高齢者、認知症と楽しく生きる俳優の覚え書き
2019年05月24日
僕の肩書は、俳優と介護福祉士。
「介護と演劇は相性がいい」を合言葉に、OiBokkeShi(オイボッケシ)という劇団を主宰している。どのくらい相性がいいかというと、僕は介護の仕事中に演技をし、演劇の稽古中に介護をする。
この連載では、介護と演劇という異なる分野がどのようにつながるのか、そして、93歳の俳優と歩んできたOiBokkeShiの物語をお伝えできたらと思う。
僕は「青年団」という劇団に所属し、東京の小劇場で俳優として活動をしていたが、27歳のとき、結婚を機に職業訓練に通うようになった。俳優だけでは飯が食えないし、これまでのようにアルバイトを転々とするよりも、演劇とは別のスキルを身につけた方がいいということで、なんとなく選んだのが介護だった。
高校時代に認知症の祖母と一緒に暮らしたことがあった。祖母は、デイサービスで出会った男性と駆け落ちをしようとしたり、タンスの中にいる人にご飯をあげようとしたり、奇妙な行動をとるようになっていた。その頃は、認知症になったとは思っておらず、祖母がぼくの知っている祖母ではなくなっていくような気がして戸惑った。
そんな祖母に、家族はどのように関わればいいのかわからなかった。ぼけを正せば、元のしっかりとした祖母に戻ってくれるのではないか。ぼけを受け入れたら、ますますおかしくなってしまうのではないか。そんなふうに悩んだのを今でもはっきりと覚えている。
大学進学で実家を出て、祖母との生活は終わった。たまに実家に電話をかけると、親から祖母の症状が悪化していると聞き、帰省のときに祖母と対面するのが怖くなった。祖母はぼくのことを覚えていてくれるだろうか。
大学3年の頃だったと思う。認知症がだいぶ進行して、祖母は会話らしい会話ができない状態だった。いや、ぼくが会話をしようとしなかっただけかもしれない。夕食中、祖母はご飯に手をつけずに、ご飯を食べるぼくをじっと見つめて、静かに涙を流した。あの姿が忘れられない。大学を卒業して数年後、祖母は亡くなった。
老いていく祖母としっかりと向き合えていなかったという後悔が、ぼくに介護の道を選ばせたのかもしれない。介護の仕事を通じて、認知症という謎と再び向き合おうと思った。
職業訓練に2カ月通い、ホームヘルパー2級の資格を取得し、特別養護老人ホームで働き始めた。働き始める前は、介護は自分に向いているのかと不安だったが、働き始めたら、予想外に楽しんでいる自分がいた。
それは、お年寄りたちが生み出す、ゆったりとした時間が居心地が良かったからだ。仕事の合間に、お年寄りと一緒に日なたぼっこしていたら、自分自身を肯定できたような気になった。
思い返せば、これまでの人生でぼくは何かを「する」ことを強いられてきた。勉強しろ、仕事しろ、結婚しろ。確かに社会では何をするかによってその人の価値が決まっていく。しかし、お年寄りと一緒に時間を過ごしていると、ただ「ある」だけで十分価値があると思えた。
食事、排泄(はいせつ)、入浴の介助をすることによって、普段の何げない生活がいかに豊かであるかを実感することができた。そして、「する」という一歩を踏み出すためには、ただ「ある」ことを肯定してくれる存在が必要であることも知った。
ぼくは介護の現場で働くことによって、忘れていた価値観を取り戻すことができた。もしかしたら、現代社会の生きづらさは、「ある」ことを肯定されることなく、「する」ことを強いられているところにあるのかもしれない。
介護の現場でお年寄りと接していると、どちらがケアをしているのか・されているのかよくわからなくなるときがある。「何者かにならなければいけない」というプレッシャーで押しつぶされそうなぼくを、お年寄りたちが「ありのままでいいんだよ」と優しく包み込んでくれた。
老人ホームでは奇妙な体験は日常茶飯事だった。
あるとき、車椅子のおばあさんが、「あら、時計屋さんだね。覚えてるわよ」と話しかけてきた。最初のうちは「いえ、介護職員です」と答えていたが、何度会っても「時計屋さんだね」と話しかけてくる。あまりしつこく正すのもどうかと思ったとき、ふと「演じてみてはどうだろうか」と思った。
「あら、時計屋さんだね。覚えてるわよ」
「久しぶりですね。なにか時計の困りごとはありますか?」
「もういっぱいあるわよー」
おばあさんの表情がぱっと明るくなった。ぼくは、そのおばあさんが小学校の近くで文房具屋を営んでいたという生活歴を知っていたので、「子どものころはよくお世話になりました。みんな、おばあさんの店に通ってましたねぇ」と演技を続けた。
うんうんと頷(うなず)いているおばあさんの表情は、いつも介護職員に見せない表情だった。もしかしたら、それは文房具屋のおばあさんの顔だったのかもしれない。
このやり取りがきっかけで、ぼくは認知症の人とのコミュニケーションを考えるようになった。介護者はときに俳優になってもいいのではないか。
介護職員として働いていると、よくこのような場面に出くわす。
昼食の準備が整い、介護職員が「ご飯ですよ」と食事の声かけをすると、おじいさんが「田植えに行く」と言う。おじいさんは老人ホームで生活しており、百姓としての役割を終えている。介護職員としては困ってしまう。
これは、認知症と診断されたら必ず生じる中核症状の一つ、見当識障害が原因だ。見当識障害とは、「いまがいつなのか」「ここがどこなのか」「目の前の人はだれなのか」がわからなくなる症状だ。ぼくのことを時計屋さんと勘違いするおばあさんも、これが原因だった。
これからおじいさんが現実的に田植えをすることは難しいし、介護職員としては、昼食の時間にご飯を食べてほしいという思いもあり、つい「田植えよりも、ご飯を食べましょう」と声掛けをしてしまいがちだ。しかし、おじいさんの言動を否定して、こちらの都合を押し付けようとすると、おじいさんは「いや、それよりも田植えだ」と反発してくる。介護職員も「いやいや、田植えはしないでいいんですよ」と語気が強くなり、お互い意固地になっていく。
おじいさんの身になってみれば、自分の言動を頭ごなしに否定されて、相手の都合を押し付けられても、気持ちが変わるわけがない。むしろ頑(かたく)なになって、大声を上げたり、手を出したり、どこかよそへ行こうとするかもしれない。すると、介護職員はますます困ってしまう。
認知症の人は、認知機能に障害はあるが、感情はしっかりと残っている。現実や論理にこだわるのではなく、感情に寄り添う関わり方があってもいいのではないか。それはまさに演技なのではないか。
「田植えに行く」と言うのであれば、「あぁ、もう田植えの時期ですね」と話を合わせる。認知症の人の田植えに対する思いを引き出してもいいかもしれない。頭ごなしに否定するのではなく、認知症の人が見ている世界に寄り添うことで、信頼関係を築いていく。その上で「そしたら田植えの準備をしますので、まず先にご飯を食べてみてはいかがですか」と提案したら、もしかしたら応じてくれるかもしれない。
日常生活で演技をするというと、人を騙(だま)す、嘘(うそ)をつく、といったマイナスのイメージを抱く人も多いと思う。しかし、演技を通じて、認知症の人の気持ちを受け取ることができるのではないか。認知症の人は、さっき覚えたことをすぐ忘れてしまったり、目の前にいる人が誰だかわからなくなったりするが、周囲の関わり方によっては、いまここを共に楽しむことができるのだ。
このようにしてぼくは介護と演劇をつなげていった。
これまで小劇場の俳優として活動してきたのだが、介護現場で働き始めたことによって、改めて演劇の力を知った。演劇の知恵を介護に活かすことで介護の現場は豊かになる。ぼくは演劇活動をしばらく休止して、介護の仕事に専念してみようと思った。
【講師を務める催し】
◇介護福祉セミナー「老いと演劇~認知症の人と〝いまここ〟を楽しむ~」
主催:高田短期大学介護福祉研究センター
日時:6月9月 午後1時30分~3時30分
場所:津市一身田豊田195 高田短期大学
定員:40人
参加無料、申し込みは y-hattori@takada-jc.ac.jp
◇講演とワークショップ「ようこそ! 人生の下り坂へ」
主催:精神障害者当事者団体「ゆーとぴあ岩田」
日時:6月29日 午後1時30分~3時30分
場所:岡山市北区表町3ー12ー12 ライブハイス「ブルーブルース」
会費1000円、別に1ドリンク500円
問い合わせは shinya99@do4.enjoy.ne.jp
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