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ひとり出版社「共和国」の野望と恥じらい

世界を書物でロマン化するために

渡部朝香 出版社社員

くまざわ書店ペリエ千葉本店共和国の下平尾直さんと筆者それぞれが選書した本と編集した本のフェア=くまざわ書店ペリエ千葉本店

書店発案の編集者対談

 書店イベントは、東京界隈では見慣れた光景だ。だが、主催する書店は、小さくない負荷を担っている。大量の新刊を受け入れ、接客し、出版社の売り込みに対応し――。ただでさえ忙しい毎日にあって、イベントを開くとなれば、時間も人手も経費も余計に割かなくてはならない。ましてや新刊の発売記念などではない独自の企画ともなれば、現場の強い意志と組織としての決断が必要だろう。

 くまざわ書店ペリエ千葉本店は、大規模リニューアルした千葉駅の駅ビルに2017年9月にオープンし、さまざまな人が行き交う町の本屋の役割を引き受けた網羅的な品揃えでいて、骨太の本がさりげない存在感を示す棚は、開店まもなくから本好きを唸らせていた。

 同店は、店内の充実だけではなく、オープン当初からイベントの実施にも力を入れてきた。そのほとんどは新刊に関連してのトークやサイン会だったが、今年になり、さらに店独自の企画を立ち上げた。

 「話題の編集者と考える本のこと――なぜ今、本を読むのか」。都心から少し離れた町の、華やかなファッションビル内の書店が、来店客のほとんどが知らないであろう編集者を呼び、対談させる。本の売上に直結しそうもない。ちょっと異例だ。

 イベントの告知文には、こうある。

 「『本』と言葉にしたときに、つい単に四角い紙の媒体を思い浮かべがちですが、ただ一つとして同じ内容のものはありません。さらにはそのそれぞれが、関わる人の数だけ読まれ方・『開かれ』方を秘めています。(略)本のもつ可能性とこれからについてお話しいただきます。同時に、その本にまつわるお話を通して、わたしたちのこれからについても考えてゆきたいと思います」

 書店という場で、読者、売り手、編集者、書き手といった役割を超えて本を開き、本の外へも開いていきたいという思い。企む人がいることによって、日曜の昼間のおしゃれな書店の一角が、思考と対話のアリーナに転じた。

 第1回(3月3日)のゲストは、堀之内出版の小林えみさんと、医学書院の白石正明さん。小林さんは雑誌『Νύξ(ニュクス)』やマルクス・ガブリエルの翻訳書などを手がけ、出版社と書店と読者をつなぐ試みも果敢に仕掛けている。白石さんは、名著揃いのシリーズ「ケアをひらく」の立役者。お二人の対談は、『週刊読書人』でも、大きく取り上げられることとなった。

 第2回(4月20日)は、月曜社の小林浩さんと、平凡社の竹内涼子さん。お二人は編まれた書籍だけでなく、小林さんは出版業界の情報をきめ細やかに発信するウラゲツブログの書き手として、竹内さんはユーモアあふれる平凡社ライブラリーのツイッターアカウントの中の人として、本の世界ではつとに有名だ。

 そして、第3回(5月12日)は、ひとり出版社である共和国の下平尾直(しもひらお・なおし)さんと、わたし(岩波書店・渡部朝香)による対談となった。

「世界を書物でロマン化します。」という標語を掲げ、共和国共和国のHPより

「共和国」の原点

 学術書の出版社で編集者としての経験を積んだ下平尾さんが、「世界を書物でロマン化します。」という標語を掲げ、共和国を建国ならぬ創業したのは、2014年4月のこと。先日、5周年を迎え、創刊ラインナップの都甲幸治『狂喜の読み屋』藤原辰史『食べること考えること』から、最新刊の須藤健太郎『評伝ジャン・ユスターシュ』カルラ・スアレス/久野量一訳『ハバナ零年』まで、累計刊行点数は、42点となった。

 刊行直後に『食べること考えること』を手にとったときの衝撃は忘れられない。異彩を放つ定型外の造本。帯に印刷された「定価2400円+悪税」の文字。栞状のカードに小さな字でみっしりとメッセージが書かれた「共和国急使」。本がただならぬ熱を帯びていた。以来、共和国が出す本を気にせずにはいられなくなった。

 ひとり出版社であるからには、下平尾さんは、書籍の企画・編集から、製作、宣伝、営業、そして経営まで、外部の人と協働しながらも、すべての采配を一手に引き受けている。一方でわたしは、会社員として分業体制の中で編集という仕事に携わっている。本づくりにおいて見えている深さや広さがちがうことは明らかだ。今回の対談を引き受けたのは、畏敬する下平尾さんに学びたいという思いからだった。

 くまざわ書店ペリエ千葉本店では、イベントに合わせて、下平尾さんと渡部、それぞれが選書した本と編んだ本のフェアも展開してくださった。その並んだ本を背に、まずは影響を受けた本について話しはじめた。それは、現在の仕事のルーツを遡る作業ともいえた。

下平尾さんは「愛蔵率」を意識して本をつくっているという下平尾さんは「愛蔵率」を意識して本をつくっているという
 下平尾さんが挙げた本の一冊は、太宰治の『ヴィヨンの妻』(新潮文庫)。人気アイドルだった太川陽介が学年誌で太宰治の『人間失格』を紹介していて(下平尾「テレビを見ないのでわからないのですが、太川さんはいまどうされてるんでしょう?」、渡部「バスに乗ってます」)、小学3、4年生の当時、それを買おうと思いながらはたせず、しばらくして巡回図書館で出会ったのが、『ヴィヨンの妻』だった。作品に漂うエロスと退廃感に、これが大人の小説なのかと文学の凄さに触れる思いがしたという下平尾少年。いま、本をつくっていることの原初体験ともいえる重要な作品であることが明かされた。

 さらに、下平尾さんが大学生になってから夢中になったのが、ドストエフスキーの『罪と罰』(岩波文庫)。この作品を日本で最初に訳したのは内田魯庵で、『最暗黒の東京』(岩波文庫)を書いた松原岩五郎が最初に紹介し、『罪と罰』に描かれたサンクトペテルブルクの都市下層の社会的底辺を通して、日本の同様の構造が気づかれていったという。それが、下平尾さんが大学院で「底辺の文学史」ともいうべき研究をする原点となった。古書コレクター気質もある下平尾さんは、日本で出版されたさまざまな訳の『罪と罰』を100冊に及ぶのではないかという規模で所蔵している。

 さらに、直接に師事したドイツ文学者の池田浩士さんや評論家・編集者の栗原幸夫さんなど、下平尾さんが紹介する本や人物からは、社会の理不尽に抗う意志、文学と歴史を架橋しての教養と思索、そして、本を出版史に位置づけて検証する意識が浮かび上がり、共和国の書物の群れが生まれてきた背景が解き明かされるようだった。

共和国の下平尾直(しもひらお・なおし)さんと、わたし(岩波書店・渡部朝香)による対談共和国の下平尾直さん

下平尾直名言集

 その後、手がけた本を紹介しながら、下平尾さんは本を編むことへの思いを語ってくれた。印象に残った言葉を紹介したい。

 「フィクションはいまここにない現実を描くものですが、すぐれた文学作品の魅力の一つに、まだ予見しえない未来を描くということがありますよね」

 「(デザイナー、流通を担うトランスビュー、DTP担当者、税理士といった、一緒に本をつくり、届ける人たちとは)それぞれソロ活動しているみなさんとバンドで演奏しているイメージで会社をやっています」

 「(人文書といった)ジャンルはあまり考えたことはないですね。人間という存在に迫れるようなものを出したい」

 「どちらかというと、出版する本で政治的なことをダイレクトに伝えるのではなくて、文化、あるいは文学表現のなかから、読者の感性を変えたいという思いがあるんです。それができるのが、映画とか文学作品とか、あるいは本を読む行為なのではないか」

 「いまの世の中はイヤだ、こんなクソみたいな日本の現実を肯定したくないという思いが自分の中にはあって。そういうことについて言いたい(書きたい)人を世に出したい」「著者や訳者の最初の本になることが多いんです」

 「先輩たちから学んだことですが、フィクション、あるいは本を読むという行為の特徴に、共考――共に考えるということがあるんですね。対話しながら読むことを意識して本をつくっています。それがないと、身体に引っかからず読み捨てられるものになる。読み捨てられる本が悪いというわけではなく、娯楽だけの本や雑誌もあっていいけれど、それは私の仕事ではなくて、得意な人ががんばってくだされば。出版業界では返品率がよく取り上げられますが、『愛蔵率』を意識しています。これは数値化できませんが、愛蔵してほしい、そしてぼろぼろになるまで読んでもらえるような本をつくりたいという思いだけは、いっちょまえにあるんです」

 「人間的なものを本で表現したい。本を人間のように扱うべきだというのが、私の考えのなかにあります」

 「本も死ぬんです。売れない本は断裁されて死ぬ。そういうことを知らない編集者もいっぱいいる。会社員の編集者であっても、本が生まれてから死ぬまでのサイクルを知っていたほうがいいよね」

 「書く人がいないと我々は基本的にはなにもできない。書いてくれる人が描いた世界を本というモノにすることによって、その世界観をうちだしながら、さらに別の世界を開いて見せるというのが、微々たるものだけれど出版社とか編集者にできることではないでしょうか」

 「いわゆる売れる本はつくりたくないですね。性格が悪いので、流行っているものを素直に受け取れないんです」

 「本はやっぱりモノですよね。頭の中にもやもやしているものを、わざわざアウトプットして形にし、値段をつけて、一般にとても大事だと思われているお金と交換しなくてはいけない。それってすごく大変なことで、本を出せば出すほど、その重みを感じざるをえないんです」

 「新しい本の在庫がサラピンのまま山と積まれているときに、ああ、愛しいな、オレのものなんだよな、このまま全部、売らないで抱えて寝たい、っていう、ヘンな気持ちになるんですよ」

 「私は古い人間で、デジタルっていうのがよくわからないんですよ……。AIってなあに? アイ(愛)じゃないの?」

 「(売れる/売れないのジレンマのなかで)もし潰れたら、第二共和国にするしかないかな。そのあとは第三帝国でファッショ化する(笑)」

本が隠し持つ物語

 友人や知人など顔の見える仲間と本をつくり、手渡しのような信頼関係を通して届けていく。共和国には、出版という活動が興るときの本来のあり方が体現されているようで、眩しい。当然、そこには喜びばかりがあるわけではなく、書き手たちから言葉を託され、事業としての継続を担う経営者である下平尾さんは、つねに厳しい局面に立たされてもいるだろう。

「話題の編集者と考える本のこと――なぜ今、本を読むのか」(2019年5月12日)トークイベント「話題の編集者と考える本のこと――なぜ今、本を読むのか」。共和国の下平尾直さん(左)と筆者=2019年5月12日
 読者の感性を変えることで世界をロマン化するという野望を抱きながら、下平尾さんは対談の最中、「自分がやっていることは、そんなにたいしたことじゃない。新しいことなんかなに一つしていない便乗版元です」「超零細、アングラ出版社なんで」と何度も口にした。それは自分のやっていることを麗々しく語ることへの繊細な警戒であるのと同時に、ほかの出版社とは違う独自の展開をしていることへの誇りの表われでもあったかと思う。

 下平尾さんがイベントの場に出て話すのも、編集者や経営者である下平尾直をアピールしたいがゆえではなく、共和国の本のことを知ってほしい一心だ。

 わたし自身、関わった本を広く知らせたいと強く思うのと同時に、裏方が語ることは、その本にとってノイズや蛇足となるのではないかという懸念がつねにある。本そのものによって何かを届けるのが本来の仕事であり、その本によって読者が何をどう受け取るかは開かれていなくてはならない。

 実際、共和国の本は、それをつくった下平尾直という人物や、イベントで語られたような背景を知らずとも、あるいは著者を知らずとも、何かが宿っていると感じさせるものばかりで、本そのものの力を信じることを思い出させてくれる。

 だが、ものづくりの仕事には、それぞれ物語がある。ましてや、共和国の本のように魅力的なものであれば、その物語も豊かで、下平尾さんの言葉は、バックステージストーリーであるだけでなく、本とは何かという問いに満ちていた。

 世界のほとんどのものは、無名の人によってなされた仕事によってできている。本にとっての編集者も、いっとき一部で名が知られるようなことがあり、それが、ときに本の紹介に役立つことがあったとしても、その名前は著者の名前のはるか後景にあるし、時間とともに早々に薄らぎ、消えていくものだろう。

 下平尾さんはこれまで本をつくることと格闘してきた編集の先人たちのことを、「死屍累々」と評した。「綺羅星のごとく」ではない。無名の編集者たちが、そして、編集者だけではない膨大な無名の人たちが携わり、格闘することよって、本はつくられ、届けられてきた。本は無数の物語を隠し持っている。本のそうした秘密を、参加者のみなさんと共考する2時間だった。

 下平尾さん(と、わたし)の選書+編んだ本のフェアは、6月12日まで、くまざわ書店ペリエ千葉本店で開催中です。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。