fotoshin(フォトシン) 風景写真家、ユーチューバー
長野県出身の風景写真家。カナダの風景写真家の一枚の写真に魅了されカナダ、バンフ国立公園で滞在。広大な山岳地帯の絶景に心を打たれ、自然との関わりの重要性を知る。帰国後自然の芸術を捉えようと風景写真を始め地元長野を中心に撮影を取り組む。現在は風景写真の背景を伝えるべくYoutubeにてfotoshin channelを運営。風景写真の次世代の楽しみ方を発信している。
「一枚の写真」では感動が伝わらない。「一枚の写真」に至る物語が必要だ!
カメラを始めたころは「写真は一枚で語るものだ」と強く信じていた。
もちろん今でも撮影時に強く意識していることである。
写真家として言葉を使わず一枚の写真から物語を伝えることは憧れであり、一つの目標である。
けれども、時代はものすごい勢いで変わった。
誰もが自ら撮影した写真を簡単に共有できるSNSが全世界に広がった。気がつけば私も何の抵抗もなく日常的に使うようになった。
自ら撮影した写真をいとも簡単に公開し世界へ発信できる。世界中の人々の写真を自由に覗くこともできる。
画面をスクロールすれば瞬時に世界中の美しい写真達に出会える。まるで写真展に来ているようにワクワクした気持ちになる。
スマホやパソコンに溢れかえる写真。プロもアマチュアもない。多くの人の心をつかむ写真がものすごい勢いで拡散し、さらに多くの人の心をつかんでいく。
そうした世界に、私もしばらくは浸っていた。
物足りなさを感じるようになったのは、いつごろからだろうか。
どの写真も確かに綺麗だ。でも、心を揺り動かすほどの感動が湧かないのだ。
自分の感性が麻痺してしまったのだろうか。
その物足りなさを、他者の写真だけではなく、自分が撮影した写真にも感じるようになったのだ。
いったい、写真の価値は何によって決まるのだろう。
風景写真を始めた3年前、価値のある写真とは「綺麗な写真」「海外っぽい写真」「人から評価される写真」といったものと漠然と思っていた。
SNSで短時間に大量の写真を目にする環境に慣れると、ますます「綺麗さ」「かっこよさ」への欲求は増していった。自分の撮った写真も「とにかく綺麗に仕上げよう」「カッコよく仕上げよう」と思うようになった。
しかしある時、SNSの写真のほとんどは背景の物語がないことに気づいた。どんな環境で、どんな想いで撮影されたのか。当たり前のように綺麗な写真がそこにあることになんとなく違和感を抱き始めたのだ。
それらを見れば見るほど、1枚の写真から受ける感動は減ってしまう気がした。写真は1枚で語るものだ――という信念が揺らぎ始めたのだ。
海外のある写真家の動画と出会ったのは、そんな時だった。その動画が、私の風景写真に対する価値観を大きく転換させることになる。
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