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立候補者の略歴に学歴・学校歴はいらない

「学(校)歴社会」が生む差別と、政治家になるための学問

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

Ekaphon maneechotshutterstock拡大「学(校)歴社会」は、近代化が遅れた国々の特質との見方もある Photo: Ekaphon maneechot/Shutterstock

「学(校)歴社会」とその弊害

 そもそも日本社会は、特殊な近代化をへたためか、学歴に対する強い関心を維持しつづけてきた。総じて学歴・学校歴を特別な意味を有する経歴と見る「学(校)歴社会」は、近代化に遅れて着手した国々の特質と見なされるようだが(ロナルド・フィリップ・ドーア『学歴社会――新しい文明病』岩波現代選書、103頁以下)、日本では、近代化のかなりの成熟をへたにもかかわらず(これを可能にしたのは日本国憲法である)、いまだにその尾を引いている。

 学(校)歴社会では、出身校(大学)が第一義的な基準とされて社会的地位や評価などが定まる。そのため、学校教育はおのずとゆがむ。高等学校は、それ以前に小中学校さえ、「名門」あるいは「比較的よい」大学に進むための通過点にすぎなくなり、各学校がもつ個性ではなく特定大学への進学率の高さを基準に選ばれる傾向が生まれる。

 学校は、一方に受験競争に(しばしば余儀なく)まい進する子どもを、他方に落ちこぼされて自尊感情をもてない(あるいは失った)子どもを、大量に生む。そしてその影響は、子どもたちにとって生涯つづく。

 こうした学(校)歴偏重社会の問題は、何十年にわたって論じられてきた。けれども、これが解消されたとはとうてい言えない。

 「国連・子どもの権利委員会」は、以前から、日本における学校の競争的環境を変えるよう勧告を出してきたが、最新の勧告(2019年)でも、日本政府に対し、「ストレスの多い学校環境(過度に競争的なシステムを含む)から子どもを解放するための措置を強化すること」を、求めている。

 学(校)歴が偏重される社会では、学(校)歴は根づよい差別の道具となる。大学生の就職活動においても、それは深刻である。かつての「指定校」制度はなくなったとはいえ、いまだに隠微な「学校歴フィルター」が、「2流」「3流」大学出というレッテルを張られた青年の大きな足かせとなっている(福島直樹『学歴フィルター』小学館新書、32頁以下)。

 にもかかわらず、学(校)歴がこの社会における客観的で唯一の判断基準と見なされる雰囲気は、強まりこそすれ決して弱まっていないと私は判断する(立候補者のごく簡単な略歴欄に学(校)歴が記されるのも、この事実と関係があると思われる)。この異様な現象を称して、コラムニスト小田嶋隆は、学校歴は「学歴〔=学校歴〕以外の多様な価値やものの見方を圧殺する」、と述べている(小田嶋『人はなぜ学歴にこだわるのか。』光文社・知恵の森文庫、20頁)。

 そして今日特に強調されるべきは、学(校)歴をつうじた

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筆者

杉田聡

杉田聡(すぎた・さとし) 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

1953年生まれ。帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)。著書に、『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』(花伝社)、『逃げられない性犯罪被害者——無謀な最高裁判決』(編著、青弓社)、『レイプの政治学——レイプ神話と「性=人格原則」』(明石書店)、『AV神話——アダルトビデオをまねてはいけない』(大月書店)、『男権主義的セクシュアリティ——ポルノ・買売春擁護論批判』(青木書店)、『天は人の下に人を造る——「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)、『カント哲学と現代——疎外・啓蒙・正義・環境・ジェンダー』(行路社)、『「3・11」後の技術と人間——技術的理性への問い』(世界思想社)、『「買い物難民」をなくせ!——消える商店街、孤立する高齢者』(中公新書ラクレ)、など。

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