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表裏一体のスクリューボール・コメディとフィルム・ノワール

 ところで、ハリウッド古典期に流行した2つの映画ジャンル、スクリューボール・コメディとフィルム・ノワールのひそかな関連について触れておきたい(ハワード・ホークスは前者の傑作を連打しただけでなく、後者の傑作、前記『三つ数えろ』も撮っている)。

 まず注目すべきは、ハイテンポで頓狂なスクリューボール・コメディの最盛期が、精神病理学的な要素をはらむペシミスティックなフィルム・ノワールが興隆した時期(1940年代)と、ほぼ重なる点である(フィルム・ノワールは映画史的には、ジョン・ヒューストン監督の『マルタの鷹』(1941)に始まり、オーソン・ウェルズ監督の『黒い罠』(1958)で終わるとされる、しばしば影を強調したロー・キーの画面やボイス・オーバー(画面外の声/ナレーション)をともなうフラッシュバック/回想形式を特徴とする、暗いムードの情痴犯罪映画)。

 そして前述のように、スクリューボール・コメディとフィルム・ノワールの間には、ひそかな関連があるのだ。むろん、この2つのジャンルは、内容や形式の点では対照的なほど大きく異なっている。奇人・変人が珍騒動を巻き起こしハッピーエンドで終わる陽気なスクリューボール・コメディは、しばしば男の運命を狂わす、歪んだ性格の<ファム・ファタール/宿命の女>が登場し、裏切りや殺人事件が描かれ、主人公の男女のどちらかの(あるいは双方の)破滅というバッドエンドで終わる退廃的なフィルム・ノワールとは、一見なんの共通点もないように思われる(制作規模の点でも前者が潤沢な資金を投入された「A級映画」であるのに対し、後者は低予算の「B級映画」――「B級ノワール」という呼称があるように――であった)。

 にもかかわらず、スクリューボール・コメディとフィルム・ノワールは、表裏一体のジャンルである。なぜなら、

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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