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「上皇」誕生の年に読む中世史の魅力と警鐘

松澤 隆 編集者

 3年前の7月、当時の天皇の「退位」(譲位)の意向が明らかになって以来、個人的には元号選定よりも「上皇」誕生に、関心が深まった。遠い少年時代に観た大河ドラマ「新・平家物語」(1972年)で、不遇の崇徳上皇(田村正和)に尽くす一庶民の麻鳥(緒形拳)に感銘を受けたことが思い出され、「草燃える」(1979年)で、初代尾上辰之助が演じた後鳥羽上皇の強烈な存在感が、蘇ってきた。そんなわけで、「上皇」という響きに歳を忘れ、いささかときめいた次第。

 ところが、歴史専門家でも「画期」と告白している人を知り、心強かった。〈中世史を研究する者として、「上皇」の誕生に立ち会えることは驚きであり、喜び〉。これは、坂井孝一『承久の乱――真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書)の「あとがき」の一節だ。2018年末刊行の同書を、「あとがき」に(も)惹かれ購入したものの、当時は同じ中公新書『観応の擾乱――室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い』(亀田俊和)を読んだばかり。中世モノ続きに躊躇があった。

2冊の『承久の乱』を読み比べる

 さて、そうこうしていると、本郷和人『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)が登場した。同名本(しかも実用書や参考書でなく新書)が、別版元からほぼ同時期に出るとは珍しいなと呑気に過ごしていると、最近、本郷恵子『院政――天皇と上皇の日本史』(講談社現代新書)が出た。坂井氏、本郷ご夫妻、共に一面識もないが、何かに突き動かされるように3冊続けて読んでしまった。それぞれ面白かった。

坂井孝一『承久の乱――真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書)と本郷和人『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)坂井孝一『承久の乱――真の「武者の世」を告げる大乱』(中公新書)と本郷和人『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)
 まず『承久の乱』2冊の違いは、語り口と構成。坂井は、院政の端緒となった(外戚が藤原氏でない)後三条天皇から悠然と書き起こし、徐々に佳境へと誘う。本郷は、鎌倉幕府の本質を明快に掲げ、鮮やかな逸話を次々と示す。さながら壮麗なフルコースを味わう愉悦と、対面でシェフが繰り出すお勧め料理に舌鼓を打つ快楽か(分量は坂井>本郷)。

 両者共に、後鳥羽が文武に秀でた歴代屈指の英主だったことは認める。その上で坂井は、後鳥羽―将軍実朝の信頼関係を評価。それだけに、実朝横死の衝撃と事後のストレスは激しく、地頭の異動や大内裏再建計画に応じない執権・北条義時に対し後鳥羽は不満を募らせ、反北条勢の決起を促して〈義時の追討〉の院宣を発した。ただし〈「倒幕」の2文字〉は読み取らない。

 一方の本郷は、〈義時を排除することだけが目的で、鎌倉幕府の存在そのものを否定したわけではないという説〉は〈成り立たない〉、と断じる。なぜなら〈幕府の実態〉が、もはや〈北条義時とその仲間たち〉であり、〈義時を討つことは鎌倉幕府を否定することと同じ〉だから。要するに、そもそも抱いていた幕府体制をコントロールできるという後鳥羽の自信は、実朝の死を機に朝廷中心の秩序回復への強い意思=倒幕に転じた、ということらしい。

後鳥羽上皇=宮内庁三の丸尚蔵館提供後鳥羽上皇=宮内庁三の丸尚蔵館提供

《源平の戦い》に比べて人気はどうなのか

 では、本郷恵子『院政』は、後鳥羽の意図をどう見たかといえば、〈幕府の否定ではなく、執権北条氏を排除して、幕府や御家人らを自身の傘下に収めること〉。つまり本郷ご夫妻は、説を同じくしない。ただ〈新旧を問わず既存の体制のすべてが院・天皇の朝廷の意思のもとに置かれることを自明とする志向〉と補足し、〈朝廷社会の外には全く裏付けを持たない全能感〉と分析するとき、坂井と2人の本郷に共通するのは、後鳥羽がついに、鎌倉の新体制の意味を理解し得なかったという認識であろう。そして、いずれにしても鎌倉から逆手にとられ、義時を芯とする結束へと導いてしまった(時代に抗えなかったものの、一歌人または『新古今和歌集』の下命者としての後鳥羽には、個人的にかなり親愛感を抱きますが)。

 乱の意味を、本郷和人は〈権威による支配が不可能になり〉、〈メインプレイヤーが、貴族から武士という在地領主へ〉転換したと評価し、坂井孝一も〈「真の武者の世」は承久三年に始まった〉と強調する。そうに違いあるまい。

 だが、おそらくふつうの歴史好きにとっては、「承久の乱」は、見せ場の少ない事件に映るのではないだろうか。英明だが短慮な上皇の個性が際立ち、その個性の発現にのみ終始した挙兵と短期での敗北。優秀な幕僚も配下もいない。前代に起きた、殿上から地下(じげ)まで敵味方とも人物群像豊かで、起伏が多い「治承・寿永の乱」(いわゆる源平の戦い)に比べ、「人気」の点では(残念だが)明らかに劣るような気がする。

『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)『承久の乱――日本史のターニングポイント』(文春新書)の著者・本郷和人さん

そして「政治手法」と軍記物語が残った

 しかし、である。乱後の推移は、歴史の因縁を感じさせずにはおかない。後鳥羽の孫(順徳上皇の子)仲恭天皇を廃した幕府は、後鳥羽直系を忌避し、後鳥羽と同じ高倉天皇を父にもつ守貞親王の子・茂仁王を選んだ。この10歳の皇族を「天皇」(後堀河)にするため、幕府はわざわざその父・親王を「太上天皇」(後高倉院)とした。

 本郷恵子は、〈全く異例のことだが、政治手法として「院政」がそれほど浸透していたということ〉と記す。本郷の『院政』は、この仕組みの全体像をじっくりたどり、院庁の仕組みや上皇たちの経済基盤など複雑な仕組みも分かりやすく解説した良書だが、その著者が、〈全く異例のこと〉というのだ。我々もまたこの〈政治手法〉の変奏、すなわち、皇子を天皇とするためには天皇以上の権威としての「上皇」が必要で、自ら望まなくとも「院政」が(形式だけとはいえ)行われる、という取り決めに、唸るほかない。いや、痛烈な皮肉を感じてしまわないだろうか(なぜなら、その遠い時代の「手法」は、この度の皇室の代替わりの「特例」とは関わりなく、日本の諸々の組織に今も伏流として受け継がれている気がしてくるから)。

 こうして即位した後堀河天皇は、母方が平家に連なっていた。清盛の異母弟・頼盛の孫が、母(後高倉院妃・持明院陳子)。さらに天皇の乳母・藤原成子の父は、重盛(清盛長男)と姻戚関係にある成親であった。坂井はここで重大な指摘をする。〈知盛の未亡人や娘、頼盛の息子、教盛の息子、維盛の娘は承久の乱後も健在で、後高倉・後堀河の宮廷には平家ゆかりのコミュニティが復活した〉。うーん、そうだったか。

 かくして、乱を描いた『承久記』の原型ができ上がる。しかも〈保元の乱、平治の乱、治承・寿永の乱を活写した『保元物語』『平治物語』『平家物語』の原型〉も、〈ほぼ時を同じくして〉つくられた。つまり「承久の乱」は、平家関係者には一族の没落の記憶を呼び覚ました。哀史の既視感に懊悩した人もいただろうが、創造の営みの端緒となった可能性もあるわけだ。もちろん、〈幾人もの作者によって、また幾種類もの構想に基づいて、増補・削除・改変をされ、幾種類ものテキスト〉が生まれた。しかし、そんな「大河」を生み出す、いわば最初の「一滴」は、親の世代が《源平の戦い》の渦中を生き、自分らは《後鳥羽院の乱》に遭遇した人々の「涙」であったかも知れない。

 やがて能楽が《源平の戦い》に取材した名曲を続々と産み、一部は、浄瑠璃や歌舞伎の人気演目になっていく。それらの藝能が初演当時の徳川幕府への批判を籠めてもいたように、《本意》は、しばしば「同時代」より「前の時代」に仮託して語られることを、我々は知っている。

 《後鳥羽院の乱》それ自体は、後世の歴史好きにはやや薄い関心しか与えないかも知れない。だが、より強い関心と共感を与え続ける《源平の戦い》が、じつは《後鳥羽院の乱》の体験者によって、めざましい「歴史」となった意味を忘れるべきではない。〈敗れ去り、死んでいった人々への追慕・鎮魂という精神的な基盤の上に〉、以上の軍記物語が成立した。坂井が挿入したこの一節は、英明な上皇の意図以上に、重い主題を投げかけているのではないだろうか。

「事実でないものを教訓にしてしまう」こわさ

本郷和人『上皇の日本史』(中公新書クラレ)と本郷恵子『院政――天皇と上皇の日本史』(講談社現代新書)本郷和人『上皇の日本史』(中公新書クラレ)と本郷恵子『院政――天皇と上皇の日本史』(講談社現代新書)
 本郷和人には、先行して『上皇の日本史』(中公新書クラレ)という好著もある。明治以来の史学が「天皇親政」を正統視し過ぎたことを批判し、日本史の実態がそもそも〈上皇の天皇に対する優位〉を指摘する、実に刺激的な一冊。キーワードは〈「地位」ではなく、「人」〉。本郷夫妻の『上皇の日本史』『院政』を併読することで、「中世」の特殊事情と、その後も影響を及ぼす普遍原理とに、思いを巡らすことができよう。なお本郷恵子は、「おわりに」で「皇族数の減少」に触れ、今後の「なりゆき」を認めたうえで、こう記す。〈ただし無策という策を選択する判断は、明確な形で下すべきである〉。歴史家ならではの、きわめて示唆的な提言というべきではないだろうか。

 最新刊では、出口治明『0から学ぶ「日本史」講義(中世篇)』(文藝春秋)も、我々一般人が、中世の大状況を概観するのに役立つ。歴史の専門家ではないけれど、企業経営体験者ならではの知見と、既刊の「古代篇」同様、ときに現代を諷する語り口が、痛快だ。巻末の対談相手は、ベストセラー『応仁の乱――戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)の呉座勇一。出口の希望かも知れないが、贅沢な人選。

 呉座といえば、少し前のインタビュー記事が心に響いた。これは、「歴史」の送り手たちへの警鐘であると同時に、「歴史」を享受する読者の側の責任をも問うている、と思う。個人的な感傷や憧憬に浸りがちな「歴史好き」の自分自身への戒めをこめ、最後に引用しておきたい。

 〈歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない……自らの見たいものを過去に投影し、事実でないものを教訓にしてしまう。自説の補強や正当化のために歴史をゆがめられては困る〉(日経新聞2019年5月23日)。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。