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愉しいはずの書評が、なぜ読まれないのか

松本裕喜 編集者

本が好きな人にとって、書評は本来愉しいのだが…… Photo: Rawpixel.com/Shutterstock拡大本が好きな人にとって、書評は本来愉しい読み物なのだが…… Photo: Rawpixel.com/Shutterstock

書評に批判はなくていいのか

 同じ日の書評欄の『平成の終焉――退位と天皇・皇后』(原武史、岩波新書)の呉座勇一の書評は新鮮だった。この本の中身を評価したうえで、「天皇皇后らの考えをうかがえる資料は限られるため、踏み込みすぎに思える解釈も幾つか見られた」と最近の書評欄では珍しく批判があったからだ。

 いつ頃からかわからないが、批判的に本を紹介することが少なくなったような気がする。

 30年ぐらい前の話だが、勤めていた会社の女性編集者が自分の編集した本の「編集がずさん」と指摘した「朝日ジャーナル」の書評の執筆者に電話して、「どこがずさんなんですか」と問いつめていた。いきなり電話をかけてこられた書評者は困っただろうが……。

 豊﨑由美『ニッポンの書評』(光文社新書)を読むと、新聞書評では批判は許されず、批判しても差し替えられるという(巻末の大澤聡との対談)。また新聞書評の分量は800字から1200字で、根拠をあげて批判するには字数が足りないとも指摘する。

 呉座の書評でも「踏み込みすぎに思える解釈」の具体例は示されていないが、それを書いていてはこの本の中身を紹介できなかったろう。

 「神保町の匠」でも初めのころ取り上げた本の著者から抗議を受けたことが二度あった。いずれの書評にも文中に著者をからかうというか揶揄するような文言があったためと思える。正面からの批評・批判なら、抗議は来なかったのかもしれない。

編集者の書評誌『いける本・いけない本』

 少し古い話だが、2004年冬から2014年夏にかけて出た『いける本・いけない本』(21号まで、非売品)は「どうも新聞書評が面白くない、それならいっそ……」と人文系の編集者が集まって出した書評誌だった。メインの記事は「いける本・いけない本アンケート」で、20人前後のメンバーが半年間に出たおすすめの3冊、異議のある3冊をあげ、100字前後でコメントした。

 このアンケートで面白かったのは、「いける本」であがった本を別の人が「いけない本」にあげていることがよくあったことだ。

 以下、「いける本」「いけない本」で重複した本をあげてみる(年度は「いける本・いけない本」で紹介された年)。

2005年、柴田哲孝『下山事件―最後の証言』(祥伝社)

2006年、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川書房)

2007年、東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)、パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』(ちくま新書)、東浩紀・北田暁大『東京から考える――格差・郊外・ナショナリズム」(NHKブックス)、四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社)

2008年、(重複なし)

2009年、水村美苗『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房)、鶴見俊輔・上坂冬子『対論・異色昭和史』(PHP新書)、小熊英二『1968―(上)若者たちの叛乱とその背景、(下)叛乱の終焉とその遺産』(新曜社)、川上未映子『ヘヴン』(講談社)、加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)

2010年、橋本治『失われた近代を求めてⅠ――言文一致体の誕生』(朝日新聞出版)、柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店)、村上春樹『1Q84 BOOK3』(新潮社)

2011年、中井久夫『災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録』(みすず書房)、山本義隆『福島の原発事故をめぐって――いくつか学び考えたこと』(みすず書房)、金原ひとみ『マザーズ』(新潮社)

2012年、三浦しをん『舟を編む』(光文社)、井上理津子『さいごの色街 飛田』(筑摩書房)、佐藤信『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、ドナルド・キーン『正岡子規』(角地幸男訳、新潮社)、孫崎享『戦後史の正体――1945―2012』(創元社)

2013年、開沼博『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)

2014年、田澤耕『〈辞書屋〉列伝――言葉に憑かれた人びと』(中公新書)、佐々木健一「辞書になった男――ケンボー先生と山田先生」(文藝春秋)

 以上だが、「いけない本」にあげた理由は、テーマや著者に期待して読んだものの期待が外れたというもの、本の仕立てかたに疑問を呈するものが多かった。

 本の仕立てかたで言えば、2011年の『災害がほんとうに襲ったとき』『福島の原発事故をめぐって』を私はこの著者の本としては安易な本づくりと批判したが、3・11東日本大震災を目の前にして、版元も著者もあまり厚くない本で、値段を安くし、早く出版することを選択したのだろう。いまとなってみると、その判断のほうが正解に思える。

 このように「いける本」「いけない本」の分かれ目も微妙なところがある。長田弘は『本という不思議』(みすず書房、品切)で、「本というものはおもしろいもので、どんな本も読み手とおなじ背丈しかもたない。読み手がこれだけであれば、本もまたこれだけなのです」という。確かにその本をどう理解するか、どう味わうかは読み手にかかっている。また同じ本を読んでも読む時期によって本の印象がガラッと変わることもある。

 現役の編集者だったとき、一番つまらないのは、自分が手掛けた本が褒められも貶されもせず、無視されることだった。本を出す側から見れば、たとえ批判があっても書評に取り上げられること自体が一つのパブリシティー(広報)である。

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筆者

松本裕喜

松本裕喜(まつもと・ひろき) 編集者

1949年、愛媛県生まれ。40年間勤務した三省堂では、『日本の建築明治大正昭和』(全10巻)、『都市のジャーナリズム』シリーズ、『江戸東京学事典』、『戦後史大事典』、『民間学事典』、『哲学大図鑑』、『心理学大図鑑』、『一語の辞典』シリーズ、『三省堂名歌名句辞典』などを編集。現在、俳句雑誌『艸』編集長。本を読むのが遅いのが、弱点。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです