2019年05月22日
ハワード・ホークス監督は、サイレントからトーキーの時代にまたがり(1926~1970)、戦争映画、航空活劇、ギャング映画、西部劇、海洋活劇、古代史劇、動物狩り映画、ミュージカル、SFホラー、フィルム・ノワール、スクリューボール(奇人変人)・コメディなど、ほとんどすべての映画ジャンルを制覇したハリウッド古典期の巨匠だが、なんとその作品34本(!)が、東京・シネマヴェーラ渋谷で特集上映されている(シネマヴェーラのホークス特集第1回は、山田宏一のセレクションのもと、2016年12月~2017年1月に開催)。
スクリューボール・コメディとは、1930年代~60年代のハリウッド古典期に撮られたコメディのサブジャンルだが、このユニークな喜劇では、ヒロインの美女が活発さと性的魅力で男を圧倒し、エキセントリックだが利発な振る舞いによってまんまと“男/夫狩り(マンハント)”に成功するさまが、しばしば丁々発止の会話、頓狂なギャグの連発によって――一度ならず豹、チンパンジー、クマ、犬などの動物の闖入もまじえて――、狂騒的かつロマンチックに描かれる(スクリューボール・コメディでは、婚約期間という宙吊り状態/サスペンスが巧みに活用されることが多いが、ヒロインに翻弄される主人公の男もしばしばスクリューボール/変人である)。
また、活発で積極的・行動的なヒロインはあくまで無邪気で、男に媚びへつらったり、心理的駆け引きを弄することが一切ない点もミソだ。彼女らは多くの場合、男に接近するきっかけを自分から積極的に作り、その後も男に対して主導権を握りつづける(スクリューボール・コメディでは、男女のセックスもあくまで暗示的なセリフで軽妙にほのめかされるだけだが、この点についての映画史的・時代的背景については次稿以降で後述)。
以下ではまず、スクリューボール・コメディを中心に、何本かのホークス映画を取り上げたいが、それら以外の本特集の演目も必見であることは言うまでもない。
スクリューボール・コメディの最高傑作といわれる本作は、ともかく目の回るようなハイテンポの話芸がすごい。物語はこうだ――古生物学者デイビッド(ケイリー・グラント)は、恐竜の巨大な骨格標本の完成まであと一歩、そして完成の暁には美人助手アリスとの結婚が決まっていたが、しかし彼の人生は、「ホークス的女性(ホークシアン・ウィメン)」の典型たるスクリューボール・ヒロイン、スーザン(キャサリン・ヘプバーン)の不意の乱入によってメチャメチャにされるも、彼女とデイビッドは愛し合うようになり、めでたしめでたし……と書くのももどかしいほど、映画は驚愕のラストをめがけて観客を置き去りにするほどの猛スピードで突っ走る。
なお、『赤ちゃん教育』で珍妙な事態をさらに混乱させるのは、じゃじゃ馬のスーザンだけでなく、豹の“赤ちゃん(ベイビー)”や大切な恐竜の肋間鎖骨をどこかに隠してしまうテリア犬のジョージ(演じるは名犬アスタ)だが、よって本作は<動物映画>でもある。そしてこの映画は、しばしばスクリューボール・コメディに登場する、なかば無意識に結婚を妨害する(婚約者から男を略奪する)変人女性の言動が、キャサリン・ヘプバーンによって空前絶後の突拍子もなさで演じられる点で、このジャンルの最高作と評されることになった。
むろん、キャサリン・ヘプバーンに振り回されるケイリー・グラント――心理的陰影を欠いたメカニックな演技が得意な最もホークス的な男優――のおかしさも尋常ではないが、要するにホークス作品のみならず、プレストン・スタージェス監督の『パームビーチ・ストーリー』(1942)や『レディ・イヴ』(1941)、あるいはレオ・マッケリー監督の『新婚道中記』(1937)などの古典的スクリューボール・コメディの傑作では、内面を欠いたような機械的な動きで右往左往する役者たちが、心理的演技を最小限に抑えられ、緻密に設計された<シチュエーションないし“ゲームの規則”>に操られるかのように行動し、セリフを発するのである。
ちなみに蓮實重彦はかつて、ホークス映画の
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