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成河、「カルチベートチケット」の成果と限界/上

僕は演劇を信じることができた。お客さんのことももっと信じなきゃいけない

中本千晶 演劇ジャーナリスト


拡大成河=伊藤華織 撮影

 今、人気ミュージカルのチケットは即日完売で、「面白そうだからちょっと見てみたい」という一見さんが入り込むのは難しい。かたや、作品よりも俳優の人気頼みのような舞台も少なくはない。良い評判を聞いた人が劇場に集まりじわじわチケットが売れるという、普通に健全な状況が成立しにくくなっている。

 これで良いのか、日本の商業演劇。舞台を愛する人たちの中にそんなモヤモヤが広がる中、俳優の成河が、自らが出演した舞台『BLUE/ORANGE』において、カルチベートチケットという斬新な試みをした。カルチベートチケットとは、観客からの寄付を募り、そのお金を使って格安のチケットをつくり、それでお金のない学生や、普段演劇に馴染みのない人にも気軽に劇場に足を運んでもらう仕組みである。すでに京都の劇団「地点」などがこの仕組みを取り入れているが、俳優個人による試みは珍しい。

 自身のメールマガジンで一口1000円の寄付を募ったところ、581人という予想外に多くの人から143万3000円という多額の寄付が集まった。その結果243枚のカルチベートチケットによって「普段演劇を見慣れない人」が劇場に足を運ぶこととなった。

 小劇場から俳優としてのキャリアをスタートし、やがて大劇場の商業演劇の世界へ足を踏み入れた成河。その道のりの中で自身を揺るがすような問題意識が生まれ、それが今回の試みに繋がった。このインタビューでは、今の率直な思いが語られる。

観客に守られている限り俳優は成長しない

拡大成河=伊藤華織 撮影

――今回の一番の成果が「僕がまた演劇を信じることができるようになったこと」だとおっしゃっていたのが逆に衝撃でした。ということは裏を返すと、演劇の申し子のような成河さんが「演劇が信じられなくなっていた」ということですか?

 この10数年ぐらいですか、商業規模としても大きなプロデュース公演にもいろいろとお声をかけていただくようになって、最初に僕がびっくりしたのはお客さん達の交流がないことでした。僕は俳優である前に観客だったので、何でも見るのが楽しかったし、「あれ? さっぱりわからないなあ」というのも含めて面白かった。ところが、どうも年々そうじゃなくなっている気がしたんです。

――それは私も感じます。私の周りにはミュージカルや宝塚歌劇の熱心なファンが多いのですが、そういう人たちの中に『BLUE/ORANGE』という作品に興味を持ってくれそうな人がほとんどいない……。

 もっとも僕は「どうして同じ演劇の中で、こうも断絶があるんだろう」という問題意識は、それ以前からもずっとあったんです。僕は平田オリザさんも野田秀樹さんも唐十郎さんも好きです。ところが、俳優になりたいと思ったときに、どれもやっている先輩がいない。じゃあどこで何を始めたら全部できるの? それを自分たちで考えざるを得なかった。それでも僕が学生の頃はいろんな演劇が百花繚乱の幸せな時代で、少なくとも観客はいろんなジャンルの物を競い合って見ていました。ところが今は観客も断絶してしまっている。

 やがて、これは俳優と観客がお互いを育て合うシステムがないからだということに気付き始めました。観客の質が俳優の質を決める、俳優の質が観客の質を決める。その相互作用でしか演劇は育っていけない。ところが、商業演劇の世界に入ってから、それがどうも頭打ちに来てるような感覚がすごくあったんですね。端的にいうと俳優がファンに守られている。でも、守ってくれる観客だけに観てもらっている限り、俳優は成長しないですよ。もちろん 誰も悪くない。僕も応援して支えてくださる方々は大事に思っています。ただ、真面目で能力のある俳優さんほど目の前にいるお客さんにきちっと応えて喜んでもらおうとするから、そこで悪循環が生まれるわけです。

 それは自分も含めてです。つまり、俳優である僕も成長できないんじゃないかという恐れが生まれたんです。「一部のファンのための演劇を作る」ことは僕にとっての演劇ではないと思うので、このままだとできないと思っていた時期もありました。

カルチベートチケットへの挑戦と個人の限界

拡大成河=伊藤華織 撮影

 この問題の突破口になるのが「演劇が自分にとって特別なもの」ではない人や、「その俳優さんが自分にとって特別な人」ではない人の存在です。そういう人たちが、いかにたくさん劇場にいるかによって実は作品のクオリティは大きく変わるということが、今は確信できます。何故なら、そういう人達に振り向いてもらってこその芸だから。ふらっと劇場に来た人、「なんだこれ? わからないよ」という人たちがある一定数いないと、やはり劇場は風通しが悪くなるんです。

 ところが、不況の中で商業演劇はどんどん経済効率に飲み込まれてしまって「即日完売」が主流になってしまった。企業の論理では当然だと思います。でも「即日完売」ってどういうこと? 半年前から全て売り切っている、気づいた時にはもう買えないってことですよね。それについて誰も何も言わないことに、むしろびっくりしました。

 みんな口では言うじゃないですか、「劇場にもっといろんな人に足を運んで欲しい」と。でも、現実にはファンを囲い込むことしかできない。そこに悪意はない、そういう風にしかならないんですよね。僕もせっかく商業演劇の世界にご縁をいただいたからには何かしたい、でも何もできない。その状態にジレンマを感じて悶々としている時に京都の「地点」のカルチベートチケットの話を聞いて、じゃあ主催者ではない自分がどこまでできるかを考え始めたんです。本来は個人の俳優がやることじゃないのは分かっていたけれど、『BLUE/ORANGE』は主催者のプロデューサーや演出の千葉哲也さんの理解もあり、色々な相談をしながら進めていくことができました。むしろ個人でできるギリギリを知りたかった。

――それでわかった限界にはどんなことがありましたか?

 一番困ったのは当日券のシステムにできないことです。やはりカルチベートチケットは、本当にふらっと劇場に来た人が経済的負担なく入っていける余地を劇場に作るということが目的なので、本来は主催者権限ですべきことです。劇場や劇団があって初めて当日券のシステムも成立しますから。でも、僕個人ではそれはできないから、今回のように「演劇を普段見慣れていない人」を誘ってもらうという形を取らせていただいたんです。

――そこで次に生まれてくるのが「演劇を普段見慣れていない人」をどう定義するかという問題です。私も「ミュージカルや宝塚歌劇は観るけれどストレートプレイは観ない」友人は、そもそも今回の対象になるのかどうか迷いました。

 そこが一番の問題になることはわかっていました。最初は僕が細かく定義しようと思ったのですが、結局は皆さん一人ひとりの解釈に委ねて、当てはまると思う人を連れてきてくださいという、ものすごく善意に頼ったアナログなやり方にしました(笑)。逆に言うとこれも個人だからできたのかもしれないけれど、でも、これではシステムとして続いていかない。これも今回わかった限界のひとつです。

拡大成河=伊藤華織 撮影

――否定的な意見もありましたか?

 カルチケに寄付をしてくださった方々対象に後日トークイベントを開催したのですが、たとえば「ここにいない人の話をしないで欲しい」。それは本当に涙が出るほど理解ができるし申し訳ないとも思う。僕は「普段演劇を見慣れていない人」とか「未来の観客」とか「ここにいない人」のことを話しますが、「私とあなたの話をして」というのが日本の芸能の根本です。「私とあなたは家族です、私にとってあなたは大事です」という話をして欲しい。僕はそれもよくわかるし、そう、それ以上の「僕たちで子供(未来の観客)を作りましょう」、そこまで行こうよっていう話なんですけどね(笑)。でも、それは面倒くさいからみんなしないんですよ。

 賛否がきちっと出たことも良かったと思っています。「お客さんに対してするべきことではない」という声もありました。ただ、もし有料ファンクラブをつくっていたら、より非難されたでしょう。やはりこれは非営利的な考え方でしか成立しない話です。

寄付者の声を聞いて生まれた「使命感」

――しかし、寄付金としては想定外の金額が集まったわけですよね。

 最初は、こんなこといったいどこまでできるんだろうと思っていたんです。でも、予想以上の人達が協力してくださって、トークイベントの時もその問題意識を、僕なんかが思っていたよりはるかに高いレベルで共有できました。同じ問題意識を持っている方がこんなにたくさんいらっしゃる、そして、何かしたいのに何もできないもどかしさを感じておられる、そんな生の声を聞くことができたんです。

――寄付者とのトークイベントは全6回、各回とも3時間近く、回によっては3時間半に及んだとか。あのトークイベントを6回やるのは、とても大変だったのでは?

 だってありがたいことじゃないですか! 僕がやりたくてやっていることに付き合ってくださるわけだから大変ってことはないですよ 。

――手応えはいかがでしたか?

 この声をちゃんと伝えなければ、という使命感が生まれました。 お客さんの中にも何か溜まっているものがあるし、みんな何かをしようとしている。だから、人生にとって本当に演劇が大切な人たちの力になりたい。ただ煽ってチケットを買ってもらうだけじゃなくてね。これは僕個人の考えですけど、興行という意味でも、全然お客さんのことを信じていいし、もっともっと信じてやっていかなきゃいけないと思ったんです。それが「演劇を信じていいんだ」という意味でもあります。

〈成河プロフィル〉
東京都出身。大学時代より演劇を始める。近年の主な舞台出演作品は、『スリル・ミー』『Fully Committed』『黒蜥蜴』『人間風車』『子午線の祀り』『髑髏城の七人Season花』『わたしは真悟』『エリザベート』『グランドホテル』『スポケーンの左手』など。2008(平成20)年度文化庁芸術祭演劇部門新人賞受賞、第18回読売演劇大賞 優秀男優賞受賞。
公式ブログ
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筆者

中本千晶

中本千晶(なかもと・ちあき) 演劇ジャーナリスト

山口県出身。東京大学法学部卒業後、株式会社リクルート勤務を経て独立。ミュージカル・2.5次元から古典芸能まで広く目を向け、舞台芸術の「今」をウォッチ。とくに宝塚歌劇に深い関心を寄せ、独自の視点で分析し続けている。主著に『なぜ宝塚歌劇の男役はカッコイイのか』『タカラヅカ流世界史』『宝塚歌劇に誘(いざな)う7つの扉』(東京堂出版)、『鉄道会社がつくった「タカラヅカ」という奇跡』(ポプラ新書)など。早稲田大学非常勤講師、NHK文化センター講師。

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