玉川奈々福(たまがわ・ななふく) 浪曲師
横浜市生まれ。出版社の編集者だった94年、たまたま新聞で浪曲教室のお知らせを見て、三味線を習い始め、翌年、玉川福太郎に入門。01年に曲師から浪曲師に転じ、06年、玉川奈々福の名披露目をする。04年に師匠である福太郎の「徹底天保水滸伝」連続公演をプロデュースして大成功させて以来、数々の公演を企画し、浪曲の魅力を広めてきた。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
名作15本と実演で「情念の美学」
6月22日から26日まで5日間、東京・渋谷のユーロライブ・ユーロスペースにて、「浪曲映画-情念の美学」という特集が開催されました。
昭和30年代前半くらいまで、浪曲は、日本で一番人気のある芸能でした。
……といって、これを読んでくださる方々、その状況を想像できるでしょうか?
浪曲師である私すら、実は、あんまり想像できない。
現在、空前の落語ブームらしく、東西に落語家さんが900人以上おられるそうです。
私の手元にある資料。昭和18年時点で、浪曲師は全国に3000人いたそうです。
昭和22年の芸能人長者番付を見ると、トップ10のうち、6人が浪曲師です。
ラジオでも、テレビでも、浪曲番組花盛り、町々の銭湯では、「〽旅ゆけば~~」と、広沢虎造の「次郎長伝」を湯船でうなるおじさんたちがたーくさんいた……そうです。
ふうん。