美醜入り交じる世界、愛が包む
2019年05月25日
美輪明宏は、破格のスケールで現代社会を刺激し続ける表現者だ。テレビ画面を通しても迫力は十分伝わるが、生の舞台に触れると、その「威力」に全身が包みこまれる。
この20年余、美輪はパルコ製作で、春に演劇公演、秋に音楽会をコンスタントに続けている。今年の春は、『毛皮のマリー』(東京、福岡、名古屋、大阪で5月26日まで)に取り組んだ。寺山修司が52年前に美輪のために書いた作品だ。
写真家・御堂義乗による多彩な写真を紹介しながら、美と醜、聖と俗が渾然一体となった、美輪と寺山の世界をご案内しよう。
『毛皮のマリー』公演で美輪は、主演だけでなく、演出と美術も手掛けている。演出は舞台の上だけでなく、劇場全体に及んでいる。
4月の東京・新国立劇場公演。中劇場の広いロビーは花であふれていた。演劇興行で、上演を祝って贈られる生花や鉢植えは、出演者の交友関係の広さと人気を示す一つの指標といえるが、それにしても壮観だ。
おびただしい数のバラ、ユリ、ラン、ラン、ラン……。観客たちは歓声をあげて、スマホのレンズを向けている。美輪の人形が飾られた公式携帯サイト「麗人だより」を紹介するコーナーも人気の撮影スポットだ。「美輪テーマパーク」という言葉が頭に浮かぶ。
客席に入ると、たきしめた香がほのかに漂い、通路の無表情な床には、一部だが赤いカーペットが敷かれた。携帯電話の電源を切るように、という開演前のアナウンスも「美輪仕様」。低い声の女性が丁寧な言葉遣いで語りかけ、「せきをするときは口にハンカチを当てて」などと、他人への配慮を促す「教え」も盛り込まれる。確かに、劇場で無遠慮なせきやくしゃみで観劇のじゃまをされることがある。美輪が指揮を執るこれからの数時間は、そんな不快なことのなきように、観客も演出されるのだ。
『毛皮のマリー』は1967年、アートシアター新宿文化で初演された。東京・新宿にあったこの劇場は、当時台頭してきた「アングラ演劇」の拠点だった。
寺山は青森で、美輪は長崎で、ともに1935年に生まれた。67年に「演劇実験室◎天井桟敷」を旗揚げした寺山は、その最初の公演『青森県のせむし男』の主役に、歌手として活躍していた美輪(当時は丸山明宏)を招いた。その直後に書かれたのがこの『毛皮のマリー』だ。
寺山と彼の実母との関係が色濃く投影されているといわれるこの戯曲で、美輪が主人公の女装の男娼マリーを演じるのは、これで7度目になる。寺山自身が演出した初演、寺山が世を去った直後の83年の再演(鈴木完一郎演出)、94年の公演(ハンス・ペーター・クロス演出)を経て、2001年から、09、16、19年まで、美輪が演出・美術も担い、ワダエミによる衣装デザインで、上演を重ねてきた。
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