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立候補者の略歴に学歴・学校歴はいらない

「学(校)歴社会」が生む差別と、政治家になるための学問

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

候補者の候補者の情報に「学歴・学校歴」は必要なのだろうか

 ちかぢか参議院議員選挙が公示され、本格的な選挙戦がはじまる。

 関連して問われるべき問題は多いが、本稿ではある1点――私が知るかぎりこれまで論議された形跡がない――についてのみ記したい。それは立候補者の略歴欄にしるされる学校歴にかかわる問題である。

2019年統一地方選挙の例

 本年4月に行われた統一地方選挙での知事選の例をあげる。私の居住地の関係でとりあげるのは北海道知事選だが、立候補者(2人)の経歴については、立候補後に次のように報道されている(朝日新聞2019年4月6日付、「経歴などは原則として候補者の回答に基づいて掲載しています」との注記あり)。

 「〔氏名〕45 無新〔候補者を支持する政党〕〈元〉衆院議員・民主党青年局次長・衆院議員秘書▽法大院政治学研究科▽……〔住所〕」
 「〔氏名〕38 無新〔候補者を支持する政党〕〈元〉夕張市長・東京都職員・市行政参与▽法大法学部▽……〔住所〕」

立候補者の略歴に見る学校歴

 全国紙およびブロック紙を調べてみたが、例外なく学校歴が記載されている。記載内容に若干違いは見られるが、立候補者も新聞社も学校歴を重要な経歴と考えているようである。

 経歴のうち、氏名や所属・支持政党の記載は重要であろう(年齢記載は当然のように思われているが、近年「年齢差別」の問題が提起されるようになっている。ただしここではふれない)。

 政治に関連する経歴(政治に関与したことがない場合でも一定の社会的経歴)も、重要である。いや、非常に重要である。立候補者が、政治家もしくは政治をこころざす者としてそれまでどのような活動を行ってきたかは、支持政党についての情報とあいまって、有権者にとって大きな判断材料になる。

 では、学歴・学校歴はどうなのか。上の例では学校歴は学部や大学院レベルまで比較的詳しく紹介されているが、私が調べたかぎり簡単に「○大」とだけ記される場合も多い。特に、当確後の記事ではほとんどそうである。

 だが、いずれにせよ、今後の政治を託す人物に関する判断材料として、学歴・学校歴がどれだけの意味を持つのかは、私には少々疑問に感じられる。

Ekaphon maneechotshutterstock「学(校)歴社会」は、近代化が遅れた国々の特質との見方もある Photo: Ekaphon maneechot/Shutterstock

「学(校)歴社会」とその弊害

 そもそも日本社会は、特殊な近代化をへたためか、学歴に対する強い関心を維持しつづけてきた。総じて学歴・学校歴を特別な意味を有する経歴と見る「学(校)歴社会」は、近代化に遅れて着手した国々の特質と見なされるようだが(ロナルド・フィリップ・ドーア『学歴社会――新しい文明病』岩波現代選書、103頁以下)、日本では、近代化のかなりの成熟をへたにもかかわらず(これを可能にしたのは日本国憲法である)、いまだにその尾を引いている。

 学(校)歴社会では、出身校(大学)が第一義的な基準とされて社会的地位や評価などが定まる。そのため、学校教育はおのずとゆがむ。高等学校は、それ以前に小中学校さえ、「名門」あるいは「比較的よい」大学に進むための通過点にすぎなくなり、各学校がもつ個性ではなく特定大学への進学率の高さを基準に選ばれる傾向が生まれる。

 学校は、一方に受験競争に(しばしば余儀なく)まい進する子どもを、他方に落ちこぼされて自尊感情をもてない(あるいは失った)子どもを、大量に生む。そしてその影響は、子どもたちにとって生涯つづく。

 こうした学(校)歴偏重社会の問題は、何十年にわたって論じられてきた。けれども、これが解消されたとはとうてい言えない。

 「国連・子どもの権利委員会」は、以前から、日本における学校の競争的環境を変えるよう勧告を出してきたが、最新の勧告(2019年)でも、日本政府に対し、「ストレスの多い学校環境(過度に競争的なシステムを含む)から子どもを解放するための措置を強化すること」を、求めている。

 学(校)歴が偏重される社会では、学(校)歴は根づよい差別の道具となる。大学生の就職活動においても、それは深刻である。かつての「指定校」制度はなくなったとはいえ、いまだに隠微な「学校歴フィルター」が、「2流」「3流」大学出というレッテルを張られた青年の大きな足かせとなっている(福島直樹『学歴フィルター』小学館新書、32頁以下)。

 にもかかわらず、学(校)歴がこの社会における客観的で唯一の判断基準と見なされる雰囲気は、強まりこそすれ決して弱まっていないと私は判断する(立候補者のごく簡単な略歴欄に学(校)歴が記されるのも、この事実と関係があると思われる)。この異様な現象を称して、コラムニスト小田嶋隆は、学校歴は「学歴〔=学校歴〕以外の多様な価値やものの見方を圧殺する」、と述べている(小田嶋『人はなぜ学歴にこだわるのか。』光文社・知恵の森文庫、20頁)。

 そして今日特に強調されるべきは、学(校)歴をつうじた

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