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人間の弱さに共感した「銀座のユダヤ人」藤田田氏

若き日の孫正義さんや柳井正さんが読んだ『ユダヤの商法』が読み継がれてきたワケ

山崎実 書籍編集者(ベストセラーズ書籍編集部)

藤田田さん

豪放磊落なイメージとズレがある「実像」

 ユニクロの柳井正さんが、『成功はゴミ箱の中に』(レイ・クロック著/プレジデント社)に収められたソフトバンクの孫正義さんとの対談の中で、「何度も何度も読み返したのを覚えている」と言われる藤田田さんの『ユダヤの商法』が「新装版」として2か月たつ。現在、4刷が決定し、累計5万部(7月5日配本)、総計280刷87万7000部となった。また、田さんの著作シリーズを含むと累計310刷101万部となる。

 前回、「令和でも通用する藤田田氏の『ユダヤの商法』」に続き、今回は田さんが「令和」の時代に「なぜ、今、求められるのか」と思われるエピソードをご紹介したい。

『ユダヤの商法』
 というのは、田さんの関連資料や彼に関する発言をひも解くにつけ、「銀座のユダヤ人」の異名をとる田さんの豪放磊落(らいらく)なイメージと「実像」とに、いささか「ズレ」があるように思えてくるからだ。もっと言えば、田さんの言葉には常に「表と裏」、両義的な豊かさがあるということである。つまり、深い知識と知恵=「教養」が練りこまれていると思えるのだ。

 前掲書の同対談で柳井さんが「『ユダヤの商法』は著者に教養があって、しかもエンターテイナーでないと書けない本です。藤田さんならではの本です」と語るように、田さんは「勝てば官軍」と放言するだけの単純な金儲け主義の人間ではなく、豊かな教養人であり、その実像の奥行の深さは計り知れないものがある。田さんの教養の内実を調べていくと、意外にも「人の弱さと向き合い続けた」と思えるエピソードが浮き彫りになる。

 本稿では、田さんの「人間の弱さ」への共感、その事実に焦点を当て、特に田さんが心を砕いた人間関係をみてみたいと思う。

大阪弁への「差別」に目を覚ました田さん

ユダヤ商人と大阪商人(イラスト/渡邉孝之)
 日本を席巻する大企業家は、大阪から現れることが少なくない。

 代表的なところで、サントリーの鳥井信治郎さん、現パナソニックの松下幸之助さん、日清食品の安藤百福さん、ダイエーの中内㓛さんなど、大阪から全国へ天下統一するかのように私たちの生活を大きく変える製品・サービスを生み出している。田さんもそうした大阪人の「東漸運動」が成功していると、本書でも自身で喝破している。

 朝の連続テレビ小説『まんぷく』(2018年9月〜19年3月期)のモデルとなったのは安藤百福さんだが、吹田市千里山の住まいでご近所だった田さんは幼い頃、安藤さん一家と懇意に交流していたことは知られている。

 日本の食文化を変えた二大食品「カップヌードル」と「マクドナルド・ハンバーガー」がお隣同士から生まれたことも驚きなのだが、田さんはこの頃、少年の夢をはかなく壊されるほどの「差別(ヘイト)」を受けている。

 『ユダヤの商法』の28番目の法則「差別には金で立ち向かえ——ユダヤ商法との出会い」の項目の中のエピソードである。

 田さんは小さい頃、外交官になりたくてご近所の現役外交官である栗原さんというお家によく遊びに行った。その折り、栗原さん本人からこう言われた。

 「君は外交官にはなれないよ」

 「なんでやねん」と返すと、「その大阪弁がいけない」とにべもなく否定され、夢をあきらめたのである。

 しかし、田さんは、この理不尽な差別を「こん畜生」とばかりに人種差別への深い認識にまで開眼させる。ここからが田さんの「教養」の見せ所なのである。

人生も戦争も共産党もカネが無ければ勝てない!

 東大生の頃、通訳のバイトしたGHQで、田さんはアメリカ兵から敗戦国の人間、黄色人種だと差別され続ける。だが、やはり「JEW(ジュー)」と呼ばれて差別されるユダヤ人下士官が、高利の金貸しで同僚たちから多くの「利ざや」を回収するしたたかさに、差別を凹ます力としての「金」の強さを皮膚感覚で知るのである。別の言い方をすれば、差別される「弱さ」を逆転することのできる力の源泉、その唯一の武器が「お金」だと発見するのである。

 だからこそ、「金儲けは簡単だ」という田さんの言葉には、「金儲けは(人種差別撤廃にくらべればはるかに)簡単だ」という“条件文”が隠されている。自分への理不尽な差別の悲しみ、それに屈してしまった弱さとに向き合い続けたことの痛みが、知らないうちに読者に伝わっているのではないだろうか。

 「人生はカネやで、カネが無かったら勝てないんだ」と。(1993年「藤田田インタビュー録音記録」中村芳平取材)

 田さんが「金がすべて」というとき、戦争も革命もありとあらゆる大義も、「お金の存在を繰り込めない理想論は無意味だ」ということを含意していることに、気づかされるのではないだろうか。

 田さんには、敗戦を機に東京大学を占拠した日本共産党初代党書記長・徳田球一と東大25番教室で大激論をしたエピソードがある。「共産党だってカネが無かったら勝てないんだ、持たざる国の弱さ、敗戦と向き合え」と徳田に言い放ち、激怒させたのは有名だ。

死の直前の太宰治と飲んでいた!

太宰 治パブリックドメイン)
 田さんの社会観は「99パーセント金がすべて」だ。後年の自著『勝てば官軍』の中でそう断言する。と同時に、残りの1パーセントは金で解決できないとも述べている。

 実はその1パーセントが田さんの交友関係に影響を与えている。

 その交友関係は多彩だが、自分から積極的に関わった人物として知られるのが、東大法学部の同級生で自らも出資していた「光クラブ事件」の山崎晃嗣、後年は、パナソニック創業者の松下幸之助、そして「飲み仲間」として有名なのが、あの「文豪」太宰治である。

 特に太宰治に対しては、彼の代表作で、現在も新潮文庫ロングセラー第1位『人間失格』をなぞるかのように、田さんはこう「腐し」ている。

 ――太宰は一緒に酒を、たまたま三鷹でよく飲んでたもんですからね。それで僕は太宰のああいう「敗戦文学」というのかな、ああいう「軟弱文学」、嫌いでね。いつも彼に、「お前の軟弱文学は嫌いだ」とよく言っていたんですけれども。(前出・録音記録)

 注目すべきは、酒好きの田さんは、太宰とじつによく飲んでいた事実である。

 しかし、田さんは太宰と「死の直前」(1948年6月12日)まで飲み屋で共に過ごし、ゆえに太宰の“定説”となっている「自殺説」を、真っ向から軽妙に否定する。また、太宰への以下の言葉には、友人を思いやる「優しさ」に溢れている。

 ――あれ、ちょうど「自殺した」と言われてるんですけど。僕は自殺と思ってなくて。ちょうどあの日、雨降ってましてね。ザンザン降りの雨が降って。そこへ彼女(山崎富栄)が迎えに来て、それで傘さして帰っていったんですけど、私はあの時、玉川の土手ですな、玉川上水。あれは滑るからさ、これぐらいの道しかないんですよ。上水というのはね。だから、「太宰さん危ないで」と、それは滑るから。雨降っとるしね。傘さして、へたへたってんだから、「危ないで」って言った。「注意したほうがいいで」って言ったら、「大丈夫だよ」って。それで歩いていって。明くる日、新聞を見たら、上水へ落ちて死んだっていう。あの上水の水の深さって40センチぐらいしかないですからね。(前出・録音記録)

 太宰治の死の直前までいっしょに飲んでいた!

 田さんは、「金がすべて」と言いながら、なぜ、太宰のような「貧しき文豪」と交友していたのか? むしろ興味はそこにある。

 勝手な推測なのだが、太宰のような「弱さ」と自分の弱さと重ね合わせていたからではなないか。それこそが、田さんの言う、金で解決できない1パーセントだったのではないか。そして、田さんが向き合い続けた「日本の敗戦」という「弱さ」を、太宰が最も意識的に作品の中に、たとえば『パンドラの匣』や『トカトントン』などで描いていたからではないだろうか。

太宰の描く「ユダ」と瓜二つのよう

 田さんの「田」という命名の由来は、クリスチャンの母から「良い言葉を話すように口に十字架」をかけたと言われる。放言する田さんの言葉に、どこかそうした信心深い「弱さへの共感(=母からの縛り)」があったとのは、それゆえか。

 「なんであんな敗北文学がいいのかね」(前出・録音記録)とうそぶく田さんは、太宰の描く「ユダ」と瓜二つのように見えるから不思議なのである(おそらく、田さんは太宰の作品を読んでいたと思われる)。

 ――はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。(太宰治著『駆け込み訴え』/青空文庫)

 まるで同作のユダに憑依しているかのように敗戦後の田さんは「銀座のユダヤ人」として生きることとなった。太宰を「敗北文学」と腐しながらも、彼の死の直前まで「飲み会」を続けたのは、自らの「カネがすべて」という信念を「確認」するための交友だったのかもしれない。

 あるいは『斜陽』に描かれた没落する夕日(貴族)の太宰と、これから登りゆく朝日の田さん自身をイメージしながら酔い痴れたのかもしれない。

 ただ、「天皇陛下バンザイ!」という国民が、敗戦一夜にして「拝啓マッカーサー元帥様」に変わり、今度は民衆が「革命だ」と暴れ騒ぐ中で、そうした節操もない民衆の弱さを描いた太宰にどこか共感し、自分が信じられるものはカネだと「見極め」をつけたのかもしれない。田さんにとって、カネだけがありとあらゆるイデオロギーを超える信念になったのである。

 田さんは日本の「持たざる国」の弱さを繰り返して語る。

 「私はやはり、第二次世界大戦に日本が負けたというのは、米国の物量というかな。米国の経済力に負けたと。だからこれからは、やはり金が無かったら勝てない」と。(前出・録音記録)

 太宰と飲み交わしたのは、酒ではなく、「日本人の弱さ」だったのではなかったか。

唯一尊敬した松下幸之助

松下幸之助(パブリックドメイン)
 日本マクドナルド創業前、まだその名が知られていない時に、自ら会いに行った人物にパナソニックの創業者の松下幸之助さんがいる。

 まだ無名な17歳の「少年」の孫正義が田さんに会いに行ったように、田さんも幸之助さんに「直接」会いに行ったエピソードは面白い。田さんと交流のあったノンフィクション作家の野地秩嘉さんも書いているが、田さんが唯一尊敬している経営者は、幸之助さんだったようである。松下さんもまた、田さんのような東大法学部出身の「エリートなのに変わり者」を可愛がった節もある。

 田さんは「金で解決できない1%」を幸之助さんから教わったとも言われる。

 それは、「形にならないもの=宗教や哲学」だということである。田さんはまさにその部分を「温め」大切にしながら生きてきた。

 幸之助さんとの出会いから生まれたのが、1972年5月、田さん自身が初めて著した『ユダヤの商法』である。それは、田さん自身が「道をひらいた」証である。そこには、金儲けの定石として、ユダヤ人5000年の教えを学んだ「銀座のユダヤ人」の田さんの「商法」が描かれている。

「弱さ」を教わったからこそ「お金」を得た

 その16年前、幸之助さんが当時何者でもない30代の起業家の田さんに、次のようにしなめたのは特筆すべきである。

 「藤田はん、あんた仕事で成功したいんだったら役所の肩書持ったらあきまへんで。持ったら最後どんどん広がっていくから仕事ができんようになる」(藤田田著『勝てば官軍』第4章「仕事で成功するには役所の肩書持ったらあきまへん」/弊社刊)

 名前は売っても、本業が留守になり、失うばかりであることを、幸之助さんは成功する前の田さんに忠告している。これは、おそらく幸之助さんなりに「調子に乗るな」という教訓なのだろう。

 人間は弱い、功名心や権力がいかに人を滅ぼすものかということを、田さんは幸之助さんから教わったのである。

 その結果、田さんは終生、商売とは関係ない審議会など、政府からの要請を断っている。政治権力に頼ったら、最後に「お金」なくすという教訓は、後の企業が政治権力と絡んだ汚職事件を見れば明らかであろう。

 田さんはそうした汚職とは無縁だったのは、人間というものの弱さを熟知していたからだ。そして、時に、歴史上に残る人物、太宰治や松下幸之助から「弱さ」の教えを受けたことで、大きな「成功=お金」を得ることができたのかもしれない。

 こうしてみると、『ユダヤの商法』には、商売でいかに成功を遂げるかという主題の背後に「人間としての弱さ」が描かれていると言えるのではないか。だからこそ、ロングセラーとして読み継がれてきたのではないだろうか。

 そうした「田さんの教養」が、若き日の孫正義さんや柳井正さんに「生きた教養」として引き継がれ、自らを成功へと導いた書物なのかもしれないと思えてくる。本書がいまだ「生命力」を持っている理由であろう。