業界を席巻しているのが現状です。

男女平等110位=「環境のせい」ばかりの社会

 ですが、自分に問題の原因を求めたところで、恋愛や結婚の悩みが改善するわけがありません。直さなければならない点はお互いあるはずなのに、婚活アドバイザーの指南通りに自分だけの責任に負わせれば、女性を消費・支配しようとする男性にとって都合の良い存在になるだけです。人と人とが素顔で対等に向き合うパートナーシップからは遠ざかり、恋愛・結婚の悩み解決からますます遠ざかることでしょう。

 結果、無駄な失敗をいくつも積み上げてしまいます。自己責任論というと、昨今は「被害者バッシング」や「生活保護受給者叩き」等、他者を叩く論拠として認識しがちですが、それは矛先が自分に向く可能性のある諸刃の剣です。失敗や壁にぶつかることのほうが多い社会では、公正世界仮説を信じている限り、自己肯定感が高まらないのも当然と言えるでしょう。

 そして、医大入試の女子差別の例に限らず、ジェンダーギャップ指数(2018)世界110位(世界経済フォーラム)の日本では、女性の社会的障壁は、男性よりも圧倒的に多く存在します。政治やビジネスだけでなく、ルッキズム(差別的な外見至上主義)やエイジズム(差別的な若さ至上主義)の圧力が強いのも女性ですし、性的自由が侵害されやすいのも、全て女性です。

 そのような「環境のせい」がたくさんあるはずの女性差別社会で公正世界仮説を信じて「自己責任」に回収してしまえば、「あなたが悪い」という莫大な量の「刃」が自分に降ってくるわけです。女性のほうが男性よりも自己肯定感が低い要因は、ここにも見出すことができると思います。

努力とアイデンティティーの過剰な結び付き

 このように、公正世界仮説や自己責任論が、自己肯定感を下げる要因になっているはずなのですが、困ったことに、努力をしてきた人ほど環境のせいにすることを頑なに拒むという側面もあります。

 これまでたくさん努力してきたという自己認識がある人の中には、その努力が自己のアイデンティティーを過剰に占有している人が少なくありません。幼いころから努力を評価されてきたこともあり、努力できる人間像と自己のアイデンティティーが分かちがたく結びついているわけです。

 そんな折、不遇を環境のせいにすれば、努力によって得られたと思っている成功も当然環境のせいになってしまいます。これでは、「努力してきた」という自己のアイデンティティーの一部が崩壊してしまいます。そのために、今自分が不遇だと感じていても、「努力のせい」とは対にある「環境のせい」と言い切ることは、彼女たちにとってはとても難しいことなのでしょう。

 「そこまで努力しなくとも私は素敵な人間だ」と思えるよう、努力とセルフイメージの分離が必要ですが、優秀な女性ほど、優秀であるがゆえに「努力無しでも素敵な私」を見出せる機会が少ないのも厄介なところです。

自己責任論で武装して自分を守ってきた

 また、彼女らが公正世界仮説や自己責任論を手放せない2つ目の理由として、日本社会は同調圧力が強く、出る杭が打たれることも多いため、優秀な人ほどその被害に遭いやすい傾向にあるという点もあげられます。公正さよりも前例や権威が重視されるため、理不尽・不条理なことに遭う機会は平均的な人よりも多いでしょう。とりわけ、女性差別が根強く残る日本社会では、男性よりも女性のほうがその傾向は強いはずです。

 そのため、自分の力でのし上がってきたという自意識がある人ほど、努力をしない人々や、そのような人々も自分の生活圏に存在していた過去の環境(例:地元のコミュニティー)に対して無関心でいることができず、強い悪意を抱いてしまいがちです。

 頑張ったことで、周りがみな同じように優秀で自分が「出る杭」ではなくなった環境にたどり着いたために、内集団バイアス(自分が現在所属する集団を実態よりも好意的に評価する傾向)が強化され、「環境のせいにして努力をしないあの人(昔自分がいた環境に残っている人)たちと私は違う」という一種の選民意識が、強く自意識の中に刷り込まれます。

 ですが、現実は「何でも環境のせいにする人」は決して多くはありません。誰もが何かしらの努力をしているはずです。にもかかわらず、そのような人々を無意識のうちに自分の仮想敵に据えて努力を重ねてきたために、「環境のせいにする=自分の嫌悪する人と一緒のことをしてしまう」という一種の恐怖心から、これまで自分を守ってきた公正世界仮説や自己責任論を手放しにくいわけです。


皇后雅子さまにも、自分がなさりたいことを阻んだ「環境要因」が多々あったのではないだろうか
皇后雅子さまにも、自分がなさりたいことを阻んだ「環境要因」が多々あったのではないだろうか

皇室の女性が象徴する時代の生きづらさ

 さて、これまで優秀であるがゆえに抱えた公正世界仮説が、自己責任論となって女性のもとに襲いかかり、彼女たちの自己肯定感を削いでいるという話をしてきました。その“象徴”とも言えるのが、2019年5月1日に皇后になった雅子皇后ではないでしょうか。

 もちろん、彼女がどの程度公正世界仮説を抱えているかは分かりません。ですが、優秀な外交官でバリバリとキャリアを積んでいたのに、嫁いだ後は「人としての活躍」ではなく「お世継ぎづくりの活躍」を求められたことをはじめ、皇室関係者や世間に根強く残る男尊女卑的な価値観等、自分がやりたいことを阻んだ「環境要因」が莫大にあったはずです。それなのに、「自分が至らなかったのでは」と、矛先を自分に向けてしまったことも、ご病気の原因にあるのではないでしょうか。

 元号が「令和」に変わり、世間やマスコミでは連日お祭り騒ぎの様相を呈していますが、雅子皇后を追い詰めた平成の世の生きづらさは、この令和の世でも何一つ変わっていません。世間やマスコミが眞子内親王の結婚にあれこれと口出ししているのがまさにその典型ですが、相も変わらず様々な障壁が無限に存在するのがいまの社会です。

 そこで、「論座」では、美智子上皇后、雅子皇后、眞子・佳子内親王のもとに降りかかる様々な世間の理不尽な圧力や障壁から、それぞれの時代の女性の生きづらさの問題を読み解き、自分たちがこれからの時代をどう生きていけばよいかを考えるトークイベント「皇室から考える女性の生き方」を、2019年5月18日(土)に開催することになりました。私も演者の一人として登壇させていただきます。ご来場をぜひともお待ちしております。