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『旅のおわり世界のはじまり』、感動的な劇場場面

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより

 『旅のおわり世界のはじまり』は、テレビのバラエティー番組のレポーターを務める主人公、葉子/前田敦子の受難劇である。と同時に、さまざまな(小さな)受難や不如意に遭遇しながらも、歌手になるという夢を叶えようとする葉子のドラマ、すなわち彼女が自己実現を目指すドラマ=成長物語でもある。そして重要なポイントは、黒沢清が、葉子の受難劇の延長線上に彼女の自己実現のモチーフをうかがわせる、というふうにドラマを展開する点だ。

 つまり、以下でみるように、葉子の受難劇が、彼女の自己実現のドラマを必然的に呼びこむかのように、あるいは前者と後者が相即する(密接に結びつく)かのように、映画は展開するのである。したがって、一見アットランダムに配列されているかに思える本作の各シークエンスは、じつは緊密に呼応しあっているのだ(起承転結とは異なる形ではあれ)。

 さて、葉子の自己実現のモチーフは、後半の劇場の場面、およびラストの山頂の場面でエモーショナルに描かれるが、その二つのシーンに先立つのは、まさに彼女の遭遇する受難、そしてそれらが彼女にもたらす、孤独、葛藤、鬱屈といった負の感情の描写だ。まずは劇場の場面とその導入部となるエピソードをみていこう(山頂の場面とそこに至る導入部については、次稿で述べたい)。

――葉子はある日、遊園地の奇妙な回転ブランコに乗って体験レポートをするが、その遊具は拷問器具のごとく、ひたすら360度の縦回転を猛スピードで続ける(!)ので、磔(はりつけ)にされたような恰好で絶叫しながらそれに試乗した葉子は、吐き気を催す。が、葉子は耐え、再度試乗するも、乗り終えた彼女は震えが止まらなくなり、ついに吐いてしまう……。

 その後も、怪魚探索は遅々として進まず、葉子はストレスを溜め込むばかりの日々を過ごすが、それでも健気な彼女は仕事を必死でこなそうとし、怪魚レポートの代わりに、彼女が旧市街の路地裏で見かけた白いヤギを草原に戻すレポートはどうか、とディレクターの吉岡(染谷将太)に提案する。吉岡は渋るが、カメラマン岩尾(加瀬亮)の援護で、葉子の企画は通る。

 しかし、テムル/アディズ・ラジャボフを介した飼い主の婦人との交渉は、案の定、難航する。――吉岡が婦人にドル紙幣を握らせ、ヤギ解放の収録は終了したかに思えたが、婦人は、「このヤギはもう誰のものでもない」と主張し、ヤギを連れ帰ろうとする。吉岡は婦人にさらに紙幣を渡し、ようやくヤギは草原に放たれる(気難しい婦人が、お金が欲しいのではなく、慣習の違いだとか言いつつ、紙幣をちゃっかり受け取るところが可笑しいが、この交渉場面も、その他の<コミュニケーション・トラブル>をめぐる場面同様、ハイレベルなコント(笑いを誘う寸劇)として観ることもできる)。そして、葉子がオクーと名付けたそのヤギは、彼女が手を差し伸べるのを無視して草原の中へ消えていくが、その場に無言で立ち尽くし、ヤギを見送る彼女を写す引きのショットが胸を打つ……。

ナボイ劇場で見た葉子の幻覚

 場面は変わり、カメラが示すのは、葉子とクルーを乗せ、首都タシケントに向かうワゴン車。荒涼とした砂漠地帯を走る車の窓から、葉子は虚ろな眼差しで景色を眺めている。……タシケントのホテルに着いても、Wi-Fiがつながらず、東京にいる水上消防士の恋人と連絡が取れなかったりで、葉子の気持ちは晴れない。

 そんな憂鬱な気分のまま、葉子は恋人に絵葉書を出すため、広い車道を横切り、柵を乗り越え、薄暗い地下道を小走りで抜け、あてどなく街を歩く(ここでの、2015年の黒沢作品『岸辺の旅』で深津絵里がだだっ広い車道を横切る姿を連想させる、未知の迷路的な空間を歩き、走る葉子の移動=<動線>をとらえる名カメラマン・芦澤明子の撮影、および緩急自在な編集のリズムは、黒沢映画ならではの冴えを見せるが、本作でも、『岸辺~』以降の黒沢作品を特徴づける横長のシネスコ画面が、効果的にフル活用される)。

 やがて、葉子の行く手に、瀟洒(しょうしゃ)な外観の建物が現れる(ウズベキスタンの誇るナボイ劇場)。かすかに聴こえてくる歌声に誘われて、建物の中に足を踏み入れる葉子(引きのショットが連続するなか、葉子が歌声を聴きとる瞬間に挿入される、彼女の横顔の超クローズアップが効果的だ)。精妙な装飾を施された部屋の扉がいくつも連なっている。葉子の視点(主観)ショットを含む、このシーンの移動撮影や編集や照明も素晴らしい(廊下を進む彼女の姿を背後から追う前進移動ショットが、ジャンプカットぎみに編集されるので、その空間の迷路性はいっそう際立つ)。

『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより『旅のおわり世界のはじまり』=公式サイトより

 葉子が最後の六つめの部屋の扉をそっと開くと、歌声が美しく響き渡る。そこは

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