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川崎殺傷「1人で死ねば」と言っても誰も救えない

社会は多様な人の活躍で事件の傷を癒していく

勝部元気 コラムニスト・社会起業家

事件現場で花束を手向け、犠牲者を悼む人たち拡大川崎殺傷事件の現場で犠牲者を悼む親子。被害者の哀悼とともに必要なこととは

 2019年5月28日、神奈川県川崎市の登戸駅付近で、スクールバスに乗る列に並んでいた小学生や保護者等が刃物を持った男に切り付けられ、容疑者を含む3人が死亡、16人が怪我を負ったという大変痛ましい事件が発生しました。

 これに対して前回の記事「川崎・登戸殺傷事件はいずれまた繰り返される」では、連続殺人事件がこれまで幾度となく起こってきたにもかかわらず、世間やマスコミはその都度悲劇を“消費”するだけで、「再発防止」という観点が欠如しているという点を指摘しました。とりわけ「潜在加害者への予防的アプローチ」を試みる視点が欠如しているため、結局同様の加害者を新たに生み出し、悲劇が繰り返されています。

 ですが、残念ながらこの事件の冷静かつマクロな議論はごく一部にとどまり、インターネット上では事件に対するやり場のない感情が爆発し、様々な意見がぶつかり合う大荒れの様相を呈しています。今回は、この事件後に起こったインターネット上の反応を例にあげて、現代ネット社会において思考の単純化や不幸の増幅が進む構造的問題をあぶり出したいと思います。

藤田孝典氏の拡大自殺に関する記事が大炎上

 まず、今回の事件発生直後に最も大きく盛り上がったと思われる記事が、貧困問題などを専門とする論客・藤田孝典氏による、「川崎殺傷事件『死にたいなら一人で死ぬべき』という非難は控えてほしい」というYahoo!ニュース(個人)の記事です。藤田氏の記事が公開されると、賛同と激しい非難のコメントがネット上を吹き荒れました。その後、様々なTV番組でも議論の対象となっているようです。

 この記事は、事件後にネットやTVの報道にあふれた「死にたいなら一人で死ね」という言説が、潜在加害者の希死念慮を誘発させる可能性があること等を指摘したものですが、以下のような、記事の意味を理解していない声がなぜか散見され、「藤田孝典」がTwitterでトレンド入りするほどになりました。

 「無差別殺人って情状酌量の余地なんかある?」
 「自分の子供がやられてもそう言えるのか!」
 「いの一番に犯人を擁護する内容を述べるなんて」
 「(藤田氏は)殺人鬼に思いを寄せる」
 「命を失った人・家族の気持ちに寄り添わない」

 確かに藤田氏の投稿は、緊急を要すると判断したためか、非常に短文で、言葉足らずな面も目立ったのは事実です(※なお、のちにジャーナリストの江川紹子氏が、藤田氏が指摘したような、自殺願望と復讐願望から無理心中を図る「拡大自殺」の問題について丁寧に取材した記事をアップしています)。

 ですが、藤田氏は決して容疑者を擁護もしていなければ、情状酌量の話なども一切出していません。「死にたいなら一人で死ぬべき」という言葉は潜在加害者に悪影響があると書いただけで、「命を失った人・家族の気持ちに寄り添っていない」と断定できるほどの材料は記事のどこにもありません。藤田氏を叩く人々は書かれてもいないストーリーを自分の中で作り上げてしまっているのです。

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筆者

勝部元気

勝部元気(かつべ・げんき) コラムニスト・社会起業家

1983年、東京都生まれ。民間企業の経営企画部門や経理財務部門等で部門トップを歴任した後に現職。現代の新しい社会問題を「言語化」することを得意とし、ジェンダー、働き方、少子非婚化、教育、ネット心理等の分野を主に扱う。著書に『恋愛氷河期』(扶桑社)。株式会社リプロエージェント代表取締役、市民団体パリテコミュニティーズ代表理事。所有する資格数は71個。公式サイトはこちら

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