21世紀の『イギリスにおける労働者階級の状態』
2019年05月17日
毎年10月に開かれるフランクフルト・ブックフェアは世界最大のブックフェアです。フェアの期間中はフランクフルトの街は、いわば本の街と化します。主要なホテルのロビーは昼間から打ち合わせの場所となり、夜は社交の場として賑わいます。お酒を飲みながら本についての情報を交換するのが、フェアの楽しみの一つと言ってもよいくらいです。その晩、フランクフルトのホテルにある大きなバーで、私はイギリス人の女性エージェントと歓談していました。
2005年のことだったと記憶しています。朝から英語でのミーティングを続けてきた疲れからか、アルコールの回りが早いことは自覚していました。ちょうどイギリス文化とドイツの文化の違いについて語り合っていた時だったので、注文を取りに来た初老のバーテンダーに何気なく「あなた方ドイツ人は……」と語りかけたのです。それに対する答えは、予想もしないものでした。
「アイム・ターキッシュ(私はトルコ人だ)」。バーテンダーは突然私に向かって大声で叫びました。世界中の出版関係者がずらりと並ぶ広々としたバーが一瞬、水を打ったように静まり返り、困惑が広がっていくのが分かります。私の発した不用意な一言がこのような激烈な反応を呼び起こしたに違いないという非難の眼差しが、刺すようにこちらに向けられたのを鮮明に覚えています。21世紀になってもトルコからの移民がドイツの大きな社会問題であることは承知していました。
夜、フランクフルトの街中を歩いていると明らかにドイツ人とは違う雰囲気の若者たちが、不満をぶちまけるように、酒に酔って何事かを大声で叫んでいます。タクシーに乗って何気なく、昨日の運転手は道を知らなかったと言えば、運転手は断定的に何度も同じ言葉を繰り返しました。
「そいつはトルコ人に違いない。俺たちドイツ人は道をよく勉強しているんだ。そいつはトルコ人だ」
移民に対するあからさまな反感を聞くことはひどく不快でした。善良そうなドイツ人が、トルコ人のことを話すと豹変するのですから。そういう発言を聞いた時に私の脳裏に浮かんだのは、以前に読んだ『最底辺 Ganz unten――トルコ人に変身して見た祖国・西ドイツ』(ギュンター・ヴァルラフ著、マサコ・シェーンエック訳、岩波書店、1987、品切)でした。
この本はドイツ人ジャーナリストがトルコ人に変装して最底辺の労働現場へ潜入して書かれた迫真のルポルタージュです。冷戦下の西独で書かれたものですが、21世紀になっても依然として読む価値のある、いわば古典的な名著であると思います。コンタクトレンズで目の色を濃くして、さらに黒い毛のかつらをかぶり、自らをトルコ人のアリと名乗って、片言のドイツ語を話し現場に出ていく著者の勇気ある行動は、ドイツ社会の実態を描き出すことに成功しています。
ドイツ人たちがいかに残酷にトルコ人をはじめとする移民に接するのかを読んで慄然としました。農家で家畜のように扱われ、手回しオルガン弾きをしても1銭も稼げない。建築現場では労働者用の汚れたトイレを清掃させられ、過酷な労働を強いられる上にドイツ人の同僚にひどい言葉で侮辱される。
派遣会社から工場に送られた著者であるアリは、まさに最底辺の劣悪な環境の職場で長時間労働をするトルコ人の「同胞」に出会います。最終章では原発のことにも触れられています。原発で問題が起きた時はトルコ人労働者が動員されるのです。もし被曝しても祖国に帰国したら何十年か後の健康問題は、ドイツの統計に出ることもないからです。
訳者あとがきで、この本は当時の西ドイツ出版史上最高のベストセラーになったとあります。この訳書が刊行された時点で240万部という数字には驚きました。ふだんはこの種の本を読まない労働者はもちろん、在独トルコ人もトルコ語訳で読んだといいます。
メルケル首相の難民問題への取り組みに対する強い反発や最近のスペインをはじめとするヨーロッパ諸国の反移民を掲げる極右の台頭など、現在の先進国の抱える移民問題は深刻です。今年から外国人労働者の受け入れを拡大した我が国も例外ではないことを肝に銘ずるべきではないでしょうか。
10年ほど前のことです。南フランスを旅していた時でした。南仏の美しい風景を楽しんでいた私は、そのイメージを覆すような光景を目にします。エクス=アン=プロヴァンスにあるセザンヌのアトリエを訪ねた時でした。バスに乗った私は車内が仕事帰りらしいアフリカ系やアラブ系の若者でいっぱいなのに気づきました。
後で行き先に彼らの住む共同住宅があるからだと知るのですが、いわゆる私たちのイメージするフランス人は一人しか乗っていません。若い女性が赤ん坊を抱いて座っていたのです。その時の彼女の悲しいくらい緊張した表情を忘れることができません。若者たちは気さくに挨拶を交わしていますが、母親は子供を強く抱きしめたままずっと下を見ていました。
フランス人の友人にこの話をした時に彼はこんな風に言いました。
「その若者たちも、もちろんフランス人だよ」
「フランスで生まれた者はすべてフランス人だ」という理想主義的なフレーズを聞いたことがありますが、現実はそううまくいっていないことをまざまざと思い知らされた出来事でした。
「夜明けにはマリの人々がパリの肌を変える」(永瀧達治訳)というシャンソンの一節が思い出されます。イヴ・シモンという歌手が歌った『パリ'75』という曲です。朝の早い時間に道路清掃で働いているのはマリ人などの黒人やアラブ人。旧植民地から来た労働者が多いことを示唆しています。人間は皮膚や目の色、そして文化的、宗教的な背景で自分と他者を否応なく区別する存在であることを深く思い知りました。
もう1冊ご紹介しましょう。『ニッケル・アンド・ダイムド――アメリカ下流社会の現実』(バーバラ・エーレンライク著、曽田和子訳、東洋経済新報社、2006)です。タイトルのニッケルは5セント、ダイムは10セント硬貨のことで、「小額の金銭しか与えられない」という意味だと訳者あとがきで説明されています。
コラムニストである著者は、低賃金労働者のなかに入っていき、自分で働きながらその世界を経験します。世界一豊かな国・アメリカの文字通り最底辺で働いたルポルタージュですが、2001年に刊行され、翻訳が出た時点でミリオンセラーとなっています。著者がウェイトレス、掃除婦、スーパーの店員として働いた日々を克明に記した内容で、博士号をもつ彼女は単純労働が想像以上に大変であることを総括として綴っています。
いわゆるワーキング・プアと呼ばれる働く貧困層の固定化が進み、私たちがすぐに思い浮かべる「アメリカン・ドリーム」がすでに困難になっている現実が描かれています。アメリカというとすぐにシリコンバレーの成功物語を思い浮かべますが、住む所にも困っている最下層の労働者がこれほどいるのだという重い現実を知りました。
ニューヨークで出版社回りをしていた時に、若いタクシー運転手から「少なくとも、少なくとも、あなたはここに来られる。ぼくは外国旅行なんか絶対にできないんだ」と言われたことを思い出しました。GAFAなどという華々しい企業の成功物語から取り残されたアメリカ人もたくさんいるのです。移民国家としてのアメリカはいまも年に100万人を受け入れていますが、トランプ大統領を支持するような貧しい人たちの気分というものも、この書を読むと分かるような気がします。21世紀初頭に書かれた内容は、今日性をいささかも失っていません。
イギリスでは最近、東欧からの移民が大きな問題となっていることを最近この本で知りました。自社の本を紹介するのはいささか気がひけるのですが、『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した――潜入・最低賃金労働の現場』(ジェームズ・ブラッドワース著、濱野大道訳、光文社、2019)は、その内容からいって前掲の2書を継ぐものだと言えます。本書もジャーナリストがイギリス社会の労働現場に潜入取材したものです。異なるのは、アマゾンやウーバーといういわば最先端企業が最底辺となっていることです。
1980年代に初めてイギリスに行った時、インド系、アフリカ系など外見からもわかる旧植民地から来た移民たちが、大勢働いていることに驚きました。その頃の日本には、今日のように身近で働く外国人労働者はまだ多くなかったからです。本書によると、現在イギリスのアマゾンの倉庫で働いているのは、ほとんどが東欧からの移民です。いわゆる「欧州移民」であり白人なのです。その多くはルーマニア人なのですが、几帳面な働き手として、過酷な倉庫勤務をこなしていきます。著者が手首に歩数計を巻かれ、1日平均16キロも歩かされるような職場で、です。
私たちが気軽にクリックして買い物をする背景には、こういう労働の現場があることは、日本のジャーナリスト横田増生さんが書いた『潜入ルポ アマゾン・ドットコムの光と影――躍進するIT企業・階層化する労働現場』(情報センター出版局、2005、品切)を読んで知ってはいましたが、イギリスでは東欧から来た移民が静かにその役割を果たしていたのです。
日本人には少々分かりにくい「ブレグジット」も東欧から大挙して押し寄せてきた(と普通のイギリス人は見ている)大量の移民に対する生活実感から来ている部分があるのが分かります。
さて、著者はアマゾンで働いた後、ブラックプールという屈指のリゾート地で訪問介護の仕事につきます。老人の介護は少子高齢化の進む先進国では最大の問題なのです。
イギリスでは介護士の報酬は非常に低く抑えられています。だから離職率も高いのですが、若き同僚はそれでも生きていくために二つの仕事を掛け持ちしています。そしてこの世界でも近年、東欧からの移民が多く働くようになってきているのです。介護の世界もアマゾンと同じ様相を呈している。しかし問題もあります。英語が堪能でない移民は薬の指示などをきちんと把握できない可能性があるからです。これは事実上「移民国家」になりつつある日本にとっても決して他人事ではありません。
コールセンターの仕事を経て、最後に就職したのはウーバーでした。そこでアプリを利用して民間のタクシー業者として働くことは、被雇用者ではない自営業者とみなされます。ですから労働者に与えられる様々な権利はありません。ここでも著者が就職試験を受けに行った会場にいた多くの人間が第1、あるいは第2世代の移民でした。
イギリスの雇用裁判所はドライバーが自営業者だという考えをきっぱりと否定する判決を2016年に出しました。その訴えを起こしたドライバーは後に労働組合を立ち上げます。しかし彼はウーバーを否定しているわけではありません。それは私たちがアマゾンのない生活をもはや想像できないことと同じで、ウーバーそれ自体のシステムは既存の会社よりも便利で合理的なことは理解しているのです。
イギリス礼賛本がよく読まれた時期がありました。階級制度のあるイギリス社会の中流から上層のライフスタイルを紹介することで、読者の共感を得ていたのだと思います。そこにブレイディみかこという書き手が登場します。『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017)では、最底辺からのイギリス社会のレポートが日本人の手によって書かれました。これは画期的なことでした。
かつて「一億総中流」という言葉がよく使われました。企業の一括採用、年功序列賃金、終身雇用が当たり前の時代でした。しかし現在の我が国は、西洋型の資本主義にほぼ移行したと考えることが妥当ではないかと思います。そして「格差問題」や「移民問題」と正面から向き合うことなく、本質的な議論を避けてやり過ごそうとするのは大変危険な考えのように思えます。高度化した資本主義の恩恵を受けながらも、そこに批評的な視点を常に持ち続けることが必要なことを、今回紹介した海外の優れたルポルタージュが教えてくれるのではないでしょうか。
エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いたのは1845年です。今、マルクスやエンゲルスが、生きていたらこの世界をどう分析するでしょう。彼らもアマゾンで買い物をし、ウーバーのタクシーに乗り、SNSを使うのでしょうか。それとも峻拒するのでしょうか。実に興味深い問いではあります。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください