怒りや悲しみを知恵に変換しなければ子供は救えない
2019年06月03日
2019年5月28日、神奈川県川崎市の登戸駅付近で、スクールバスに乗る列に並んでいた小学生や保護者等が刃物を持った男に切り付けられ、容疑者を含む3人が死亡、16人が怪我を負ったという大変痛ましい事件が発生しました。
時代が平成になって以降、日本では以下のような残忍な無差別殺人事件が続発しており、令和になってもその歴史にまた一つ大きな事件が追加されてしまったことになります。
1994年 松本サリン事件 死者8人、負傷者約600人
1995年 地下鉄サリン事件 死者13人、負傷者約6300人
1999年 池袋通り魔殺人事件 死者2人、負傷者6人
1999年 下関通り魔殺人事件 死者5人、負傷者10人
2001年 附属池田小事件 死者8人、負傷者15人
2008年 秋葉原無差別殺傷事件 死者7人、負傷者10人
2016年 相模原障害者施設殺傷事件 死者19人、負傷者26人
2019年 登戸事件 死者3人、負傷者17人
また、2019年は4月19日に東京・池袋で車が暴走し、母子2人が死亡、10人が負傷する交通死亡事故が発生し、さらには5月8日に滋賀県大津市で散歩途中の保育園児の列に車が突っ込み、園児2人が死亡、14人が負傷する交通死亡事故が発生しました。このように今年に入ってから子供が命を落とす事故が相次いでいた矢先に、また子供が犠牲者になる事件が起きたのです。
これらの事件や事故は連日TVのワイドショー等でも報道され、インターネット上でもやり場のない怒りと悲しみの声が噴出しています。「被害に遭ったのが自分の子供だったら」と考えてしまう人もいるようですが、私個人としては、怒りや悲しみに溢れる世間やマスコミの様子に対して、どこか「冷めた目」で見てしまう自分がいます。
というのも、前述のように、悲惨な連続殺人事件や交通死亡事故は、これまで散々起こってきました。それなのに、過去の事件や事故から教訓を学ぶことがほとんどなく、結局また痛ましい事件や事故が幾度も繰り返されてしまっているからです。
殺人事件や交通死亡事故だけではありません。2018年に大きな社会問題になった児童虐待死に加えて、イジメ自殺も、ブラック企業による過労死も、DV殺人も、ストーカー殺人も、世間やマスコミで盛り上がるのは事件が明るみに出たほんのわずかな間だけで、現在でも同様の事件や事故で命を落とす人が絶えません。残念ながらおそらくいずれ繰り返されてしまうことでしょう。
そこには、多くの国民やマスコミが一時的に怒ったり悲しんだりするものの、結局は悲劇を“消費”しておしまいにするという背景があると思います。
5月1日の令和改元で世間やマスコミがお祭り騒ぎをしていたように、今回の登戸の事件も、次の「お祭り」が到来すれば、人々の記憶からすぐ消え失せていくに違いありません。まさに「一喜一憂」という言葉がぴったりで、国を挙げて効果的な政策を行い、常にアップデートしようという議論につながっていかないのです。
つまり、「失敗」から何も学べていないのです。世間もマスコミも政府も、ビジネスの世界では基本中の基本である「PDCA」(※Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)の 4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する手法)を回せていないのです。このように全体を俯瞰していると、単発の事件や事故以上に、明らかな課題をいつまでも解決出来ない「社会の無能な体質」のほうに私は絶望感を覚えます。
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