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自動運転技術は自動車「事故」の解決策にならない

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

車載カメラによる映像認識の様子が映し出された車内のモニター。人や車が囲まれて表示されている=2019年3月23日午前8時50分、鳥取県八頭町拡大自動運転バスの走行実験で、車載カメラによる映像認識の様子が映し出された車内のモニター=2019年3月、鳥取県八頭町

「自動運転」への過剰期待はひかえるべきである

 ITは日進月歩であり、これの自動運転(安全運転をふくむ)への応用は、私が考えていたレベルをはるかに超えているようである。

 だが少なくとも現時点では、自動運転は未完成の技術にすぎない。しかも、仮に一般道路での自動運転が技術的に可能だったとしても、それを低コストで乗用車に応用しうるか否かは別問題である。近年、新車の値上がりが続いているが、これに加えて1台あたり100万円単位の経費がかかるハードのために(鶴原吉郎『EVと自動運転――クルマをどう変えるか』岩波新書、121-5頁参照)、一体どれだけの人が出費を承認するであろうか。

 なるほど公道上での実験や、高レベル自動運転の実現可能性が喧伝されている(ただし世間で言われるほど未来は明るくないようである。冷泉彰彦『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢―クルマの近未来』朝日新書、68頁以下)。

 だが、仮に現在保有されている8000万台を超える車すべてが一般道路を走れる自動運転車になったとしても、それははるか未来の話である。自動運転のためにはエンジンよりもモーターがより効果的だというが、モーターで駆動するEV(電気自動車)の完全普及にさえ、今後30年はかかると見こまれているほどである(鶴原179頁;7頁、42頁)。

 そもそも自動運転車に乗るには相応の動機が必要だが、車の運転自体を「現在望みうる最大の自由の悦び」を与える装置(佐藤潔人『自動車=快楽の装置――人間との〈幸福な〉関係をめざして』光文社、5頁)と見る人が、はたして自動運転を受け入れるだろうか。私がみるところ、多かれ少なかれその種の思いを車に託す人は決して少なくない。

 安全運転の観点にしぼっても、問題が多い。自動運転技術がどんなに高度になろうが、物体の運動法則(慣性の法則)

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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