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黒沢清監督『旅のおわり世界のはじまり』=提供・東京テアトル拡大黒沢清監督『旅のおわり世界のはじまり』=提供・東京テアトル

意思疎通の齟齬によって生じる受難

 こうした、意思疎通の困難というシチュエーションにおけるキーパーソンは、通訳兼コーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ)だ。日本語に堪能な(という設定の)テムルは、葉子やクルーと現地の人々との橋渡しをすべく、有能な通訳兼コーディネーターとして振る舞う。だが、ときにテムルが日本語に丁寧に通訳する言葉は、まさにその律儀な丁寧さゆえに、日本人と現地の人々とのちぐはぐな会話に、奇妙なサスペンスと可笑しさを加味する。

 たとえば、広大な湖に浮かぶ小さな漁船の上で、葉子が“怪魚レポート”をする場面。ジャージにゴム胴長、さらに救命胴衣を着た葉子は、漁師に、怪魚は本当にいるのかと聞くと、漁師は、運が良ければ怪魚は罠に掛かる、と言う。葉子が、わたしはだいたい運悪いんですよね、と応じると、漁師は、運は誰にとっても平等だとか、おそらく適当に、そして不愛想に答える……。むろん観客は、この一連のやりとりを、やはり救命胴衣を着たテムルの、几帳面な通訳によって理解するのだが、漁師のぶっきらぼうで真偽が疑わしい言葉を、テムルがニュアンスを抜いたデスマス調で丁寧に訳すところに、珍妙なユーモアが生まれる。

 しかし、テムルを介した葉子と漁師との問答は、いささかも笑えない、居心地の悪くなるような結末を迎える。漁師は相変わらず不愛想な口調で、魚が捕まらないのは船に女を乗せているせいだ、魚は女の臭いを嫌う、という意味のことを言い出す。するとテムルは

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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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