2019年07月08日
先日、今年12月のKISS来日公演が大々的にアナウンスされた。
1977年の初来日以来、彼らは12回も来日して公演を行なっている。2015年の公演にはアイドル・グループ「ももいろクローバーZ」がゲスト出演したりもしたし(それについて個人的には違和感を覚えたが)、もはやすっかり日本に馴染んでいる印象だ。
ところが今回だけは、ちょっと事情が違うようだ。なにしろ今回は“史上最大規模のファイナル・ツアー”であると同時に、“最後の来日公演”だというのだから。
改めてそう断言されると、ファンとしては複雑な心境だが、同時に納得できる話でもある。なにしろフロントマンのベーシスト/ヴォーカリストであるジーン・シモンズは、今年の8月25日で70歳。同じくフロントマンのギタリスト/ヴォーカリスト、ポール・スタンレーもこの1月20日に67歳になったという。
ちなみに現在、オリジナル・メンバーはこのふたりだけ。ドラムスのピーター・クリスとギターのエース・フレーリーが脱退して以降、代わりのメンバーは何度も入れ替わっている。
そのため現在ドラムスを担当しているエリック・シンガーと、ギターのトミー・セイヤーには多少なりとも「若手」というイメージがつきまといもするのだが、実はそうではない。エリックは昨年還暦を迎え、最年少のトミーも現在58歳なのだから。
そもそも1974年のアルバム・デビューから45年が経過しているわけだし、そう考えれば“最後の来日公演”も十分にありうる話なのだ。
とはいえ、やはり感慨深くもある。1962年生まれの私(と、その前後)の世代にとって、KISSは特別な存在だったからだ。明確なコンセプトとパワフルなサウンド、そしてダイナミックなパフォーマンスによって、青少年のフラストレーションを解消してくれたのである。
私がKISSというバンドの存在を初めて知ったのは、中学校1年生のときだったように思う。たしか、雑誌かレコード店のポスターかなにかを見たのだ。正直なところ、最初は「気味が悪い」と感じた。そのコスチュームとメイクの奇抜さを、12年間の人生経験で割り切ることができなかったからである。
しかも当時は、現代のように聴きたいものをすぐ聴ける時代ではなかった。だから、どんな音を出すのか知らないまま、そのヴィジュアル・イメージだけを心のどこかに沈殿させたまま一定の期間を過ごすことになった。
その結果、頭で思い描くことしかできないKISSのサウンドは、どんどん実態とはかけ離れていくことになった。「あんなヘンな格好をしているんだから、マイナーでドロドロした、実験的で難解なロックでもやっているに違いない」と、とてつもない勘違いをしてしまったのである。
初めてKISS体験をしたのは、そののち、1歳年上のいとこの家に遊びに行ったときのことだった。我が家と違って彼の家の応接間には豪華なステレオ・セットがあり、彼はそこでいろいろなレコードを楽しんでいたのだ。
羨ましくて仕方がなかったが、それはともかく、そのときいとこがかけてくれたのが、『Alive!(邦題:地獄の狂獣)』というKISSの2枚組ライヴ・アルバムだった。
大きなスピーカーを通してそのサウンドを体験したとき、KISSの世界観が自分の思い描いていたものとはまったく正反対のものであることを思い知った。パワフルでダイナミック、しかもシンプルでわかりやすく、「これは人気が出ないはずがない」と強く実感できたからだ。
事実、そのアルバムのスリーヴには、大きなスタジアムで盛り上がる観衆の写真がレイアウトされていた。まだ日本では本格的に知られていなかったはずだが、海の向こうでは絶大な人気を誇っていたのだ。そのことを、嫌でも実感させられた。
そして『Alive!』の翌年に当たる1976年、KISSは4枚目のスタジオ・アルバムにあたる『Destroyer(邦題:地獄の軍団)』によって世界的な大ブレイクを果たす。
アリス・クーパーやエアロスミスを手がけてきたボブ・エズリンをプロデューサーに起用したことが功を奏し、幅広い音楽性を完成させたこのアルバムからは「デトロイト・ロック・シティ」「狂気の叫び」「雷神」「ベス」などの代表曲が誕生し、大きく飛躍することになったのである。
ちなみに1977年の来日公演は、
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