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「上皇」誕生の年に読む中世史の魅力と警鐘

松澤 隆 編集者

後鳥羽上皇=宮内庁三の丸尚蔵館提供拡大後鳥羽上皇=宮内庁三の丸尚蔵館提供

《源平の戦い》に比べて人気はどうなのか

 では、本郷恵子『院政』は、後鳥羽の意図をどう見たかといえば、〈幕府の否定ではなく、執権北条氏を排除して、幕府や御家人らを自身の傘下に収めること〉。つまり本郷ご夫妻は、説を同じくしない。ただ〈新旧を問わず既存の体制のすべてが院・天皇の朝廷の意思のもとに置かれることを自明とする志向〉と補足し、〈朝廷社会の外には全く裏付けを持たない全能感〉と分析するとき、坂井と2人の本郷に共通するのは、後鳥羽がついに、鎌倉の新体制の意味を理解し得なかったという認識であろう。そして、いずれにしても鎌倉から逆手にとられ、義時を芯とする結束へと導いてしまった(時代に抗えなかったものの、一歌人または『新古今和歌集』の下命者としての後鳥羽には、個人的にかなり親愛感を抱きますが)。

 乱の意味を、本郷和人は〈権威による支配が不可能になり〉、〈メインプレイヤーが、貴族から武士という在地領主へ〉転換したと評価し、坂井孝一も〈「真の武者の世」は承久三年に始まった〉と強調する。そうに違いあるまい。

 だが、おそらくふつうの歴史好きにとっては、「承久の乱」は、見せ場の少ない事件に映るのではないだろうか。英明だが短慮な上皇の個性が際立ち、その個性の発現にのみ終始した挙兵と短期での敗北。優秀な幕僚も配下もいない。前代に起きた、殿上から地下(じげ)まで敵味方とも人物群像豊かで、起伏が多い「治承・寿永の乱」(いわゆる源平の戦い)に比べ、「人気」の点では(残念だが)明らかに劣るような気がする。

『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)拡大『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)の著者・本郷和人さん

そして「政治手法」と軍記物語が残った

 しかし、である。乱後の推移は、歴史の因縁を感じさせずにはおかない。後鳥羽の孫(順徳上皇の子)仲恭天皇を廃した幕府は、後鳥羽直系を忌避し、後鳥羽と同じ高倉天皇を父にもつ守貞親王の子・茂仁王を選んだ。この10歳の皇族を「天皇」(後堀河)にするため、幕府はわざわざその父・親王を「太上天皇」(後高倉院)とした。

 本郷恵子は、〈全く異例のことだが、政治手法として「院政」がそれほど浸透していたということ〉と記す。本郷の『院政』は、この仕組みの全体像をじっくりたどり、院庁の仕組みや上皇たちの経済基盤など複雑な仕組みも分かりやすく解説した良書だが、その著者が、〈全く異例のこと〉というのだ。我々もまたこの〈政治手法〉の変奏、すなわち、皇子を天皇とするためには天皇以上の権威としての「上皇」が必要で、自ら望まなくとも「院政」が(形式だけとはいえ)行われる、という取り決めに、唸るほかない。いや、痛烈な皮肉を感じてしまわないだろうか(なぜなら、その遠い時代の「手法」は、この度の皇室の代替わりの「特例」とは関わりなく、日本の諸々の組織に今も伏流として受け継がれている気がしてくるから)。

 こうして即位した後堀河天皇は、母方が平家に連なっていた。清盛の異母弟・頼盛の孫が、母(後高倉院妃・持明院陳子)。さらに天皇の乳母・藤原成子の父は、重盛(清盛長男)と姻戚関係にある成親であった。坂井はここで重大な指摘をする。〈知盛の未亡人や娘、頼盛の息子、教盛の息子、維盛の娘は承久の乱後も健在で、後高倉・後堀河の宮廷には平家ゆかりのコミュニティが復活した〉。うーん、そうだったか。

 かくして、乱を描いた『承久記』の原型ができ上がる。しかも〈保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱を活写した『保元物語』『平治物語』『平家物語』の原型〉も、〈ほぼ時を同じくして〉つくられた。つまり「承久の乱」は、平家関係者には一族の没落の記憶を呼び覚ました。哀史の既視感に懊悩した人もいただろうが、創造の営みの端緒となった可能性もあるわけだ。もちろん、〈幾人もの作者によって、また幾種類もの構想に基づいて、増補・削除・改変をされ、幾種類ものテキスト〉が生まれた。しかし、そんな「大河」を生み出す、いわば最初の「一滴」は、親の世代が《源平の戦い》の渦中を生き、自分らは《後鳥羽院の乱》に遭遇した人々の「涙」であったかも知れない。

 やがて能楽が《源平の戦い》に取材した名曲を続々と産み、一部は、浄瑠璃や歌舞伎の人気演目になっていく。それらの藝能が初演当時の徳川幕府への批判を籠めてもいたように、《本意》は、しばしば「同時代」より「前の時代」に仮託して語られることを、我々は知っている。

 《後鳥羽院の乱》それ自体は、後世の歴史好きにはやや薄い関心しか与えないかも知れない。だが、より強い関心と共感を与え続ける《源平の戦い》が、じつは《後鳥羽院の乱》の体験者によって、めざましい「歴史」となった意味を忘れるべきではない。〈敗れ去り、死んでいった人々への追慕・鎮魂という精神的な基盤の上に〉、以上の軍記物語が成立した。坂井が挿入したこの一節は、英明な上皇の意図以上に、重い主題を投げかけているのではないだろうか。

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筆者

松澤 隆

松澤 隆(まつざわ・たかし) 編集者

みすず書房で出版営業、表現研究所(現・小学館クリエイティブ)で編集全般、春秋社で書籍編集に従事し、その後フリー。企画・編集した主な書籍は、佐治晴夫『からだは星からできている』『14歳のための時間論』、小山慶太『星はまたたき物語は始まる』、鎌田浩毅『マグマという名の煩悩』、立川談志『世間はやかん』など(以上すべて春秋社刊)。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです